2025年07月28日

ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションのイベント 他

先週の土曜日の午後、日本橋のミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションの「新しい南画の世界」展のイベント、林浩平・林道郎両氏の対談を聴く。南画、文人画の江戸中期以来の展開、系譜の流れの大絵巻が、蕪村、大雅、木村蒹葭堂、唐木順三、石川淳、花田清輝、萬鉄五郎、大岡信、ユク・ホイ等々のキーパーソンを相互連関させながら自在に広げられた。通常の芸術、芸術家の概念とは少し(あるいは大きく)ずれた南画の精神のありようは貴重な示唆を帯びて刺激的だった。なお、今回の展覧会では、浜口陽三、後藤理絵、重野克明、染谷悠子、西久松綾、吉増剛造といった美術家や詩人の作品が展示されている。会期は9月21日まで。
この同じ日の午前から昼にかけて、映画「夏の砂の上」(玉田真也)を見た。望月苑巳さんが「みらいらん」16号で紹介していた作品。文芸映画として、コメディの要素を抑えたオーソドックスな作りと言えるか。近年の文芸映画としては函館を舞台にした佐藤泰志原作の諸作が思い浮かび、比べてみたくなるが、函館という場所があれらの映画で重要であったように、「夏の砂の上」では長崎が舞台でやはりトポスの威力が顕著だ。今作の主人公を演じているオダギリジョーは佐藤泰志映画の一つ「オーバー・フェンス」に出演していたという共通項もあり、余韻が生きているのかもしれない。今作、全体によくまとまっているように感じられたが、一点、主人公の姪があらゆる他人に毒付くような荒くれの気質を抱えているのに、やたら調子のいい母親(主人公の妹)に終始唯々諾々なのは解せず、この母娘の間にも摩擦や衝突を見たかったという小さな文句はある。
ついでにさらに一週間さかのぼって、評判になっている映画「国宝」(李相日)を見た。評判通り見応えあったが(筋のきつい派手さは好悪分かれるか)、音楽については何か言いたい気がした。音楽は原摩利彦で、彼は「夏の砂の上」でも音楽を担当していて、精妙なピアノを聴かせている。「国宝」では劇中音楽として歌舞伎の音曲が当然あり、これが我々の琴線に触れるというよりも琴線そのものとして鳴っている感じなのだが(歌舞伎の物語の中で歌舞伎の音曲に交わる、これがこの映画の魔的経験の核なのだろうと推測する)、それにかぶさるように劇伴として西洋のオーケストラやピアノの演奏が併走し、大きな問題であるのかもしれない両者の融合がなかなかうまいこと自然な形に収まっているような印象だったが、専門の音楽家諸氏がこれをどう聴くのか、こういう巧みな円満さではないもっと違うやり方でこの映画の音楽を考えたいと思う人がいるかいないか、例えば武満徹がこの映画に音楽をつけたらどうなったのか……などといったありもしない可能性を考え、考えあぐねたことだった。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 09:03| 日記