2012年07月17日

詩の筏#06

ikada06.JPG15日午後、川崎市多摩市民館にて、詩の筏の第6回を行った。今回はやや変則的に、美術家でチベット音楽もやっている空閑俊憲さんに、現代美術のオブジェの問題について話をしていただいた(写真正面奥の左が空閑氏)。おもにマルセル・デュシャンの仕事を中心に、その作品や制作活動のユニークさ、彼の発言の特異な思想性(“イズム”についての彼の“イズム”など)が紹介された。彼の「エタンドネ/遺作」の制作過程のドキュメントをまとめたフィラデルフィア美術館刊行の貴重な本も見せていただいた。オブジェの起源がダダから説きおこされたように、オブジェなる作品形態は従来の審美観の根本的破壊を目指したダダイズム運動の明瞭な遺産的水脈のひとつ、放たれて飛び続ける鏃のひとつと言えるのかもしれない。その悪ふざけ的な笑いと驚きと意味/無意味の垂直深淵と存在の新鮮な先鋭さは、dadaという奇妙な単語を冠した芸術思想との必然的なつながりを感じさせ、その作品化の実践は“コンテンポラリー”とそれ以前とを区切る境界線(亀裂)を顕在化させようとするアートの破壊的生成の有力な一系とも考えられうるように思われた。もう一つ語られたのは、作品が生まれてくる「理由」ということで、たとえばコーネルが弟を慰めるために箱の作品を制作したように、作品の生成には深い理由があるべきだという空閑さんの考え方であり、これは世に多くある安易な制作に対する大きな批判を蔵した意見と言えるだろう。折口信夫が山越の阿弥陀如来像の「画因」を求めたことにも通じる。
会の前半は、最近刊行された詩集の紹介とそれをめぐっての意見交換で、南原充士詩集『ゴシップ・フェンス』、颯木あやこ詩集『うす青い器は傾く』、結城文詩集『花鎮め歌』を取り上げた。さらに、「多摩川」をテーマにして“ふきだ詩”を試みた。これは近いうちにどういうテキストで構成されようとしているかの暫定的な形をPDF等で示し、最終的には「洪水」次号に発表する予定。参加していただいた皆さんに感謝したい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:25| Comment(0) | 日記
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