2020年10月15日

内在的評価と外野の勝手な感想

土曜日の午前はNHKFMの音楽番組を聴くことが多く、その流れでたまに11時からの邦楽(ポップスではなく伝統楽器の)の番組も聴くことがあり、そして更にたまに、あ、いいなあと思うことがある。以前、箏の友渕のりえが「夢の手枕」を演奏していたのを聴いて、これは本居宣長が源氏物語を真似て書いたものらしいが、古日本語の語り詠いがとても美しくて、同曲を収録したCDを探して手に入れたものだ。先日もやはり箏の藤井泰和の「秋風の曲」「融」の演奏がよくて、翌日日曜日早朝の再放送をがんばって録音した(一部失敗)。ただ、心細いのは、邦楽の場合、こちらがいいと思うのと、邦楽の内部での評価といくらかでも呼応しているのかどうかさっぱりわからない、ということがある。他の音楽ジャンルでも同じようなことがあるとしても、ここまでの心細さはない。邦楽の場合の内在的評価は、どういうことになっているのか、雲をつかむようだ。NHKFMで放送されるくらいだからもちろん一流とされているのだろうが。
ジャズピアニストの上原ひろみについても、別の意味でになるかもしれないが、内在的評価が気になる。昨年のピアノソロのアルバム『Spectrum』を聴いているのだが、とても刺戟的で随所に驚きがあり非常に面白く聴けるのだけれど、このピアニストはジャズの既成の領域から出たところで新しい音楽を創ることが多いような気がして、これをジャズの本領を大事にするジャズファンがちゃんと聴けているのかということがいささか気になったのだ。全く余計なお世話というもので、ジャズの聴き手はそんなにナイーブでも狭量でもないだろう。それでも、ジャズの従来の評価尺度にのらないような魅力が生じているとすればこれを言語化するのは難しいかもしれない。
そもそも上原ひろみは位置的にジャズのメインストリームにいるのか、外野からはよくわからない。生の理不尽に由来する強いブルーを音に刻む、といったような面はあまりなくて、むしろ音の運動の喜びを追求する面が特徴的で、哀愁を感じさせるしっとりとした曲調の場合も、苦さではなく郷愁のような繊細なスイートさが味わいになっているように思われる。もっとシンプルに言えば、昔ながらのジャズ的ワビサビは薄めなのだ。なにをやらかすかわからない驚異の元気、と見えて多くの場面で意外と理路整然と音の運動を推進する。外野のわれわれはそれをなんの頓着もなく嬉々として聴くわけだが、本式のゴリゴリのジャズ信奉者がなんと言うのか……しかしこれも杞憂なのだろう。そもそものそもそも、現役の若い世代のジャズミュージシャンで強烈なブルーを胸に抱いてそれをジャズ本然のレトリックで音に刻むということをしている人は滅多にいないだろう。新鮮でいきのいい音楽がもたらされるのであれば外野はなんの文句もない。
2009年のソロアルバム『PLACE TO BE』の初回限定版にはタイトル曲のライブ演奏を収録したDVDがついているのだが、その演奏の音の躍動感と細やかな響きのニュアンスはすばらしい。『Spectrum』の限定版には『PLACE TO BE』所収の諸曲のライブ演奏のCDがついていて、こちらも非常に生気があり貴重だ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 20:38| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: