2017年04月21日

ノイズを操る歌声

昨夜、作曲家の佐藤聰明さんの奥方の佐藤慶子さんの歌&ピアノのリサイタルを南青山MANDALAで聴いた。主に万葉集の和歌をテキストにして自ら作曲しピアノ弾き語りでうたう。ポップス的明快さで作られた曲もあれば、そのような歌謡秩序からはみ出た薄暗がりで紡がれた曲もある。どちらかと言えば後者のほうに惹かれた。たとえば、子持山若蛙手のもみつまでねもと我は思ゆ汝はなどか思ゆ、という読み人知らずの詩句の「子持山」、織女舟乗りすらしまそ鏡清き月夜に雲立ちわたる(大伴家持)の「織女」、あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る(額田王)の「あかねさす」といった曲。「桃花の乙女」は、春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ乙女(大伴家持)の一首を取り上げるが、この歌は伊福部昭の作曲したものがとても印象的だが、佐藤慶子版も非常に美しい。
聴き応えのある歌手は繊細で強力で高性能のノイズ発生装置を所有しており、たとえばハスキーヴォイスや独自のこぶしやガッと凄む息遣いやシャウトや意図的音程崩しのような形で巧みにノイズを混ぜ込んで強く訴える表現を作り上げてゆくのであり、ひたすら透明できれいな歌声もけっこうだけれど、上手にノイズ成分を操れたらなお良いという理論をこの頃ひそかに懐でもてあそんでいるのだが、佐藤慶子さんも少ししわがれた声でうたうので、不意にまた自然にしっかりした声からかすれた声に転じる、その声の裏返りの絶えざる変転が「尺八の演奏に似た」とも言えるのかもしれない魅力を生み出していた。
(池田康)
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2017年04月15日

ついでも重要

好天気だった一昨日、昨日とつづけて、所用あって東京方面へ向かった。
一昨日は用事のついでに、新住所に移転したばかりのギャルリー東京ユマニテでの移転オープン記念展「加納光於《稲妻捕り》Elements1978 「言ノ葉」と色象のあわいに」を観た。瀧口修造との共作『稲妻捕り』(書肆山田)の原画が展示されていて、瀧口の言葉とともに雲の運動の絵が並ぶ。Boschを主題にした魚が描かれる水彩画もよかった。新ギャラリーは地下に降りなくていいのがありがたい。
昨日はやはり用事のついでに、大森のライブハウス「風に吹かれて」で、K2(六文銭のメンバーである及川恒平・四角佳子のユニット)のライブを聴いた。ベテランならではの余裕のある落ち着いたのどやかさが基調かと思ったが、後半では元気に騒ぎあばれるにぎやかな演奏もあり、うきうき気分で楽しめた。個人的には「ガラスの言葉」(超絶拓郎曲デス)が聴けたのが嬉しかった。最後の「出発の歌」は小さなスペースいっぱいに響いて聴くというよりも曲の中に入り込んでしまったかんじだった。この日の用事とは、及川恒平さんへのインタビュー、これは「洪水」次号特集のため。ご期待ください。
(池田康)
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2017年04月08日

国分寺から国立へ

昨日は国分寺駅近くのくるみギャラリーに山本萠さんの作品展を見に行った。山本さんは絵も描くが、今回は書の作品が中心。詩の一節を書いたものは声の立ち居が視覚化され、一文字だけ書いたものは字そのものが蔵する思想がにじみ出る(世界を解するモノであるはずの文字が不可解な影と化すところが面白い)。小さなギャラリーが特別な書斎と化していた。
そのあと、近くにある殿ヶ谷戸庭園(立体感の妙)に遊び、国立の咲き誇る桜にまみえた。数人で行ったので、なんということもない軽いおしゃべりをしながらゆっくり食事をする。花見のときの飲食は、それによって時間を音もなく経過させるという意味もあるのだろう、午後から夕暮れ、そして夜と、光の量と色合いが変わっていく中で桜の映え方も変化してゆくのが妖艶だった。
(池田康)
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2017年04月03日

