2011年03月03日

笹井宏之歌集『ひとさらい』『てんとろり』(書肆侃侃房)

このあいだの野樹かずみさんの歌集の研究会のとき、加藤治郎さんから、読んでみてと、二冊の明るいソフトカバーの本を手渡された。笹井宏之という、一昨年、26歳の若さで亡くなった歌人の歌集である。『ひとさらい』は生前に出た第一歌集。『てんとろり』は遺稿集で、加藤さんが編集責任者となっている。『てんとろり』の刊行に伴い(今年1月)、同じ出版社から『ひとさらい』も新装再刊された。ネットで非常に評判になった歌人とのことで、同時に短歌結社「未来」にも入っていて、そこでも高く評価されていたようである。この二冊の本も短歌の世界を超えた読者を得て例外的な売れ行きを見せているとのことである。
詠い口は非常にやわらかく、想の赴くまま自由自在といった観がある。ときに奇想にすぎると思われる歌があるのも、彼が思い切って創作上の冒険をしたことの証だろう。現実と観念とのあいだに奇妙な具合に板挟みとなる二十代の抒情の切なさがそこかしこに噴き出している。それで、どういう歌を引用紹介したらいいかと迷うのだが、このごろ、人類史のDNAに飛来してそれをコツコツとつつくキツツキのような詩歌が好ましいのではないだろうかという思いもあり、青年の抒情の典型ということにはならないかもしれないが、そのような方向で成果を収めていると思われる歌を勝手に選んでみた。
・初めての草むらで目を丸くして何かを思い出している猫
・靴音の消えてしまった街角でふいにモーツァルトがうたいだす
・天井と私のあいだを一本の各駅停車が往復する夜
・一生に一度ひらくという窓の向こう あなたは靴をそろえる
・空と陸のつっかい棒を蹴飛ばしてあらゆるひとのこころをゆるす
・からだにはいのちがひとつ入ってて水と食事を求めたりする
・にぎりしめる手の、ほそい手の、ああひとがすべて子どもであった日の手の
・あまえびの手をむしるとき左胸ふかくでダムの決壊がある(以上『ひとさらい』より)
・ああそれが答えであった 水田に映るまったいらな空の青
・どちらからともなく音になりすまし夜の海へと響いていった
・ひまわりの亡骸を抱きしめたままいくつもの線路を越えてゆく
・死ななければならないひとのかたわらで表紙のうすい本をひらいた
・風。そしてあなたがねむる数万の夜へわたしはシーツをかける
・空き瓶をあらう あなたへ流れつくための儀式としてすみやかに
・たどりつくことのたやすい永遠に地雷のようなものを埋める
・世界って貝殻ですか 海ですか それとも遠い三叉路ですか
・ひきがねをひけば小さな花束が飛びだすような明日をください
・ぼろきれにくるまれている猫の目をわたしの目だとおもう、一瞬(以上『てんとろり』より)
なにか普遍的な想念や情感が自分自身の秘部から到来するかのような歌たちだ。でたらめに鉄砲をぶっぱなすのではなく、我々のこの世界に向けてどこか狙いが定まっているような感じがある。
『てんとろり』の巻末に著者が本名で地元新聞に投稿した作品が載っており、そこにもいい歌がたくさんあるので見逃さずにお読みいただきたい。(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:31| Comment(2) | 日記
この記事へのコメント
はじめまして。笹井宏之の父です。
宏之の歌をご紹介いただきありがとうございました。
近々『些細』のブログに紹介させていただきたいと思いますので、ご了承いただければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
Posted by 筒井孝司(笹井の父) at 2011年03月05日 20:10
拙文をご覧いただきまして、
ありがとうございます、
至らないところの多い紹介で恐縮いたします。
御本がより多くの方々に読まれることを
お祈り申しております。
リンクなどお気兼ねなくなさってください。
よろしくお願い申し上げます。
Posted by 池田康 at 2011年03月06日 15:37
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