
小特集「本ってなに?」は本という存在について改めて考える試み。ヨーロッパ古代・中世文学研究の沓掛良彦氏へのインタビューで詩歌の歴史と本の歴史を並行してお話しいただいたほか、エッセイを田野倉康一、高階杞一、松村信人、佐相憲一、高岡修、秋亜綺羅、小川英晴、土渕信彦、宇佐美孝二のみなさんにご寄稿いただいた。さらにアンケートに10名の方々からご回答をいただいた。本の本質と現実について、どれだけ新しい視野が拓けただろうか。
野村喜和夫氏の対談シリーズ、今回はカニエ・ナハ氏と「二十一世紀日本語詩の可能性」。ここ20年ほどの日本の詩のことと、造本の諸面の魅力のことなど。今回を一区切りとして、野村喜和夫対談集『ディアロゴスの12の楕円』(洪水企画)にまとめる予定。
巻頭詩は吉増剛造、渡邊十絲子、添田馨、江夏名枝、小見さゆり、七まどかの六氏。俳句は高山れおな氏に寄稿いただいた。
表紙は國峰照子さんのオブジェ作品「処刑」。
さらに詳しい内容は下記リンク先をご覧いただきたい。
http://www.kozui.net/mln11.html
巻頭の吉増さんの詩についてエピソードを記せば、映画「眩暈 VERTIGO」(12月15日の項を参照ください)の公開初日に東京都写真美術館のカフェで生原稿をいただいたのだが(スキャンしたものを本誌に掲載してある)、いきなり未知の森に迷い込んだようで、ご本人を前にして、読みあぐねる箇所の読み方をおそるおそるお尋ねしながら、手探りで読み進んだ15分ほどの恐怖の神秘は忘れられない。自由気ままに書かれているようにも見えるが、活字に組む際に助詞を一つ間違えていて、校正で直していただき、その一字の違いで脈絡ががらりと変わるのを体験し、しっかりした流れがあるのだと認識をあらたにしたことだった。ご注意いただきたいのが3行目、“ひらなが”となっているところ。これは“ひらがな”を間違えて“ひらなが”と言っているのであり、おさなごの感覚を想起している。言葉の立ち上がる瞬間のあやうい過程をおさなごの感受性でつかまえようとするところに吉増詩の極意の一端があると言えそうだ。「光」というタイトルも特別で、ありがたいことだった。
(池田康)