手引き

このあいだ牛丼屋で牛丼を食べていて、思い出した。大学のとき或る先輩が牛丼屋に連れていってくれたのが初めての牛丼だったと。紅生姜と七味唐辛子とで食べることもそのとき教わった。それまでは食べたことがなかったのだ。家では牛丼を食べる習慣がなかったから、食べたいという欲求がまったく湧かなかった。そこがカレーライスやラーメンやトンカツと違うところだ。未知のものに近づくには「手引き」が要る。誘い、きっかけ、コマーシャル。ただ手引きがあれば身につくかと言えばそうでもなく、麻雀や囲碁を教えてもらったこともあるが、プレイできるようにはならなかった。将棋はルールを知ってはいるけれど指しながら駒組みの思考を練ることがまともにできず出鱈目なへぼ将棋だ。ゲームの才能に欠けるところがあるらしい。スキーは高校の先生に、スケートは父親に(名古屋の西大須にはスケート場があった)教えてもらったけれど、子供のころやっただけで、ここ三、四十年滑っていない。なぜ持続しないのだろうと首をひねるばかり。
スケートといえば先日フィギュアスケートの世界選手権があり、イタリアのカロリーナ・コストナーがひさかたぶりに出ていた。数年前なにかの大会で彼女の翔けるようなスケーティングにほれぼれ見とれた経験があって、そのときの残像とどれだけ重なるか探りながら今回眺めていた。ぴったりは重ならなかったように思うが、トップ選手と競えるレベルで元気に滑ってはいた。音楽を選ぶ独特のセンスも他の人とは違うものを感じさせる。
フィギュアスケートという特殊なジャンルにはどんな手引きがあり得るのだろうか。子供がやりたいと憧れるのか、大人が導いてやらせるのか、どちらにしてもとても特殊な種目(職業)だ。よく志望するもの、宇宙飛行士並みに厳しい「狭き門」のように思われる。
(池田康)
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2017年03月27日

蒸気機関車に乗る

IMG_5875.JPG最近、静岡県の大井川鐵道に行き、蒸気機関車に乗ってきた。この日はC5644が走った。ほかにC11とかC12とかあり、日によって変わるようだ。C5644は戦時中タイに行っていたのを帰国させて今ここで働いているのだそう。大井川に沿って時速40キロぐらいのゆっくりのスピードで走るのがひなびた感じでよい。家山駅付近の桜並木はまだ咲く前だったが、沿線の所々に梅だか桃だか桜だかが咲いていて、さりげなく花見の気分を味わえた。この沿線の家に住む人達は毎日蒸気機関車が走るのを眺めているのだと驚きとともに気がつく。
写真は機関車を転車台の上で方向転換するところ。終点の千頭駅に着き、復路に向かうので機関車を列車の反対の端に逆向きに連結するため、頭の向きを変えるのだ。なんと人力で5人掛かりで作業していた。
(池田康)
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2017年03月16日

「樹林」春号

申告を抜けると春であったーー税務署の書類を作る苦労は毎年変わらない。ひいひい、そわそわの一ヶ月だ。だから提出してしまうと途端にのんびりした気分になり、うららかな春の季節に踏み込むのだ。
さて大阪文学学校の機関誌「樹林」の春号に平野晴子さんのロングインタビューが載っている。詩集『黎明のバケツ』が小野十三郎賞特別賞を受賞したため。聞き手は中塚鞠子氏。この詩集に関する話をたっぷりと読むことができる。
なお同号には私も山田兼士さんの詩集『月光の背中』の書評を寄稿している(発行人であるにもかかわらず!恐縮!)。ぜひご覧ください。葦書房、本体800円。
(池田康)
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2017年03月13日

