2023年07月12日

通信の神秘

生野毅さんが今週末の15日(土)18時から、「新・剪灯新話 ─歌と詩と絵画と─」というイベントをYO-EN、黒須信雄の両氏とともに開催するそうだ。場所はギャラリー・ビブリオ(国立市)。3000円、要予約。生野さんのパートは怖い話(詩?)になるらしい。こういうお知らせをもらうと、ちょっとそそられる。そのありさまを空想するだけで心踊るような気分になる。
少し前、映画「インターステラー」(クリストファー・ノーラン)を見るのとほぼ同時に、佐藤史生のマンガ「夢みる惑星」の何度目かの読み返しをしていたのだが、たまたま重なったこの両者になにか共通点があるように感じた。どちらも天変地異の大災害にみまわれ、そこからどう逃れるかという話になっているのだが、そのなかで通信の神秘、交感の奇跡がクローズアップされる。その特殊な力が生き延びるための奥の手となるのだが、こういう危機的状況だからこそ目覚めた心的機能なのかもしれず、そんな状況だから一層その働きが映えるということもあろう。シャーマニックで魔術的な通信は重大局面では啓示となり、なにかのための手段であることを越えて、それ自体が価値となる、ように見える。しかしそれは案外いたるところにその萌芽がひそんでいるのではないか。描かれた絵も、ピアノの音も、鬼百合の姿も、風に翻る裳裾も、こちらになにかを伝えてくるわけで、それが「神秘」に格上げされる瞬間がまれにあり、我々はその時あたかも「カタストロフィから救われた」ような感覚になる……いや、もしかしたら、むしろ逆に、不気味なカタストロフィ幻想に急襲される、のだろうか。いつどこで生ずるかもしれない〈通信の神秘〉は世界を読み解く表徴であり、世界を刷新する亀裂の痛みである、と言われているような気がする。
そもそも通信が成立するということはささやかな神秘であり(かつ、世界が組織される基本となるアクションである)、特別な通信の成立はまさに特別な僥倖である。そしてなにげない通信が一転、特別な通信に変化する驚愕も、つねに期待したいところだ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 19:44| 日記