2024年08月24日

佐保田芳訓遺作品集『五月の雪』

カバー画像3.jpg歌人の佐保田芳訓さんが昨年8月に亡くなり、遺された作品を一冊の本にまとめたいというご家族の意向を受け、4月ごろから作業を開始し、歌誌「歩道」発表の多くの短歌やエッセイをテキストデータ化する大変な作業を経て、奥様・美佐江さんの原稿整理と校正作業の尋常でない頑張りもあり、ようやくこの遺作品集『五月の雪』が完成した。タイトルは台湾の花、油桐花の愛称(真白でハラハラと散るからとのこと)。この花を描いたカバー装画はご長男の芳樹さんによる。息子の彼が台湾に住むことになったため、佐保田さんはたびたび台湾を訪れていて、短歌も作っている。

 結納式披露宴など忙しなくひと日の終り夜市に遊ぶ
 風化して棒状の岩いくつ立つ野柳岬の黄の岩盤に
 東支那海に日の沈みゆき淡水の河の河口に紅残る
 仕事より解放されてみづからの時とし淡水の河渡りゆく
 基隆の港に近きこの丘に蟬鳴き蜻蛉蝶の群れ飛ぶ
 雨上り青空見ゆる台北の街にふたたびスコール来たる
 マングローブに無数の赤き実の成りて見つつ行くとき泥の香のする

帯に載っている6首は

 沈黙の星満ちをりて白雪の富士山朝霧高原に顕つ
 相似たる妻と娘の話す声分ち難きはその笑ひ声
 雨上る淡水河をくだるとき東支那海の海黒々し
 花過ぎし泰山木に蟬の鳴く妻の病院に六年通へる
 用なきに亡き先生を訪ねゐる暁の夢覚めて楽しむ
 千本の桜花咲く多摩川のほとりを病癒えて歩める

エッセイはすべて「佐藤佐太郎研究」の章題のもとにまとめている。どの篇にも佐藤佐太郎は登場し、重要な役割を果たしている。ここに収まる70篇余を読むと「歩道」の総帥だった佐藤佐太郎がどのような短歌思想を奉じて制作に臨んだかが非常によくわかり、佐保田氏がいかに師を慕い、その教えを重視し忠実に書き残して伝えようとしたかが痛いほどわかる。佐保田氏が講師を担当した現代歌人協会主催の「ザ・巨匠の添削 ──添削から探る歌人の技と短歌観──【第一回】佐藤佐太郎」の講演録が収録されているのも貴重だろう。
むすびに、最晩年の、最も死に近い作品、令和5年2月号の5首を紹介する。

 高層のビル立ち並び残されし寺あり境内に黄の公孫樹照る
 奥多摩につらなる山の空澄みて皆既月食の月昇りゐる
 癌を病み心病まざるみづからを過ぎゆく日々にいたはり生きん
 青木ケ原樹海の中の道をゆく清水港にて待つ人のをり
 愛宕山をめぐり高層ビル群の間近に見ゆる病室にをり

(池田康)
posted by 洪水HQ at 14:30| 日記