二つのコード進行

コトリンゴのアルバムを何枚か聴いている。この人の立つ位置はかなり流動的で、ジャンルで言えば、あくまで私見だが、ポップスの端っことクラシックの端っことジャズの端っこと環境音楽の端っこが重なるか重ならないかぐらいのところで漂いながら音楽を創っているように思われる。ある種の「フュージョン」の人なのだ。べったりの歌謡ではないので、歌を聴こうという心積もりでのぞむと肩透かしを食らったような気がすることもあるかもしれない。ある曲ではポップスの要素が比較的強いが、別の曲ではクラシックのような展開が目立ったり、ピアノがジャズ風な動きをして賑わせてみたり、音楽の設定の土台から組み立て方を細やかに変貌させてゆく。だから一本調子にならないわけで、だから掴みがたいということにもなるわけだ。通常の意味での和音のコード進行はもちろんあるのだろうが、それに加え、いかなるジャンル要素の構成で作るか、ジャズがリードするか、歌の旋律が前面に出るか、環境音楽的な引っかかりの乏しい怠惰な響きの流れを主とするか、つまりどういうブレンドにするか、どのジャンル的特徴ににじり寄るか、それがどう変転していくかという意味での第二のコード進行が論じられうるかもしれず、そういう視点でコトリンゴを聴くとひょっとしたらこの人の創造性の焦点にうまく近づけるのではないか。もちろんすべての曲で、えぐかったり強すぎたりしないくすぐるような甘味、心地よい柔らかさ、安易にわかりやすく高揚せずはぐらかす旋律線の曲がりかた跳びかたは認められ、それがこの音楽家の〈歌〉の核をおぼろに型抜きしている。どの曲も楽しく聴けるが、「ツバメ号」(『bird core!』)、「読み合うふたり」(同)、「友達になれるかな?」(『trick&tweet』)、「でたらめサンバ」(同)なんかは秀抜なユニークさがあり、どんな音楽の好みの人でもオヤッと思うだろう。
(池田康)
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2017年03月10日

気のダイナミズムの音楽

昨夜、紀尾井ホールでオーケストラアジアジャパンの演奏会(指揮=稲田康)を聴いた。新実徳英さんの新曲が初演されるということで。オーケストラアジアジャパンとは日中韓の音楽家で作られたオーケストラアジアの日本人メンバーのグループ。前半は、七人の筝による「風と光と空と」(佐藤敏直作)、三本の尺八のための「ソネット」(三木稔作)、三味線と邦楽器オケによる「三味線協奏曲」(長澤勝俊作、三味線=杵屋彌四郎)。筝の奏者の方たちはみなピンク系の着物を着ていて華やか。ステージに立つ音楽家は黒っぽい服を着ることが多くそれも理解できるが、こういう彩りも悪くない。筝はピアノとかピアニシモで弾くときれいに響きがふくらむこともわかった。三味線、鋭い激しさで存在感を示す。
後半、ソロ曲「溌水節」(伍芳作)と協奏曲「丹青仙子」(劉文金作)は中国古筝(=伍芳)の曲。スティールとナイロンでできた弦だそうで、明るく強い響きでくっきりした演奏効果がある。オケはへんてこな濁りの響きも出してくるが、基本的にはくぐもらない明朗さ。新実さんの新曲、二十五絃筝協奏曲「魂のかたち」は、なによりも気合いのみなぎりが強力だった(二十五絃筝=滝田美智子)。それまでの曲目は音楽のロジックを冷静に組み立てていく姿勢が見られ、聴く側もそれを一つ一つ辿っていく感じで聴けたが、コンサート最後の曲でしかも新曲初演となると弾く方も特別の気迫がこもるのだろう、音の気が異形を呈するようになる。聴衆も、聴くよりも感じる。新実さんは演奏前にステージ上で話をし、いま取り組んでいるピアノのエチュードと同じような狙いで作ったと語ったが、ピアノのエチュードが精密な論理を追求しているように聴こえたのに対し、今回の曲は論理よりも気合い、気が作る山々の形、気の流れのダイナミズムが設計されているように感じられた。幽霊も出現する時は(それがあるとすれば)現実世界の秩序論理を突破しうる破格の気合いでもって出てくるのであろう。魂のかたちとは気の働きの絵図なのだ。オーケストラの部分もかなりばらばらに動く難しい書き方をしたとのことで、弾く側も自分がはたして正しく弾けているのか、初演でもあるし、心許ないかんじもあったと推測され、その分余計に曲の生成に向けて一入の気を注ぎ込んだのだろう。日本人作曲家の現代音楽曲はこのように特別の気合いによってインパクトを得て良い曲になる場合が案外あるのではないかとも思われた。
(池田康)
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2017年03月06日

