「みらいらん」17号納品以後の作業が23日でだいたい終わり、26日に神山睦美さん主催の書評研究会の岡本勝人さん追悼会に出席して、年内の大きな予定は終了した感じ。まだ細かい用事が残っているが。
このブログは2025年までとして、来年から新しいブログに引越しすることにした。
https://hyoryukiroku.blogspot.com
1月から始動する予定。
(池田康)
2025年12月30日
仕事納め、ブログ引越し
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2025年12月23日
みらいらん17号
今号はワーグナーの大作ニーベルングの指環の特集を組む。オペラ世界の霊峰。19世紀の大音楽家にして劇作家、詩人ワーグナーの仕事のうち最も巨大なこの作品にどう近づくか、いかに光を当てるか、核心はどこにあるか、とことん考えてみた。執筆は宇野文夫、江田浩司、高野尭、大田美和、望月苑巳、南原充士、生野毅、巌谷純介の各氏。資料として過去の批評の断片、ワーグナーの書簡の一部を載せる。
それからアイルランド文学研究の栩木伸明さんが一昨年『ポール・サイモン全詞集1964-2016』(翻訳)と『ポール・サイモン全詞集を読む』を刊行されたということで、ポール・サイモンについてのインタビューを行っている。全体像に迫る試みであり、ファン必読の内容となっている。
巻頭部分の詩作品は佐川亜紀、今井好子、平井達也の三氏に加え、Marc Kober、Turfalko、南川優子の海外の三氏を迎える。加部洋祐さんの短歌作品も掲載。
「文学展望」のコーナーはマン・レイ研究家の石原輝雄さんにお願いした。瀧口修造のマン・レイ宛の手紙の話。
そしてフランス在住の及川茂さんからフランスの詩人の活動についてのご寄稿を賜り「世界の目、世界の声」のコーナー名で掲載させていただいた。
表紙を飾るオブジェ画像は今号から彫刻家の豊田洋次さんの作品となる。今号は「時空意識」という作品。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 09:10| 日記
2025年12月13日
四人組とその仲間たち2025
昨夜、東京文化会館小ホールで「四人組とその仲間たち2025」コンサートを聴いた。演奏中に地震来襲というドッキリもあった。
一曲目、金子仁美作曲「ビーム〜3Dモデルによる音楽XVII」はパーカッショニストの独奏曲(藤本隆文)。数種類の打楽器を交互に演奏する。難しそうだなと思ったのは、導入部の太鼓の連打で、かなり平板な反復なので有意味な音楽に仕上げるのは困難がありそう。中盤から終盤にかけては華やかな展開があって張り合いを感じた。
二曲目、新実徳英作曲「神の木」、これは尺八(黒田鈴尊)とチェロ(山澤慧)のデュオ。尺八が西洋音楽の秩序に入っていくのは面白くないから、チェロが尺八の世界に入っていくことになるのだろう、そのセッションのぶつかり合いが聴きどころとなる。クラシック秩序から外れると言っても、ジャズ風かといえばそういう雰囲気でもないのだが、絡み合い方の自在さという点では近いものがあるかもしれない。ジャズといえばウッドベースやジャズヴァイオリンは常連だがチェロは聴いたことがない。そういう意味では尺八とコントラバスという組み合わせも良さそうに思うのだが、今回のチェロ奏者、山澤慧氏は故・西村朗の遺作のチェロ独奏曲の奏者だったという経緯ゆえチェロは絶対に外せなかったのだろう。九章が連なる変化の妙が木の生命を感じさせる。
三曲目、西村朗作曲「カヤール」はフルート(木ノ脇道元)とピアノ(篠田昌伸)の曲。カヤールとは北インドの旋律的な歌曲の呼び名とのこと。フルートはずっと低音域で動いていて、これならアルトフルートを使う方がいいのでは?と思いながら聴いていたが、作曲者が「官能的な愛の喜悦の曲」と語る通り最後は高音域に入っていって盛り上げた。ピアノも反復のスタイルで面白い音の動きをしていた。
四曲目、酒井健治作曲「ピアノ・ソナタ第1番〈クィンタ・エッセンチア〉」ピアノ=大倉卓也。技巧的な部分もあったが、基本的にはシンプルな音の組成でオリジナリティを構築しようという試みのように思われた。
五曲目、池辺晋一郎作曲「バイヴァランスXIX」、2本のユーフォニアムで奏される(外囿祥一郎、川内愛)。この楽器はオーケストラに入ることがあるのだろうか、主にブラスバンドで活躍する印象がある。縁の下の力持ちであり、ソロでの演奏は想定されてないように思われるのだが、そこをあえて取り上げるのがこの作曲家のイタズラ心だろうか。楽器の性格から精妙なアンサンブルにはなりづらいのだが、もったりとした音の重なり合いが珍しさを帯びた音風景をなしていた。
(池田康)
一曲目、金子仁美作曲「ビーム〜3Dモデルによる音楽XVII」はパーカッショニストの独奏曲(藤本隆文)。数種類の打楽器を交互に演奏する。難しそうだなと思ったのは、導入部の太鼓の連打で、かなり平板な反復なので有意味な音楽に仕上げるのは困難がありそう。中盤から終盤にかけては華やかな展開があって張り合いを感じた。
