2009年01月05日

書き残したこといろいろ

正月は実家に帰ったら溜まっていた疲れが噴出したのか頭痛と消化器系のパンクでまる二日寝込んでしまった。現在ようやく体調が戻り、ゆっくり仕事を始めようとしているところ。去年のうちに書いておこうと思って、書けずにしまったことをまず記しておくことから始めようと思う。
ここで話をするのはクラシック系の音楽のことが多いが、それ以外のジャンルの音楽との出会いも書いておきたいのだが、といってもいわゆる歌謡曲プロパーで強くひっかかってきたものは(好奇心旺盛にいろいろ聴くということをしないせいもあるかもしれないが)あまりなかったのだけれど、ひとつ挙げるなら、絢香のアルバム「Sing to the Sky」は"めっけもの"だった。歌唱がいい芯を持っていて、かつての山口百恵を思わせるような翳を帯びた、やや男性的な色合いの濃さがあり、強くしなやか。そしてアレンジが非常にシンプルというか、オーソドックスなバンド編成で貫いている点も印象的で、曲を過剰に派手に演出しないところに静かな主張を感じる。うるさく感じる曲もあるけど、総じて気持ちのいい曲集になっていた。
久石譲の映画音楽はこれまで特に強く惹かれたことはなかったが、「崖の上のポニョ」(宮崎駿監督)でのオーケストラを駆使しての仕事は、「堪能」という言葉を使いたいような、躍動と充実が感じられた。オーケストレーションのじつに達者な腕前、ワーグナーと張り合う覇気、どぎついまでに明快で鋭いチャームをもった旋律をつくってしまう大胆さ。絵を追う、物語を追うと同時に、意識が音楽を追っていた。物語は「絵本仕様」といったらよいのか、かなり強引な大団円にもっていかれていて、その辺りで好悪が分かれるところだろう。見所は、「ファンタジア」の方向を目指すような、絵の運動と音楽の運動との共演効果、独自の音楽劇が、ある程度実現している側面だろう。絵は絵で美しい。水の運動を描くあたり、大きな奔流の中につねに細かい創意工夫がうごめき、魔法の遊びを見ているようで圧倒される。
久石氏の仕事には強く玄人性を感じるが、同じような感じを受けたのが、「トロッタの会」第7回公演(12月6日、スタジオリリカ)で演奏されたファブリツィオ・フェスタ作曲「神羽殺人事件」で、"現代音楽"としてどう評価されるのかわからないが、あらゆる音が非常な確信を持って組み立てられていて、どの和音もどのフレーズもしかるべき効果をあげている、曲の組み立ての独自の完璧さには驚いた。玄人というのはこういうものか、と。作品としてはミステリー風の非常に特異な物語をもっている変り種で、そちらの面での面白さも出色だったように思う。
詩人の野村喜和夫氏の奥方眞里子さんのフラメンコダンスのリサイタル(10月25日、草月ホール)では、フラメンコ音楽芸能の強さに圧倒された。リズムと手拍子だけで昇天させられてしまう。スタイルが構築する世界に絡めとられる。強い独自色で一ジャンルを築くだけのことはあると感嘆することしきりだった。
パーカッショニストの上野信一さんが作曲家・高橋悠治氏と組んでひらいたリサイタル(12月3日、津田ホール)のことも書いておきたいところだが、しかるべき言葉が見つからないというか、表面的に耳に入れただけで、まだその(そこで披露された高橋氏の)音楽にちゃんと入る入り口を捉まえられなかった感じなので、かなうなら新たな経験を迎えてなにか手掛かりが見つかってから書くことにしたい。ただひとつだけ、これはどうでもいいことのようで意外に本質的なことかもしれないが、高橋氏が公の場で自分の音楽を発表するときの、飾り立てることのまったくない極度の"くつろぎ"と"無造作"を、作家の思想の現れのひとつとして、非常に印象深いものに感じた。(池田康)
posted by 洪水HQ at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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