2022年12月18日

愛敬浩一著『草森紳一「以後」を歩く』

表紙2.jpg愛敬浩一さんの草森紳一論の第二弾が出る。前の本に続き、〈詩人の遠征〉シリーズ第14巻。タイトルは『草森紳一「以後」を歩く』で、「李賀の「魂」から、副島種臣の「理念」へ」というサブタイトルがつく。税込1980円。
晩年の草森紳一は、明治期の政治家にして漢詩人の副島種臣にこだわって論考的文章を書き続けていた(気が長すぎたのか、未完)。そんな草森を見つめる「副島種臣が隠れていた」「漢字という大陸」ほか、詩人・大手拓次、小説家・島尾敏雄、画家・中原淳一を草森がどう考えたかを論じた諸篇を収める。どの論考においても著者の眼差しは柔軟にして鋭く、草森紳一の思考の根本に迫っていく。
あとがきを紹介しよう。
「走り始めてはみたものの、草森紳一の雑文宇宙≠フ果てしなさを実感して、改めて怖じ気立つ思いである。
前著『草森紳一の問い』と同様に、シリーズ第二弾となる本書も、草森紳一の「人と作品」ではなく、まして「評伝」や「論考」などとは無縁な、思いつきで書かれただけの、何とも雑駁で、ちぐはぐな感想の積み重ねに過ぎない。今はただ、その草森紳一「以後」≠少しのぞき見たことで足れり、としておく。
さて、「理念」とは既知であり、見慣れたものなのであろうが、見慣れたものこそが「認識する」ことが最も難しいと、ニーチェ/村井則夫=訳『喜ばしき知恵』(河出文庫・二〇一二年十月)の三五五番にある。「見慣れたものを問題として見ること、それを未知のもの、遠いもの」としてみなすことこそが、最も困難なことなのであろう。」
愛敬氏はまさに歩く速度で、けっして急がず、寄り道や回り道をしながら、草森紳一の心の核へと少しずつ近づいていく。拙速を避け、いきり立つことなく、注意深く細かいところを見ようとするゆとりをもった姿勢が自然体で頼もしい。興味ある方はぜひご覧いただきたい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 14:07| 日記