正直なありのままとかわいいホラとを混ぜ合わせて吹き出したような、とぼけた味わいがある。タイトル作「鯤」では、伝説の大魚「鯤」になり、それが伝説の大鳥「鵬」になり、最後は布団の上の「小さな池」に帰結するというおかしみ。
「人生ままならないね」では歴史のありのままのねじれが叙述されるが、この十数行は戦時に遡る飛び石として十分ではないだろうか:
ぼくも使命を背負って生まれてきたひとりで
夫れ戦陣は、大命に基き、皇軍の神髄を発揮し、
攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち、
なんて布団や便所のなかで暗記し
進の一字に誇りをもって
戦地に行くところだったんだ
十数年もあのまま続いていたら
ところがぼくには有り難いことに
阿弥陀さまや普賢菩薩がついていてね
命を落とさずにすんだんだ
命を落とさずに
すみはしたんだけれど
それからは苦難の道で
屑鉄拾いに新聞の配達に
牛乳の配達にパンの配達に籾殻の運搬に
製材所の鼻取りに冷凍機会社の工員にパネル打ちに
小銭稼ぎの働きづめの暮らしで
青春の血潮は味わうまもなく汗とともに
地に吸い取られてしまった
せめてもの生きていく
糧が欲しい
また「嘘の倫理」のなかに
子どもだったころのことだけど
ついた嘘がばれるたびに
ぬすっとになりぃ
ぬすっとにぃ
なんてよく叱られたものだ
とあるのは、氏の故郷の三重県松阪あたりの風習文化だろうか。
造本は簡素を極めていて品がある。土曜美術社出版販売刊。
(池田康)
2013年01月09日
川端進詩集『鯤』
posted by 洪水HQ at 11:52| Comment(0)
| 日記
この記事へのコメント
コメントを書く