2011年07月12日

五十井まさ枝歌集『渋谷 道玄坂』

ikaikashu.jpg五十井まさ枝さんの歌集『渋谷 道玄坂』がこのたび洪水企画を発行元として刊行された。五十井(いかい)さんは87歳、これが第二歌集である。「ぱにあ」同人。この二十年の作品をおおむね編年でまとめてある。渋谷は、著者がご主人と共に戦後東京に出てきてまずはじめに生活の基点とし、屋台などの商売で苦労した土地。生涯の原点というべき場所のひとつなのだろう。

・知辺なき渋谷の町の夕巷かたつむりのごと屋台曳きり
・道玄坂夏の陽灼くる露店にて食用蛙を売る夫婦ありき

そのとき以来の六十年余りにあった大小さまざまなことが歌に託して刻まれているが、なかでも大きな悲しい出来事が、息子・健也さんの夭逝だろう。その感情は第一歌集『健也よ』に集中的にうたわれているのだが、今回の歌集でも到る所で噴出する。

・墓碑にあるは子の戒名のみ草を引くわが手にふともとまる白き蝶
・逝きてはやわれの一部となりし子が「肩いからすな」と今朝は囁く
・潮騒は常のごとあり三脚の向うに手挙げる子の影見えず

戦跡を巡礼したり戦争を振り返る歌も多い。

・線香に火をつける事かなわざり強風荒るる「バンザイクリフ」は
・海底に沈む歳月五十年赤錆ぶ艦に棲みつきて 魚
・一粒の米も炊け得ずジャングルに錆びいし飯盒と老女は抱きしむ
・みがけどもジャングルの臭い消えもせず夫の飯盒くらく光ると
・「枕ならべ四人餓死せり」と戦友のとどけくれしとよこの飯盒を

現在の生活のありさまと情をのべる歌はもちろん中心となる。

・一生懸命生き来し二人の日向ぼこ聴こえぬ夫に独り言する
・しらじらと積む貝殻や掬う手に臓なきものは音もかろくて
・ビルのあわい黒く流るる人の川 渋谷スクランブルに佇ちすくみたり
・打ち上がりし花火の紅蓮空こがす ああ あの時の空襲の空
・擦れちがいに礼せし人のたれなりしかしまらく行きても思い出だせぬ
・林立するマンションの窓それぞれに灯すあかりのふと一つ消ゆ
・天と地をむすびて立てる欅の樹 樹液百年の刻をめぐらし
・人生の終着駅に着かむとす どれほどの刻を運ばれ来しや
・修羅の界幾つか越えて現在をあり 西空を染め今日の陽は没る

若い方の作品集とはちがった意味で失敗はできないと、製作に独特の緊張感があったが、重量感のある、佳い本になったように思う。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 15:43| Comment(2) | 日記
この記事へのコメント
初めまして
この作者の娘です
父は1月7日に他界し尽くす人がいなくなり
呆然としている母を今励ましています。
母の本を紹介して頂き誠に有難うございました。
Posted by 五十井律子 at 2012年02月04日 22:27
そうでしたか。入院されたというお話はうかがっておりましたが。心よりお悔やみ申し上げます。まさ枝様およびご家族の皆様のご心痛をお察しいたします。この御歌集『渋谷道玄坂』がかけがえのない記念になりますことをお祈り申しております。
Posted by 池田康 at 2012年02月06日 14:11
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: