2025年01月18日

コンサート「国のない人々」

昨夜、杉並公会堂小ホールで開かれた、アイデンティティとは何か、故郷とは何かをテーマとするオムニバス・コンサート。
第一部は東欧ユダヤの歌、“祖国なき流浪の民の心の故郷”というサブタイトルがついている。歌手のこぐれみわぞうが中心で、ピアノ・コントラバス・パーカッションが伴奏。この歌手の歌声はしっかりしていて力強く魅力的で、その開かれた響かせ方を聴いていると、昔ライブを聴いたyaeの歌声がほのかに思い出され、さらに連想を逞しくするなら加藤登紀子の音楽スピリットに近いものがあるのかもしれないとも思う。
第二部はコントラバス奏者の河崎純を中心とする「河崎純・音楽詩劇研究所」の『ユーラシアンオペラ』のステージ。第一部で伴奏だった楽器が前面に出て、対等にアンサンブルを組み、歌声もその一部となる。宮沢賢治の「ポラーノの広場」からインスピレーションを得て各国の民謡も取り入れながら作っているとのこと。最後の曲の、なにやらトランス状態を感じさせる、音楽の無礼講ともいうべき音の出入りの賑やかな柔らかい自由な雰囲気が印象に残った。
第三部は在日コリアンのステージ、ジャズテイストのサックス、やるせなくむせぶエレキギターと韓国伝統楽器の太鼓が絡む意外性が面白く、何よりお囃子を伴った太鼓アンサンブルの力強さは決定的なものがあり、有無をいわせず腹に届く。
第四部はAyuo(歌・ギター)を中心とするステージ。すべての曲に随伴した立岩潤三のパーカッションが効いていた。演奏された5作品のうち4曲目「創造された現実の中で生きている私たち」が最もユニークな可能性を感じさせた。楽器群が即興演奏する中で男女が思索の言葉を誦する。ただそのテキストが普通の文章だったのが残念で、詩の強度を持ったテキストだったらもっと良かったのではないかと思われた。
このコンサートでは「みらいらん」15号で紹介した『西村朗しるべせよ』の著者の丘山万里子さんにお会いできたことも幸運だった。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 15:33| 日記