2021年04月09日

『幻花』の書評、佐藤聰明新作CD

今日発売の「週刊読書人」に佐藤聰明著『幻花──音楽の生まれる場所』(洪水企画)の書評が出た。評者は志賀信夫氏。ぜひご覧下さい。
さて、最近佐藤聰明さんの新しい作品集CD『水を掬えば月は手に在り/FOUJITA』(ALM RECORDS、3080円)が出たので、これも紹介しよう。このCDには二本の映画につけられた音楽作品が収録されている。サウンドトラックといえるものなのか、若干は仕立て直されているのかは不明。藤田嗣治の生涯を描いた映画「FOUJITA」(小栗康平、2015)についてはこのブログでも以前書いた(2015年11月21日)。もう一つの作品はごく最近のもののようで、私は未見だが、CD付属のブックレットに簡単な紹介文があるので引用する。
「陳傳興監督の中国映画「掬水月在手」(2020)は、伝説的な詩人であり中国文学者の葉嘉瑩(1924〜)の生涯を追ったドキュメンタリー・フィルム。葉嘉瑩は唐の詩人杜甫の研究者としても著名であり、陳傳興は佐藤にこの映画音楽に、杜甫の詩「秋興八首」にもとづく歌曲を依頼した。そして中国では滅んだ唐代の雅楽の楽器、笙と篳篥を用いるよう求めた。この映画は、中国のアカデミー賞といわれる第33回(2020年度)中国映画金鶏賞のドキュメンタリー部門で、最優秀賞を獲得した。」
音楽は「八首」を音楽化した8曲の歌曲からなり、ソプラノとバリトンにより歌われる。このCDでの演奏は(そのまま映画に使われた演奏ということになるか)工藤あかね(ソプラノ)、松平敬(バリトン)。伴奏は、篳篥・笙のほか、二十絃箏、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。漢詩をこよなく愛するこの作曲家にとって、杜甫の詩を作曲する機会は天からの褒賞のような願ってもないものだったのではないか。音による杜甫の肖像が立つ思いがする。地方を流浪しているのか、詩で自らの薄幸を述べ立てている面も興味深い。「其四」は戦乱を叙していて目が留まるので和訳を引用してみよう。
「聞けば長安の戦況は囲碁の如しと。百年の世事は悲しみ絶えず。王侯の邸宅の主はみな新しく、文武の衣冠は昔時とは異なる。直北の国境は戦の鐘と太鼓が天地を震わし、西征の車馬からは急を告げる伝令が馳せ帰る。魚竜は底に潜んで秋江は冷たく流れ、故国への常なる思いが深まる。」
どの曲も悠然とした旋律の中に悲哀を染み通らせている。二人の歌い手はそれをしんみりと、あるは堂々と、迷いなく確信をもってうたう。中国語でうたわれるのだが、演奏者側の事前の準備が周到で全く問題がなかったようだ。玄宗皇帝と往時の長安をしのんだ「其六」は伴奏なしのソプラノ独唱で、ことに印象深い。工藤あかねさんはこの歌を持ち歌にしてしまってすべてのステージでアンコールでうたってほしいものだ。さらに詩の想念が広がる「其七」「其八」(ともにバリトン曲)も切迫感と重みがある。このお二人の歌手はご夫婦とのことで、どちらの方とも私はかつて言葉を交わしたことがあるのだが、あちらは覚えておられないだろう。
CDの後半に入っている「FOUJITA」の音楽だが、映画を見ながら聴いたときよりもちゃんと聴けた感じがあり、こうして聴いてみると映画音楽とは思えない独立の存在感がある(「掬水月在手」についてもそれは言える)。ゆるやかな勾配の上昇階段と下降階段が交互に不規則に続く、海山の気の動きのようなゆったりとしたリズムがあって、そこから外れる異様な和音奏やハープの細かな動きが時おりなにかの通信、碑文、魂魄の息のような衝撃を作る。我々の今日の計算ずくの日常生活にきっかり嵌るような音楽ではなく、たとえば住所表記もできないような山奥に茶室がありそこで過ごす時間があれば相応しいかもしれない響きと調べだ。演奏は、杉山洋一(指揮)、仙台フィル、篠崎史子(ハープ)。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:49| Comment(0) | 日記
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