2024年08月21日

遠くへ向かう眼差し

DSCF3508.jpeg昨日、南青山MANDALAで吉増剛造さんのイベントが開催された。往路、PASMOが(3千円チャージしたら)使用不能になる突発事故があり慌てたが、なんとか辿り着く。
第一部はご伴侶マリリアさんの歌唱、5曲ほど。ジャンルを超越した、歌い手の半意識の詠唱とも言えそうな、音響の効果も相まってサイケデリックとも称されそうな、自由奔放という言葉そのままのようでもある歌で、どうやって構成制作しているのだろうと不思議に思う。ライブハウスの音響設備がよく効いていて低音のリズム打刻が身体に強く響いてくるのが久々の体験で良かった。
第二部は吉増剛造・今福龍太両氏の対談、今福氏の新著『霧のコミューン』をめぐって。前半は6月に92歳で亡くなった沖縄の詩人・川満信一さんとの交わりについてで、今福さんが親しくしていた川満さんに、なぜか近づけなかった、親しくなれなかった、なぜだろうと訝しむ吉増さん。探りながら話を重ねていくうちに、島尾敏雄に対するアプローチの角度が違っていたのだという「遠因」に辿り着くまでがスリリングで、達人のように見える吉増さんの煩悶の表情も新鮮だった。
対談後半の主要な話題はラファエロやダ・ヴィンチの描く幼子イエスの眼差しが画家の目の位置を見据えずどこか遠くを見ている、その真意についてだったが、たまたま今、シュペルヴィエルの「秣桶の牛とロバ」を読んでいて、生まれたばかりの赤子イエスを牛とロバの視点から物語る話だが、牛がイエスの面差しに奇妙な遠さ遥かさを認めて戸惑う場面を思い出し、符合を覚えた。
それから「霧」の話、ガローワ(ブラジルの朝の霧雨)の話、カフカやゴヤの恐るべき暗みを帯びた話など。
画像はこの日配布された詩原稿の一部。この日の朝できたばかりの作品とのことで、朗読され、生成のなまなましさ、思考の唯一固有の息吹が迫ってきた。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:24| 日記