2011年03月26日

ふてぶてしさを

一昨日、ある小説家の方の話をはたで聞く機会があったが、次の小説はどうするかなどなど、滔々と情熱的に語っていた。世の中のこの状況でタフだなと思いながら拝聴したものだが、我々に足りないのはこのたくましさ、ふてぶてしさではないだろうか。政府が野菜等の出荷について過剰にきびしい基準で規制をかけても諾々とそれに従う。一国民の生活のなりたちがそういうラインに尽きるならなんだか妙に表面的な感じがするのである。戦後の闇市はオーバーだろうが、中央の規制を上手にかいくぐるような(足りない部分を補うような)、柔軟でしたたかな第二、第三の流通経路が出来てもいいし、自治体も細やかな配慮で手を組んで、正規の商売取引以外の有効活用のルートが生まれてもいい。ときに硬直した仰々しいものになりがちな中央行政の決定から外れる第二の外野的思考ラインの活動が、我々のフテブテシサを活性化するものとして必要のように思うのである。
原発の事故処理はなかなか予定通りにははかどらない様子だが、日が経てば経つほど炉心の熱量は減じるのだから、なにごともなければ、そして処理復旧作業に手落ちがないならば、どちらかといえば総体的には次第に安全になっていくのだろうという認識をもっていいはずで、それに準じて生活態度を、細かい揺れに左右されない、遠望のきいた大海的なあり方にしていくことだろう。そこから余裕をもったフテブテシサは生まれると期待したい。(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:23| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: