2011年07月02日

大田美和歌集「葡萄の香り、噴水の匂い」

今年2月の野樹かずみさんの歌集の批評会に大田美和さんが参加して下さって、その誼で昨年刊行の歌集「葡萄の香り、噴水の匂い」(北冬舎)をいただいた。読んですぐ感想をこの場所に書こうと思ったのだが、ちょうどその頃、大震災が起こり、心境的に余裕がなくなり、さらに「洪水」8号の編集が一番大変な時期に差し掛かったため、長期棚上げになってしまった。ようやく余裕が持てるようになったので、再挑戦する。挑戦、という言葉が似つかわしくなくもないのは、一読、散文的に淡々と進んでいくかのようなそっけない詠みぶりが一つの傾向を作っていて、なんなのかこれはと、戸惑いを覚える独特の調子があるからだ。普通は詩歌作品を作るときはできるだけ詩情豊かなものにしようと涙ぐましい努力を払うものだが、意識的に試みているのだろう、そういう努力を思い切って放棄したかのような無骨な言葉の並べ方をしているものが目に付く。
・授業の始末を終えてお茶飲む午後六時頭が冴えてくる帰りたくない
・クッキーの生地と子どもを寝かしつけ起きた子どもと型抜きをした
・小指よりも痩せたらっきょうも丁寧に泥を落として漬け物とする
あるいは次のような実況中継的な一連も。
・エレベーターを降りた廊下に人気なく面会謝絶の病室のよう
・病室のようだったならどうしよう震える指でチャイムを鳴らす
・促されドアを開ければ本を読む日々の空気に迎えられたり
さらに次のような辛辣さも。
・読んでない何も知らない若者は実に洗脳しがいがあるね
・ハイヒールの音響かせた見舞客をなぐるかわりに見舞いを捨てる
このような詩的甘美さをそぎ落とした歌が非常に無愛想な地の色合いを形作っていて読者を驚かせるのだが、そんな中でみずみずしい抒情を帯びた歌が現れて光彩を放つ。
・あれは誰? 頬ほてらせてあたらしい年を背負って駆けてくるのは
・不安の数を数えるために増やすならいっそ割ろうかハーブの鉢を
・見えなくても見たいと願うできるだけ世界を等身大の姿で
・この先は崩れるほかなき断崖の生命の奔流として香り立つ
そして、さらに、絶唱ともいえそうな次の歌たち。
・夜の駅 音もなく過ぎる翼ありいっせいに天の扉が開く
・花の雨 もう少し深く吸い込んで 過去の瓦礫を立ち上げるまで
・第九交響曲の夜に私のいたはずの空席にテロの死者が来ている
・日本語も英語もしばし午睡せよ波の表情を熟知するまで
・たましいの柱たたずみ太古より語られる日を待つ長い列
なんとも振幅の大きい歌集だ。
気になる歌。
・小休止のバーで周りを寄せ付けずコーヒーを飲む黛敏郎
これはどういうシーンなのだろうか。
・再会する絵の前にしばし無言なり軍靴と群衆と沈思する子ら
これは歌集のカバーを飾る絵(上野省策「憂愁」)を歌ったもの。師の近藤芳美の所有していた絵という。
・三日の晴れで涸れる小さき水たまり田螺の五六粒の息づく
あらゆる社会的ポジションから自由な、生命への純粋な愛情の一息。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:58| Comment(0) | 日記
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