2012年08月29日

高階杞一詩集『いつか別れの日のために』

透明感にしびれる。「透明感にあふれた」というよくある表現ではあきたらず、「透明感をきわめた」と言いたくなるような作品たち。人間が透明人間になることはまだできていないようだが、詩が透明になることは実現されたのか。詩のスケルトンが洗われる霊的なまでのすがすがしさがある。「答は空」という詩を紹介する:

こどもと散歩をしながら
聞いてみる
ねえ
この世で一番のお金持ちは誰だか知ってる?
こどもは首をかしげてぼくを見る
ぼくは得意げに言う
答は空
見てごらん
あんなに立派な太陽や
白いきれいな雲を持っている
夜には月や星まで出してくる
どんなお金持ちもあれは買えない
どう、すごいだろ?

五月のよく晴れた朝
もしもぼくにこどもがいたら
こんな話をするのになあ
と思いながら
犬といっしょに
若葉の美しい道を歩いていました
犬はぼくを引っぱり
先へ先へと急ぎますが
人間のぼくはそんなに速くは進めません
歩くことに
疲れて 立ち止まったり
時に振り返ったり
そんなぼくに
さっき
立ち止まったところから
今も動かずにいるこどもの声が
明るく
ひびいてきます

  空ってすごいね

  空ってすごいね お父さん

この透明感はもちろん高階氏のいまの生の光景のありようと密接なつながりがあるのだろう。澪標刊。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 09:23| Comment(0) | 日記
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