二曲目、新実徳英作曲「神の木」、これは尺八(黒田鈴尊)とチェロ(山澤慧)のデュオ。尺八が西洋音楽の秩序に入っていくのは面白くないから、チェロが尺八の世界に入っていくことになるのだろう、そのセッションのぶつかり合いが聴きどころとなる。クラシック秩序から外れると言っても、ジャズ風かといえばそういう雰囲気でもないのだが、絡み合い方の自在さという点では近いものがあるかもしれない。ジャズといえばウッドベースやジャズヴァイオリンは常連だがチェロは聴いたことがない。そういう意味では尺八とコントラバスという組み合わせも良さそうに思うのだが、今回のチェロ奏者、山澤慧氏は故・西村朗の遺作のチェロ独奏曲の奏者だったという経緯ゆえチェロは絶対に外せなかったのだろう。九章が連なる変化の妙が木の生命を感じさせる。
三曲目、西村朗作曲「カヤール」はフルート(木ノ脇道元)とピアノ(篠田昌伸)の曲。カヤールとは北インドの旋律的な歌曲の呼び名とのこと。フルートはずっと低音域で動いていて、これならアルトフルートを使う方がいいのでは?と思いながら聴いていたが、作曲者が「官能的な愛の喜悦の曲」と語る通り最後は高音域に入っていって盛り上げた。ピアノも反復のスタイルで面白い音の動きをしていた。
四曲目、酒井健治作曲「ピアノ・ソナタ第1番〈クィンタ・エッセンチア〉」ピアノ=大倉卓也。技巧的な部分もあったが、基本的にはシンプルな音の組成でオリジナリティを構築しようという試みのように思われた。
五曲目、池辺晋一郎作曲「バイヴァランスXIX」、2本のユーフォニアムで奏される(外囿祥一郎、川内愛)。この楽器はオーケストラに入ることがあるのだろうか、主にブラスバンドで活躍する印象がある。縁の下の力持ちであり、ソロでの演奏は想定されてないように思われるのだが、そこをあえて取り上げるのがこの作曲家のイタズラ心だろうか。楽器の性格から精妙なアンサンブルにはなりづらいのだが、もったりとした音の重なり合いが珍しさを帯びた音風景をなしていた。
(池田康)
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2025年11月17日
みらいらん次号のこと、岡本勝人さんのこと
みらいらん次号(17号、冬号)はワーグナーの大作ニーベルングの指環の特集を組む予定。ワーグナーファンはご注目ください。それからアイルランド文学研究の栩木伸明さんが一昨年『ポール・サイモン全詞集1964-2016』(翻訳)と『ポール・サイモン全詞集を読む』を刊行されたということで、ポール・サイモンについてのインタビューを行っている。全体像に迫る試みで、こちらもファン必読の内容となっていると思うのでぜひお待ち下さい。
さて、岡本勝人さんが今月5日に亡くなった。非常にお元気な方という印象があり、本も次々と刊行されておられたので、急逝の知らせに驚愕した。みらいらんでお世話になっていて、とりわけ15号では小林秀雄についての神山睦美さんとの対談でひとかたならぬご尽力をいただき、感謝の念は強い。次号は連載ページに加えて特集にもご寄稿いただく予定だったのだが、どちらもいただくことは叶わなかった。非常に残念。ご冥福を心からお祈りいたします。
(池田康)
さて、岡本勝人さんが今月5日に亡くなった。非常にお元気な方という印象があり、本も次々と刊行されておられたので、急逝の知らせに驚愕した。みらいらんでお世話になっていて、とりわけ15号では小林秀雄についての神山睦美さんとの対談でひとかたならぬご尽力をいただき、感謝の念は強い。次号は連載ページに加えて特集にもご寄稿いただく予定だったのだが、どちらもいただくことは叶わなかった。非常に残念。ご冥福を心からお祈りいたします。
(池田康)
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2025年11月04日
2025年10月30日
神山睦美著『共苦─コンパッション』
神山睦美著『共苦─コンパッション』が洪水企画から〈詩人の遠征 extra trek〉シリーズの第5巻として刊行された。A5判256ページ。税込2420円(本体2200円)。8月の末から制作を始めたのだが、編集は非常に速やかに進んだ。神山さんの校正作業の速度が非常に速いのだ。それで2ヶ月で出来上がったという次第。このボリュームの評論の本としては思いがけないことで、驚いた。
カバーの袖に載せた案内文は次のとおり。
「ひとつの生の苦しみの行路の果てに確立された思想を核にもつ批評はしなやかに強く、内奥において熱い。人間世界の数多の悲劇的難問を読み解く決定的な鍵を「共苦=コンパッション」と命名する著者は、そのアルキメデスの支点に拠り、人類史の総体を視野に入れながら、中世・近代から現代に至る詩歌、小説、そして論考や学の根底を見極めて陰翳の襞をくぐる対話を試み、それぞれの文学の苦い声を非戦の祈りの和音へと解き放つ。」
目次を一覧すると……
序章 メモリー
日々流滴/流れのなかで
第一章 インタビューと対話
原民喜と原爆──青木由弥子/小林秀雄と戦争──岡本勝人/絶対非戦論──佐藤幹夫
