尺八奏者の中村明一さんの執筆になる本である(春秋社、1800円+税)。「洪水」次号で、作曲家の佐藤聰明さんの特集を予定していて、中村さんにもご協力をお願いすることになったのだが、それでこの本を手に取ることになった。一応「倍音」がテーマになっていて、もちろんそれを中心に論議は進められているのだが、単に倍音とはこういう現象ですよという紹介に留まらず、真摯な音楽論、文化論にまで及んでいるところが、奥行きがあって力強い。倍音とは基音の上方に鳴る、音に色調を与え、風姿をなさしめる音響現象だが、著者によると「整数次倍音」と「非整数次倍音」とがあり、前者は基音の1/2とか1/3とかいったきれいな分数の波長の倍音であり、後者はそこからはみ出た波長の倍音で、これら両者のどんなものがそれぞれどの程度混ざっているかによって音色や響きが変わってくるのだそうだ。非整数次倍音が多いと、ハスキーボイスのように不透明な渋味が音に加わってくる。西洋音楽はアンサンブルを可能にするため、倍音が出過ぎると多くの楽器でアンサンブルを組むときに音が濁るので、できるだけ倍音の少ない楽音を追求してきた歴史と構造があり、そのことが音楽の価値にまで至っているのだが、邦楽ではむしろ倍音を帯びることをプラスの価値として捉え、追求してきた。西洋音楽が主流になった現在ではそのことは見えにくくなっているのだが、改めてそこに光を当てたいというのが中村さんの狙いだ。
日本人はとりわけ非整数次倍音に反応する傾向があり、音楽だけでなくたとえば日常会話で、澄んだきれいな声で重要なことを言っても伝わりにくく、むしろ濁りを含んだ(=非整数次倍音を多く帯びた)声で言うとメッセージの重要性が伝わるのだという指摘はとても面白い。CDなどでは20キロヘルツでカットされてしまう、一見不要なような倍音が、実は無意識にまで及ぶコミュニケーションの層の全領域の中で重要な役割を果たしているというのも、驚くべきことである。美空ひばり、森進一といった周知の歌手たちの歌声が、この人は整数次倍音が多いからカリスマ性があるとか、この人は非整数次倍音が多いから親密性において勝るとか分析しているところも、納得させられて楽しい。
最後の、コミュニケーション論をもとにした「音楽とは何か」の論考は、とても重要な問題をとてもすっきりした道筋でつきつめていて、おおいに共感するところもあり、潔くもあり、あっぱれな理論なのではないか。もちろんそれは違うという意見も出てくるだろうが、実際に音楽をやっている人間の考えに考え、調べに調べた結果の論だから、強い。
中村さんは若い頃、ロックに熱中し、武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」で尺八に出会い、ジャズの学校で演奏と作曲を勉強したという異色の経歴の持ち主で、音楽について、音について、考えないわけにはいかないというところもあるのだろうが、ここまでしっかり思考を構築するのは並大抵ではない。
いま書店に出ている「新潮45」でビートたけし氏との真向勝負の対談記事が読めるので、そちらもご覧いただきたい。
(池田康)
