
二条さんは知り合ってからもう十数年になると思うが、私が手がけている詩誌「虚の筏」、そして「詩素」に参加して、いつも力強い作品を発表してきた。今回はほぼ10年ぶりの3冊目の詩集の上梓ということになる。
二条さんは東日本大震災の前年から北海道胆振東部地震の翌年(2019年)までを北海道南部の海岸沿いにある地、白老町(苫小牧と登別の中間にある)で暮らした。巻頭に「思い出の町、白老に捧ぐ」とあり、その十年弱の居住を記念して、その時期に書かれた詩を収録する一冊となっている。カバーを飾る写真は、白老在住のフォトグラファー、永楽和嘉さんが撮影した白老近くの森の風景とのことだ(装丁は巌谷純介氏)。
地元北海道の地誌・歴史に根差した作品から、生物学や地質学の知見をふまえた作品まで、視野を広くとり、個の抒情を越えた、思想性を帯びた詩世界を創造する。その詩風は、媚もごまかしもない峻烈で明晰な言葉が世界と生の謎に正面から対峙する、断固たる構えにあるだろう。地球史をも宇宙論をも突き抜ける壮大なイマジネーションは強靭に尖っている。
詩集名は冒頭の作品「Universe」から来ており、また帯文の「今、踏んだのは誰の骨」「喪の明ける方角」は最後に置かれた作品「服喪」の中の言葉だ。この二作を読めば、この詩集の中心をなすベクトルが明瞭に感じられることと思う。生世界と死の関係性を闡明しようとする志向のぶれなさは希有のものだ。
さて、この詩集の収録作品を編集する過程で、とくに感銘を受けたのが「パンゲアの食卓」である。7年前に「虚の筏」7号に発表されたときはさほどとも感じなかったが、今回改めて読んで、異様な昂りを覚えた。持っている本をすべて処分して、最後に一冊だけ、薄い詩のアンソロジーを手元に残すとしたら、そのアンソロジーに収録するための候補作品に入れたいとさえ思う。以下にこの詩を紹介しよう。
覚えているか
パンゲアの子どもたちを
毎朝 大きな食卓を囲んで
屈託もなく笑っていた
言葉を交わさなくても
心はいつもひとつだった
彼らの暮らす大地がひとつだったように
その大地が 遠い昔
広い海のあちこちに分かれて
散らばっていた時代もあったなんて
誰も信じようとしなかった
(だってそれじゃどうやって
いっしょにごはんをたべたり
ひなたぼっこをしたり
うたをうたったりすればいいのさ?)
しかしその問いを
子どもたちは口にしなかった
心がいつもひとつなら
自分の知らないことは誰も知らないのだ
彼らにはきっと想像もできなかったろう
同じ星に暮らしていながら
ばらばらの時間に
ばらばらの場所で
ばらばらの食事をする なんて
(おなかがすくのは
みんないっしょなのに?)
超大陸パンゲアには
子どもたちだけが暮らしていた
毎朝 大きな食卓を囲んで
倦むこともなく笑っていた
心はいつもひとつだったから
自分の知っていることは誰もが知っていて
言葉を交わす必要がなく
伝え合うべき物語もなかった
覚えているか
パンゲアの食卓に響いた歌声を
題もなく詞もなく
旋律だけで語られる歴史が
ただひとつあったはずなのだが
なお、作品の末尾に「地球史上には、多くの大陸が一つに合体して形成される「超大陸」がたびたび出現する。約三億年 前に存在したとされる超大陸「パンゲア」は、後に分裂して現在の六大陸を生んだ。」という注がついている。
(池田康)