第二章 詩論T
世界の消滅と最後の人間──夏石番矢『俳句は世界を駆けめぐる』/「死の光」への道すじ──江田浩司『メランコリック・エンブリオ 憂鬱なる胎児』/存在喪失のモティーフ──林浩平『全身詩人 吉増剛造』
第三章 思想論
「悪」の立場からの「贖罪」──大澤真幸『我々の死者と未来の他者 戦後日本人が失ったもの』/本土決戦と黙示録的情熱──笠井潔『自伝的革命論』から『例外社会』へ/「政治的なるもの」への反措定──劉燕子『不死の亡命者』
第四章 古典論
南島歌謡と柳田民俗学──藤井貞和『古日本文学発生論』/民衆の不遇感と妹の力──兵藤裕已編注『説教節 俊徳丸・小栗判官他三篇』
第五章 詩論U
存在の不遇性──現代詩文庫『有働薫詩集』/苦痛の実存──現代詩文庫『杉本真維子詩集』/プライドをそがれた言葉──小池昌代〈編〉『放課後によむ詩集』
終章 思想家論
アイロニーとしての村上一郎
以上、あとがきにも書かれているが、神山氏が自ら主宰する書評研究会の活動をきっかけに生まれた批評文や対談、インタビューを集めたものが中心となっている。岡本勝人氏との小林秀雄をめぐる対談は「みらいらん」15号に掲載されたもの。
この本を読んで強い印象を受けるのは、神山氏の文芸評論の道筋、そのいわば背骨がいかに生成してきたかが具体的によくわかるところで、大学時代に学生運動に参加したが脱落し、その強烈な挫折の意識からどう立ち直って自らの思想的確信を築いてきたか、その過程が明かされていることだ。佐藤幹夫氏との対話「絶対非戦論」に次のような言葉がある。
「あの時に戦い通したのは民青の暁部隊と、のちに連合赤軍になる連中です。私も彼らのオルグに抵抗できないまま生半可な同調をしていたら、連合赤軍に入っていたかもしれません。しかし、連合赤軍のその後は、よく知られていますが、結局は何も残していないのです。それを考えると、戦わないで逃げた私が、なんとかして考え続けてきて非戦論を起ち上げたということは、これはこれで大事なことだと自分としては考えています。」
この言葉に対して佐藤氏は、
「「戦わないで逃げた」という体験事実を、少しずつ積極的なものとして反転させ、「戦わない」という選択肢もあるんだ。いやその選択こそが非戦論なんだ、とそう位置付けてきた。こう受け取ってよいということですね。」と応じている。この対話篇は著者の立脚点を知る上で必読だ。
現在進行形の詩歌作品を取り上げた章も多い。文芸評論家で詩歌とここまで正面から向き合うのは、神山睦美氏のみと言えるのではないだろうか。文学を考える上で、とても貴重な姿勢だと思われる。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 14:04| 日記
2025年10月12日
平野晴子詩集『有為の奥山けふこえて』
平野晴子さんの新しい詩集『有為の奥山けふこえて』が洪水企画から刊行された。A5判96ページ、2000円+税。カバーの装画は田中勇次郎氏の作品(装丁は巌谷純介氏)。平野晴子さんは前の詩集で伴侶の介護の日々の波立ちを書いていたが、その彼を看取り、一人になっての老年の生を見つめる枯れた境地が今回の詩集の世界を形成している。寂しさ、心細さ、かそけさ、無垢さに染められた詩がベースになるが、過去を思い出す作品では熱い思いがほとばしったりもする。
とくに第二部に集められている「水たまり」「貝のボタン」「粥の唄」「希望」「風の舟」「風の道」「トパーズの指輪」は子供のころのお姉さんとの思い出をうたっており、複雑な感情を帯びた懐かしさのこもる抒情的な連作だ。
また第三部の「手を離した話」は叔母の満州での悲痛な行為をわがことのように苦悶して、感情のボルテージは非常に高い。そして「オムレツの月」では戦争と対峙する三重県伊勢市出身の詩人・竹内浩三に想いを馳せ、共鳴の声を合わせる。
タイトル作の「有為の奥山けふこえて」は小さなレクイエムだか詩人の現在の心境がよく出ているのではないだろうか。下に引用紹介する。
ちいさきものを抱きそぞろ歩む
ちがやの穂がなびき
つわぶきにシジミチョウが戯れている
みずひき草の髭が朝陽にひかった
ほら ここは
おまえが寝そべって
時を食んでいたところ
腹ばいになって
土のコトバに目を細めていたね
寝ていたのではない
振りをしていただけ
何も信じない
信じるにあたいしない
月も星も見あげはしない
それでいて人の膝が好きだった
おまえのその正直さをわたしは愛した
赤子ほどのものを抱きしめ
赤子ほどの
と
譬えたことにたじろぎながら
譬えを 打ち消し
譬えなおして
木のかたわらに穴を掘る
夕べ
譬えたはずの赤子が
(死んだふりができなくて)
……………………
わたしは
ここに穴を掘るだけ
そして土を
かけるだけ
そして
花を植えるだけ
土よ
抱く器となれ
ちいさきものよ
花の名で呼ばれる日まで
ここに眠れ
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:36| 日記
2025年09月11日
原利代子詩集『本を読む少年が生っている電柱』
