作品総体として「東京物語」が作り上げる神妙な劇生命にはなかなか到達しがたいが、個々の部分では見所がいくつもある。もっとも観客を喜ばすのが、うらら美容院の場面ではないか。店名は原作をそのまま踏襲。長女滋子(中嶋朋子)とその夫(林家正蔵)が経営する。この二人の芝居は非常に生彩があって楽しい。舞台としてのお店も原作よりよくできている位だ。通りから店に入るところの雰囲気も風情が感じられてすばらしい。
医院を営む長男夫婦(西村雅彦・夏川結衣)は、原作もそうだが、どことなく優等生的で面白みに乏しい。アクなり癖なり独自の毒がもう少し出ると、よろしかったのだろうが。下の子供が可愛い。
もっとも設定が違うのが、次男の昌次(妻夫木聡)。原作では戦死したということになっているのだが、この映画では生きていて父親とぶつかっている。その恋人役の紀子=蒼井優は、原作の戦死した次男の嫁=原節子に対応する役どころ。原節子の紀子は共同体の大きな悲運の一端を背負っていて、それがこの紀子を霊的な存在にしているのだろうが、蒼井優の紀子にはそういう要素はない。だから、“お母さん”のとみ(東山千栄子)が「ええ人じゃのう、あんた」と言うのには戦争から八年という歴史と家族史の根拠があるのだが、「東京家族」のお母さん・とみこ(吉行和子)が同じように紀子に対して「いい人ね」と(老人の千里眼をもって?)言うのは、初対面の印象を言っているにすぎず、同じ台詞を踏襲しても意味合いはかなり違う。それではこの現代版の昌次・紀子のエピソードがまったくだめかというとそうでもなく、これはこれで独自の味わいをもって成り立っている。原作の次男とその嫁がしめやかな悲劇の相であるのに対して、このカップルのエピソードは喜劇、すなわち喜ばしく祝福された結末をもつという意味での喜劇といえるか。色調ががらりと変わっているのが新鮮であり驚きだ。ここにはもしかしたら「背負うな」というメッセージがひそんでいるのだろうか。そういえば車寅次郎も背負わない人間像だったし、喜劇の精神はそもそもそういうものなのだろう。望めるのなら、昌次夫婦とうらら美容院と平山医院をめぐる続編が観たいような気もする。
この映画はまた、一昨年の大震災を踏まえて作られているとのことだが、その要素はちらほらと出てきているが、もっと大胆に、紀子のバックグラウンドに深く組み込むとか、家族の出自を中国地方ではなく東北にするとか、設定の段階で方法はあったかもしれない。そうすると雰囲気が騒々しくなりすぎて所期のトーンにまとめるのが難しいのかもしれないが。
肝心の“父・母”について。原作の笠智衆・東山千栄子が投影する時代をまとって哀愁と陰翳をおびたシルエットは、別物というほかしようがない。今回の映画では橋爪功と吉行和子が演じている。それぞれ良さがあるし文句はなし。
(池田康)
この項は『日本映画ベスト150』(文春文庫)という本も参考にして書いたのだが、その「東京物語」を紹介するページに家族の記念写真が載っていて、「小津作品での記念撮影は不吉の予兆となる」というキャプションがついている。しかしDVDで観た限りでは記念写真を撮る場面はなかったように思うのだが……。不思議なことだ。
もう一つ、どうでもいいこと。「東京物語」での老夫婦のしゃべり方は、イントネーションがすこし名古屋弁に似ていて懐かしい感じがしたが、今回の「東京家族」では設定が違う地域になっているのだろうか、訛がちがっていた。これを残念に思うのは、瑣末な勝手な話だろうけど。