2023年03月12日

悲歌と歓喜の歌と

作曲家・新実徳英さんの新作が初演されるとの案内を受け、昨日、「第9回被災地復興支援チャリティ・コンサート」をミューザ川崎シンフォニーホールに聴きに行った。秋山和慶指揮、洗足学園ニューフィルハーモニック管弦楽団。メインのプログラムはベートーヴェンの交響曲9番。東日本大震災発生の3月11日午後2時46分に黙祷をしてから演奏会が始まる。
新実徳英「交響組曲〈生命のうた〉」はオーケストラと合唱を組み合わせた堂々とした大きな曲だった。トルコの詩人ナーズム・ヒクメットの詩を音楽化した、5章からなる作品。委嘱の時点でこのコンサートが大前提だったので、あらかじめベートーヴェンの第九とうまくつながるように考えて作曲を進めたとのこと。それでオーケストラに合唱も使うという贅沢な特別編成になったのだ。とくに第4章の「死んだ女の子」がよかった。オーケストラ曲としてはきわめて音の動きの少ない寂とした景の構成のうちに悲痛さがみなぎる。この詩は広島の原爆被害から発想されたものという。そして「これは大発明だ!」と感じた。つまり、ベートーヴェンの第九は第4楽章の歓喜の歌を最大の特徴とするが、その前に演奏される曲として、20世紀・21世紀の悲劇を嘆き悲しむ悲歌(エレジー)をもってくるというのは、非常な対称の妙があり、効果絶大なのだ。この新曲は演奏時間が40分もあり、第九の前に置くのは正直長すぎるから、この「死んだ女の子」を中心として15〜20分くらいの曲を編集・作曲し直すのもよいような気がする。
そして、メインの第九も迫力があった。オーケストラというものはベートーヴェンの交響曲のうたい方をよく心得ているものなのだろう。第4楽章の中程のテノールの見せ場があって、コーラス全体が歓喜のメロディをうたい、そのあと、男声合唱と女声合唱とを交互に使って巧みに劇的に組み立てるあたり、とりわけ立派で、この大作曲家の卓越した腕前にあらためて目を見張った。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 13:21| 日記