原利代子さんの新しい詩集『本を読む少年が生っている電柱』が洪水企画から刊行された。A5変形判120ページ、2000円+税。カバーの装画は柿崎かずみさんの作品(装丁は巌谷純介氏)。帯文は次のようになっている。
「戦中戦後の時代が夢の回路を通って現在の平穏とつながる──作為も深謀もないこのイマジネーションの自在な往復運動が詩人原利代子の詩の『本』のページを清澄に漉き、綴じ合わせる。」
第一部に最近の身の回りの出来事(旅行含めて)の詩、第二部に夢にまつわる詩、第三部に子供時代を回想する詩、第四部に戦争に関わる詩を集める。現在と過去との間の自由な往還がこの詩人の詩世界の独自性を形作っており、この詩集を無二のものとしている。
そして柔軟な感性がすべての作品に作用して生き生きとした表情を顕現させている。
打ち合わせのために静岡県藤枝市のお宅を訪れてお話したのだが、非常に生気の満ち満ちた方でそれはそのまま各々の詩で活気となって息づいているように思う。
タイトル作「本を読む少年が生っている電柱」を引用紹介したい。
引っ越しを少年たちが見物している
物珍し気に首をのばし
生意気がお互いをつっつきあって
力んで荷を運ぶおとなの本気を
せせら笑ったりして
本を入れた箱の荷がほどかれると
のばす首に力がまし積み上げられた書物の周りを
いつの間にやらずかずか取り囲んだ少年たち
本の山からそれぞれが気に入ったものを見つけると
道端に座り込んでにわかの読書会が始まった
本の少ない時代だった
引っ越し騒動の家で
少年たちは本の中に嵌り込んでいった
家の引っ越しが終わっても
読書会は終わらない
暗くなると
少年たちは外の電柱の明かりの下で本を読んだ
二〇燭ほどの電柱の明かりの下
誰かがどこからか梯子を持ってきて電柱に掛けた
ぞろぞろと少年たちは梯子を上る
なるべく電灯に近いところまで上る
片足片手で梯子につかまり夢中で本を読む子
両足を梯子に絡み付かせ目は頁から離さない子
横木の間にお尻をはめ込み悠然と読む子
弱い灯りを求め危なげに身を乗り出している子
ずり落ちそうになりながらも本から目を離さない
まるで本を読む少年が電柱に生っているようだ
小さいわたしは引っ越し荷物の間からじっと見ていた
本を読む少年が重なり合って生っている電柱を
遠い昔のことだけれど
その電柱は今でもわたしの中に立っている
わたしもその電柱に生っているのだ
そして本を読んでいる
二〇燭の明かりの下で
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:42| 日記
2025年08月29日
2025年08月04日
虚の筏36号
虚の筏36号が完成した。
今回の参加者は、平井達也・小島きみ子・久野雅幸・生野毅の皆さんと、小生。
下記リンクからご覧ください。
https://www.kozui.net/soranoikada36.pdf
虚の筏のバックナンバーは下記のページからご覧ください。
https://www.kozui.net/soranoikada.html
(池田康)
今回の参加者は、平井達也・小島きみ子・久野雅幸・生野毅の皆さんと、小生。
下記リンクからご覧ください。
https://www.kozui.net/soranoikada36.pdf
虚の筏のバックナンバーは下記のページからご覧ください。
https://www.kozui.net/soranoikada.html
(池田康)
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2025年07月28日
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションのイベント 他
先週の土曜日の午後、日本橋のミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションの「新しい南画の世界」展のイベント、林浩平・林道郎両氏の対談を聴く。南画、文人画の江戸中期以来の展開、系譜の流れの大絵巻が、蕪村、大雅、木村蒹葭堂、唐木順三、石川淳、花田清輝、萬鉄五郎、大岡信、ユク・ホイ等々のキーパーソンを相互連関させながら自在に広げられた。通常の芸術、芸術家の概念とは少し(あるいは大きく)ずれた南画の精神のありようは貴重な示唆を帯びて刺激的だった。なお、今回の展覧会では、浜口陽三、後藤理絵、重野克明、染谷悠子、西久松綾、吉増剛造といった美術家や詩人の作品が展示されている。会期は9月21日まで。
この同じ日の午前から昼にかけて、映画「夏の砂の上」(玉田真也)を見た。望月苑巳さんが「みらいらん」16号で紹介していた作品。文芸映画として、コメディの要素を抑えたオーソドックスな作りと言えるか。近年の文芸映画としては函館を舞台にした佐藤泰志原作の諸作が思い浮かび、比べてみたくなるが、函館という場所があれらの映画で重要であったように、「夏の砂の上」では長崎が舞台でやはりトポスの威力が顕著だ。今作の主人公を演じているオダギリジョーは佐藤泰志映画の一つ「オーバー・フェンス」に出演していたという共通項もあり、余韻が生きているのかもしれない。今作、全体によくまとまっているように感じられたが、一点、主人公の姪があらゆる他人に毒付くような荒くれの気質を抱えているのに、やたら調子のいい母親(主人公の妹)に終始唯々諾々なのは解せず、この母娘の間にも摩擦や衝突を見たかったという小さな文句はある。
