書名の「パルランド」とは、ピアノの師のゲオルク・ヴァシャヘーリ氏がつねづね口にしていた言葉で、「語りかける」ということだそうだ。単に歌うだけでなく、語りかけるように弾く。音楽を、考えて、語り出す。ご本人の言葉を引用すれば、「その音楽の構造を、その構造を担っている一音の存在理由に到るまで考えて透視力を持つこと。これは何も学者が音楽を解剖するやり方ではない。自分独自のやり方でよいからその音楽を発見することだ。それから自分の鳴らす音を「聴く」こと。それらの音をとことん吟味すること。」
45年に及ぶピアニスト人生のなかで親しく付き合ってきた作曲家たちについても話は豊富だ。とくにジョン・ケージとモートン・フェルドマンについては貴重な証言ともいえるような重みが感じられる。フェルドマンについての一節:「私は知らなかったのだ。彼の音楽に一大変化が生じつつあったということを。彼は、その前年あたりから演奏時間が極端に長い音楽を書き始め、それに応じて音楽語法も当然大きく変えていたのである。それ以前の「ゆっくりと過ぎ去っていく“記憶を持たない音”の断片を書き留めたもの」から「“記憶を持つ音の対位法”による幾つものパターンを組み合わせた巨大なモザイク構造」の音楽へと変貌を遂げたと言えるのではないか。」これはニューヨークでフェルドマンの長い長い弦楽四重奏の曲を聴いて感動したときの思考。そのときその場ですぐフェルドマンに「長いピアノ曲」の作曲依頼をしている!
それから、この本を読んで聴きたくなるのが、サティだ。この作曲家を愛情たっぷりに語る文章はとてもよいし、その独自性を精確に伝えてくれる。サティを世に紹介する連続コンサートの叙述の熱のこもりようは大変なもの。この本からは何本もの誘いの導線が発しているのだが、そのもっとも強力なもののうちの一つがサティのように思われた。
(池田康)