宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」は戦時中の一少年の心的体験の物語だが、亡き母が残した一冊の本の表紙に描かれた鳥がアオサギとなって主人公をファンタジー世界に案内するのだとしたら、このファンタジー部分は彼がこの本を読む行為に相当し、夢魔的(神経症的)空想を最大限に羽ばたかせて創造的読書を完遂したのだとも考えられる。
人間の役者を使ってリアリズムベースでドラマや映画にするとしたら、母の妹と父親とがどのように親しくなったか、母と妹との関係、この叔母(継母)と主人公との過去の出会い、などについて近代文学式に丁寧に書き込んで物語を重厚にするところだろうが、そこを省いて一気にファンタジー世界へと飛ぶところがアニメでありジブリの論理なのだろう。
ところで、この「君たちはどう生きるか」は、ワーグナーの舞台神聖祭典劇「パルジファル」にどこか通じていないだろうか?
そんなことは映画を見ている間はまったく考えなかったが(そんなひらめきが即座に出てくるほどワーグナー通ではない)、先日、2008年バイロイト上演の「パルジファル」をMDに録音してあったのを聞き直していて、ふと、そんな考えが浮かんだのだった。ファンタジー(クリングゾルの城)に飛ぶところもそうだが、時代の根幹が負った傷、社会が幾代も引き継いできた深い傷(それは悪でもある)と向き合い、癒しの可能性を問う、という点で近いところがあるように思われる。巨匠が晩年にそのような人類宿痾の問題に目を向け、それをシンボリックな物語の構成の中で神学的にあるいはメルヘンの理法で救済したいという思いと努力は両者に共通する志向として感じられる。老大家の熟れ切ったマナコがなにかを検知し懸命に見定めようとする凝視から、このような超現実の色濃い霊的怪作が生まれてくるのかもしれない。
(池田康)
追記
調べてみたら「パルジファル」の録音は上記のものに加えて、2005年バイロイト、2006年バイロイトと三種類あった。このころはワーグナーに熱を上げていたのだろう。この作品のタイトルは「パルシファル」だと思い込んでいたのだが、諸々の資料で「パルジファル」となっているのでそうしておいた。シンガーがジンガーになるとか、ドイツ語では濁って発音するのだろう。濁音がない方がきれいだが。
今ではFM放送のエアチェックは我が家では難しくなった。そこそこいい音で受信できるのだが、室内アンテナだからか、録音機をオンにすると何か拾うのか少しノイズが出るのだ。ICレコーダーを使う方法もあるが、ステレオミニプラグは不安であるし、音量調整が厄介だし、音声データのまま残しておくのはおぼつかないし、音楽用CDに焼くにしても80分しか収まらないし……と消極的要素が多くて実行する気になかなかなりにくい。