ついでにさらに一週間さかのぼって、評判になっている映画「国宝」(李相日)を見た。評判通り見応えあったが(筋のきつい派手さは好悪分かれるか)、音楽については何か言いたい気がした。音楽は原摩利彦で、彼は「夏の砂の上」でも音楽を担当していて、精妙なピアノを聴かせている。「国宝」では劇中音楽として歌舞伎の音曲が当然あり、これが我々の琴線に触れるというよりも琴線そのものとして鳴っている感じなのだが(歌舞伎の物語の中で歌舞伎の音曲に交わる、これがこの映画の魔的経験の核なのだろうと推測する)、それにかぶさるように劇伴として西洋のオーケストラやピアノの演奏が併走し、大きな問題であるのかもしれない両者の融合がなかなかうまいこと自然な形に収まっているような印象だったが、専門の音楽家諸氏がこれをどう聴くのか、こういう巧みな円満さではないもっと違うやり方でこの映画の音楽を考えたいと思う人がいるかいないか、例えば武満徹がこの映画に音楽をつけたらどうなったのか……などといったありもしない可能性を考え、考えあぐねたことだった。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 09:03| 日記
2025年07月19日
菅井敏文詩集『フラグメント』
菅井敏文さんの新しい詩集『フラグメント』が完成、刊行となった。〈詩人の遠征 extra trek〉シリーズの4巻として制作されている。96ページ、31篇を収録。本体2000円+税。カバー袖の案内文には、
「非凡な決意の悲哀を伝える「革命おじさん」、自分の行動の意味を考えないことを考える「切符を買う」、幻影のガラクタ芸術の動物を気味悪く動かす「段ボールの犬」といった前衛劇を思わせるような作品を核として、菅井敏文の詩的思考の強力な発条が存分に発揮された31篇を収める第四詩集。」
という紹介を置いた。菅井さん独特の謎めいた作品もいろいろ入っていて詩人の世界の形成に寄与しているが、上に挙げた3作は普遍的に優れた特筆したい詩として強いアピールと共に存在している。
最初に詩集原稿を読んだ時は「革命おじさん」が一番いいような気がした。2回目に読んだ時には「段ボールの犬」が最高傑作のように思われた。その前半部を下に引用したい。
段ボールの犬があるく
クレヨンで描かれた眼・口・耳・鼻
見ることができ 食うことができ
聞くことができ 嗅ぐことができるのか
段ボールの切れ端の縒れた舌
垂れたままで呼吸音が聞こえない
頭をすり寄せてくる
カビの臭いがする
仕方がないので頭を撫でてやると
犬は崩れて泥になる
段ボールの犬が近づく
興奮して吠えている
紙と紙のこすれる音がする
頭を小刻みに動かして
目をそらさないまま
飛びかかろうとする
足が地面を離れた瞬間に
犬は倒れ落ちそのまま見えなくなる
段ボールの犬が泡を吹いている
乾ききり消えかかった眼・口・耳・鼻
雑草の歯がゆらゆら動き
毛のない皮膚がめくれて風にぴらぴらする
少し生臭い血の臭いがする
起き上がろうとしたそのときに
犬は分解する
陽ざしに溶けてしまう
それぞれの読者がオリジナルなやり方で読み解いていただければ幸いだ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:24| 日記
2025年07月07日
みらいらん16号
みらいらん16号が完成した。今回の特集は「漂着する世界の破片」、世界に向けて大胆に窓を開けてみるという試み。特に方針を定めないで、ただ入り口を開ける。そうするとどんな意外なものが入ってくるか。どんな思いがけない声や形象と出会えるか。外にはどんな風が吹いているのか。外の世界との対話の場所はいかなる不安定さを特質とするか。そういったことを経験する試みである。特集の柱となる四元康祐さんへのインタビューは長時間にわたり、世界の経験が豊富で視野の広いこの詩人の話はとても示唆に富んだ、多くを教えられるものとなっている。
世界の詩人たちの参加も得られ、特別の刺激をなしている。John Solt(米国)、Marc Kober(フランス)、Tim Taylor(英国)、アイゲリム・タジ(カザフスタン)、パク・ソラン(韓国)、山本テオ(米国)、田原(日本在住、中国出身)、寮美千子(バリ島の詩を掲載させていただいた)といった方々。
エッセイでご参加の及川茂さんは、アロイジウス・ベルトランの研究の第一人者で、フランス在住。13号の「夜のガスパール」の特集をきっかけにつながりができ、今回ご寄稿いただくことになった。他に、田口哲也、佐川亜紀、神泉薫、南川優子、ヤリタミサコ、浜江順子の皆さんがエッセイを寄せてくださっている。
これまでの号の特集は日本語の世界で完結していたが、今回は世界に向けて扉を開くということで、多言語が流れ込み、母国語の重力から少し離れ、船酔いするような感覚があった。思いがけない出会いもあり、新しい世界が色々と見えてきたような気がする。広い世界を吹く風は新鮮だった。
特集以外の新しい試みとして、巻頭部分に「文学展望」という見開き2ページのコーナーを設け、第一回を中村鐵太郎さんにご執筆いただいた。巻頭部分の雰囲気が変わったのではないだろうか。
巻頭詩は、藤田晴央、佐相憲一、若尾儀武、村岡由梨の皆さん。
追記
田口哲也さんが紹介して下さったタイの詩人モントリー・ウマヴィジャニの全詩集『As Old As The World』が十部ほど余分にあり、希望者に無償で差し上げたいとのことです。ご希望の方はまず洪水企画あてメールでお問い合わせ下さい。取り次ぎます。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:17| 日記
2025年07月03日
最近のできごと
ベランダで山百合が咲いている。先週は鉄砲百合が咲いていた。匂いが室内まで入ってくる。外では鬼百合の蕾が赤く色づいてきている。
水島美津江さんが作る詩誌「波」26号に拙作「戀」を載せていただいた。手に取る機会があればぜひご覧ください。
「みらいらん」16号は昨日納品された。昨日から今日、明日にかけて発送作業。内容詳細は後日報告する予定。
フランシス・F・コッポラ監督の新作「メガロポリス」を見る。頭の中にうごめく重要なものをすべて投げ込んでやったという感じの箍が外れた狂おしい(詩的な?)創造力の怒濤に飲み込まれる。グレース・ヴァンダーウォールが歌手役で出ていた。7〜8年ほど前に、子供なのに立派な曲を作って上手に歌うと評判になった人で、気になったのか、CDも持っている(JUST THE BEGINNING)。この頃は洋楽の番組で紹介されることもなくどうしているのかと思っていたら、映画の中にいた。本業の方も充実するといいですね。
世界から詩を募るブログHerb Port of Poets(https://herbport.blogspot.com)の第二のステージHerb Port Studioを開設した。
https://herbport2.blogspot.com
ここはHerb Port of Poetsの参加者がさらに詩やエッセイを発表する場という位置付け。どちらもご覧いただければ幸いです。
(池田康)
水島美津江さんが作る詩誌「波」26号に拙作「戀」を載せていただいた。手に取る機会があればぜひご覧ください。
「みらいらん」16号は昨日納品された。昨日から今日、明日にかけて発送作業。内容詳細は後日報告する予定。
フランシス・F・コッポラ監督の新作「メガロポリス」を見る。頭の中にうごめく重要なものをすべて投げ込んでやったという感じの箍が外れた狂おしい(詩的な?)創造力の怒濤に飲み込まれる。グレース・ヴァンダーウォールが歌手役で出ていた。7〜8年ほど前に、子供なのに立派な曲を作って上手に歌うと評判になった人で、気になったのか、CDも持っている(JUST THE BEGINNING)。この頃は洋楽の番組で紹介されることもなくどうしているのかと思っていたら、映画の中にいた。本業の方も充実するといいですね。
世界から詩を募るブログHerb Port of Poets(https://herbport.blogspot.com)の第二のステージHerb Port Studioを開設した。
https://herbport2.blogspot.com
ここはHerb Port of Poetsの参加者がさらに詩やエッセイを発表する場という位置付け。どちらもご覧いただければ幸いです。
(池田康)
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2025年06月04日
愛敬浩一さんの急逝
愛敬浩一さんが亡くなられたとのこと、知らせを聞いて驚いた。新しい本の制作に入っていて、その関係もあり、また「詩素」春号のまれびとにご登場いただいたこともあって5月の初めにメールをいただいており、なんの変哲もない普通の文面だったので、お元気なのだろうと思っていた。
電話で奥様にお聞きしたら、5月の10日から11日にかけての夜中に逝かれたとのこと。風邪気味だと言っていたくらいで特に大病を患っていたわけでもなかったとのことで、医者の診断でもはっきりしたことはわからなかったそうだ。本人も死ぬつもりは全くなかっただろうと思うとの奥様のお言葉だった。
洪水企画では〈詩人の遠征〉シリーズで5冊刊行させていただき、そのいずれも充実した評論で、一緒に作りながら大いに勉強になったことだった。恩義は大きいと言わなくてはならない。1952年生まれだから72歳か73歳か、まだまだ若かった。心よりご冥福を祈りたい。
「みらいらん」次号では、最後のエッセイ(テレビドラマ批評)を掲載するとともに、小生の短い追悼文も載せる予定。
(池田康)
電話で奥様にお聞きしたら、5月の10日から11日にかけての夜中に逝かれたとのこと。風邪気味だと言っていたくらいで特に大病を患っていたわけでもなかったとのことで、医者の診断でもはっきりしたことはわからなかったそうだ。本人も死ぬつもりは全くなかっただろうと思うとの奥様のお言葉だった。
洪水企画では〈詩人の遠征〉シリーズで5冊刊行させていただき、そのいずれも充実した評論で、一緒に作りながら大いに勉強になったことだった。恩義は大きいと言わなくてはならない。1952年生まれだから72歳か73歳か、まだまだ若かった。心よりご冥福を祈りたい。
「みらいらん」次号では、最後のエッセイ(テレビドラマ批評)を掲載するとともに、小生の短い追悼文も載せる予定。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:04| 日記
2025年05月17日
ティムさんのブログ
英国の詩人ティム・テイラーさんがご自身のブログで小生の詩やブログHerb Port of Poetsのことを紹介してくださった。
https://timwordsblog.wordpress.com/2025/05/17/welcome-yasushi/
https://timwordsblog.wordpress.com
ありがたいことだが、これはブログHerb Port of Poetsの縁。彼は英国在住の南川優子さんの詩友で、ここにも参加してくれているのだ。(南川さんはブログのアドヴァイザーをして下さっている)
https://herbport.blogspot.com/2025/05/tim-taylorunited-kingdom.html
https://herbport.blogspot.com
さて今回、ティムさんのブログで紹介された2篇のうち「Umbrella」は、去年の詩集『ひかりの天幕』に入れた作品で、Herb Port of Poetsにも出したもの。
「Exile」は30年以上前の作品「亡命」で、最初の詩集に入っている。ある方が注目して下さったのを思い出し、短いので即席で英訳してみた。原文は次のとおり。
古代の折鶴が
常闇の闇の奥へと飛んでゆく
ときどき首をねじ曲げて
煤けた星に名残りを惜しむ
久しぶりに第一詩集『ロマンツェ』を開いたのだが、感じたのは、字が小さいなあということ。2.5ミリ角くらい。一体何を考えてあんな小さな字で組んだのか、首をひねるばかり。
先日、かなり久しぶりに嶋岡晨さんにご自宅を訪ねてお目にかかり、お元気そうだったが、字が小さいと読めないとこぼしておられた。それは私も同じで、3ミリ角の字はきついと感じられてきている。
私のメールの字が大きくて驚くと言われたりもするのだが、そういう理由もある。
(池田康)
https://timwordsblog.wordpress.com/2025/05/17/welcome-yasushi/
https://timwordsblog.wordpress.com
ありがたいことだが、これはブログHerb Port of Poetsの縁。彼は英国在住の南川優子さんの詩友で、ここにも参加してくれているのだ。(南川さんはブログのアドヴァイザーをして下さっている)
https://herbport.blogspot.com/2025/05/tim-taylorunited-kingdom.html
https://herbport.blogspot.com
さて今回、ティムさんのブログで紹介された2篇のうち「Umbrella」は、去年の詩集『ひかりの天幕』に入れた作品で、Herb Port of Poetsにも出したもの。
「Exile」は30年以上前の作品「亡命」で、最初の詩集に入っている。ある方が注目して下さったのを思い出し、短いので即席で英訳してみた。原文は次のとおり。
古代の折鶴が
常闇の闇の奥へと飛んでゆく
ときどき首をねじ曲げて
煤けた星に名残りを惜しむ
久しぶりに第一詩集『ロマンツェ』を開いたのだが、感じたのは、字が小さいなあということ。2.5ミリ角くらい。一体何を考えてあんな小さな字で組んだのか、首をひねるばかり。
先日、かなり久しぶりに嶋岡晨さんにご自宅を訪ねてお目にかかり、お元気そうだったが、字が小さいと読めないとこぼしておられた。それは私も同じで、3ミリ角の字はきついと感じられてきている。
私のメールの字が大きくて驚くと言われたりもするのだが、そういう理由もある。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 21:59| 日記
2025年05月05日
詩素18号
今回の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、大橋英人、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、大家正志、高田真、南原充士、新延拳、二条千河、野田新五、肌勢とみ子、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠のみなさんと、小生。
ゲスト〈まれびと〉は、愛敬浩一さん。
巻頭は、沢聖子「ひかり」、海埜今日子「犀はての象たちを思う」、大家正志「蟻」。
表紙の詩句は、ジョン・クレアの「Little Trotty Wagtail」。
裏表紙の絵は野田新五さん作。
ぜひご覧下さい。
詩素バックナンバー:
http://kozui.sakura.ne.jp/siso.html
(池田康)
posted by 洪水HQ at 10:26| 日記
2025年04月27日
最近の音楽生活
春になってベランダの百合が芽を出し背を伸ばし始めたとか、夏目漱石の晩年のエッセイや小説をぼつぼつ読んでいるとか、先週「みらいらん」次号の最重要の取材を行ったとか(これについては後日改めて)、詳しく報告してもいいことはいくつかあるにはあるが、今回は最近の音楽生活について。といってもコンサートに行くのは何かと大変なので、すべてテレビ・ラジオ・CD・DVDでの視聴になる。
お馴染みの曲でも演奏の仕方によってとても新鮮に聞こえる時がある。最近ではN響がやったムソルグスキーの「展覧会の絵」やメトロポリタン歌劇場によるビゼー「カルメン」上演が思いのほか楽しく刺激的に聴くことができた。細かい部分で創意工夫があるのだろう。未知の曲では、ユジャ・ワン、ヴィキンガー・オラフソンのピアノ連弾による「ハレルヤ・ジャンクション」(ジョン・アダムズ作曲)はスリリングだった(NHKEテレ3月16日)。それとワーグナーの「ニーベルングの指環」(バイロイト1991-2)をDVDにて視聴、これも心身を揺るがす経験であった。
それから、これはCDだが、チェリストのマリオ・ブルネロによるバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータを繰り返し聴く。チェロ・ピッコロという小型の楽器で弾いているようだが、よくこの曲をチェロで弾こうと挑戦するもの、そしてここまで弾きこなす神技。複数の弦を同時に鳴らす重音の響きがことに心地良い。ヴァイオリンでは不可能な豊かな低音の広がりがありがたい。この演奏の存在を知ったのはラジオだったかテレビだったか、記憶がおぼろ。ブルネロはもちろん無伴奏チェロ組曲も録音しており、この両方の無伴奏曲を一人で演奏するのは画期的で、おそらく彼が最初(で最後?)か。
それから、「みらいらん」13号のラヴェルを論じた文章で、この作曲家のピアノ曲を聴くのに手に取りやすいのはいまだにサンソン・フランソワなのだろうかと書いたが、最近都心のタワーレコードを訪れたら、若い世代のピアニストが続々ラヴェルのピアノ曲全集を出していることを知った。4種類ほどあるうちから、務川慧悟とベルトラン・シャマユというピアニストのCD(2枚組)を入手、比べながら聴いてみている。どちらも優れた演奏技術を駆使しての演奏だが、務川版の方が表情の付け方という点で説得力があり受けとめやすい、聴きやすいような気がした。シャマユは、やや速いテンポが自分のピアノ演奏のダンスには合うと語っているから、そのしなやかな運動性に沿って聴くべきなのだろう。とにかくラヴェルのピアノ曲に関しては当分の間文句をつぶやくこともなく楽しめそうだ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:42| 日記
2025年04月21日
日本詩人クラブ詩界賞授賞式
他の受賞作品は、日本詩人クラブ賞は冨岡悦子詩集『斐伊川相聞』、新人賞は丸田麻保子詩集『カフカを読みながら』、詩界賞は宮崎真素美著『鮎川信夫と戦後詩』。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:21| 日記
2025年04月01日
平井達也詩集『ぶらり』
「平井達也の詩法は、意外な場所に視点を据え、モチーフをひねり、凡庸な予想を超えた把捉と解体で詩を紡いでいく。読者は思わぬ体勢から背負い投げをくらったかのようにふわりと宙に泳がされるのだ。」
という案内文を表紙の背後側につけてみた。思考のアクロバット、抒情のシニカルで過激な屈折はどの詩篇にも見出され、それが平井達也作品を読む時の大きな味わいどころとなるのは間違いない(躓くポイントにもなりかねないが)。
その特徴の最もよく出た派手な作品、たとえば、
アラスカからケニアまで
一直線に閉じられたジッパーを
開く技術だ
アラスカから甲虫まで
一直線に連なる命を
展翅する技術だ (「外交」冒頭部)
このような詩をここで紹介するのがいいのかもしれないが、お許しをいただき、雰囲気は地味だがどうしても見過ごせない一篇、風変わりな恋愛詩「印字」の前半を引用する。抑制が効いている中に感情が沈潜する。ことに冒頭3行は、あまりにも見事、と言うほかない。
明朝体で愛をもらせば
ひとりの部屋に悲しみが
薄紅色に凍りつく
乗り遅れた電車には永遠に乗り遅れたまま
出し損ねた表札の凹部にまず埃が積もる
わが凹部
わが穿孔部
明朝体で名前を呼べば
広すぎる余白が凍りつく
寒さのあまり起立する句点 (後略)
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:32| 日記