井上郷子ピアノリサイタル#26

上記演奏会を昨夜東京オペラハウスリサイタルホールで聴いた。サブタイトルは「近藤譲ピアノ作品集」で、この作曲家の作品ばかりを集めた構成となっていた。曲目は「イン・ノミネ」「夏の小舞曲」「メタフォネーシス」「テニスン歌集」「視覚リズム法」「リトルネッロ」「ギャマット」「カッチャ・ソアヴェ」「間奏曲」。
渡されたプログラムとは違った曲順で演奏されたので、その案内の紙は挟んであったのだが、気がつかなかった私はどの曲が演奏されているかについて混乱を感じながら聴いていた。従ってここで曲名を明示してうまく話をすることができないが、石か鉄でできているかのような無機的感触の音がシンプルに質実に置かれるというのが近藤氏の基本的な作曲のありかたのように感じられた。音が流れずに其処に佇む、という風情。従ってグルーヴを生むというよりも「秩序」がスタティックに立ち現れるという感じだ。こういう種類の曲を弾きたいと希求するピアニストは、音楽に酔いたい・音楽で遊びたい、ではなく音楽というものを考える音楽をやりたいと思うピアニストなのだろうと推測する。井上さんはおそらくそういう傾向を少なからず有しているのではなかろうか。
ちなみに近藤譲特集のリサイタルを井上さんは2011年3月にも開いており、それを聴いた感想をこのブログに書いている(2011年3月29日付、曲目もかなり重なっている)ので、それも参照していただきたい。
(池田康)
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2017年03月05日

神原芳之詩集『青山記』出版記念会

上記の会が昨日市ヶ谷アルカディアで開かれた。神原芳之はドイツ文学研究者の神品芳夫さんの詩人としてのペンネーム。今回が第一詩集だという。詩作はここ数年で始められたのだそうで、詩集を出すまでの苦労がステージ挨拶で語られた。一読、前半に収められた戦争にまつわる作品がまず印象に残る。ドイツ文学のイメージばかりが強い神品氏だが、当たり前ながら日本人としてこの時代を生きてきて割り切れない切実な経験をされてきたのだと実感させられる。もっとも鋭いものを感じたのは、昭和20年8月15日の終戦の日をうたった「八月十五日」だ。

 雲ひとつない紺碧の空から真夏の太陽が
 黒ずんだ光を差し込む
 砂浜に現れるわずかな人影がよろけていた

で始まり、第三連は

 路地の隣組ではいつも会う面々に活気がない
 「玉音放送」を聴く
 初めて聞くあの方の声 祝詞のような抑揚

とある。そして第六連。

 駅の向かいの本屋の二階での定例囲碁会は
 中止にならない
 前回負けた借りは返さないわけにいかない

終戦の日に「定例囲碁会」が開かれていたという意外性がとても面白く、人間の逞しさ、バイタリティを思わせるとともにアイロニーのかけらのような奇妙な苦みも感じさせる。
以前「洪水」誌でリルケについてお話をうかがったとき、好きな人ならば神格化してしまいそうなこの詩人について、突き放すところは突き放し、巧みな距離感を維持して語られていたことを思い出す。人間に対し、社会に対して、独自の距離をもった目にオリジナリティがあるとも言えそうだ。
これからは第二詩集を目指すとのこと、一層の充実を期待したい。
なお『青山記』は本多企画刊。
(池田康)
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2017年02月28日

四国行き

現代詩人会の高知大会(25日)を覗きがてら、『詩国八十八ヵ所巡り』の宣伝に四国各地の書店を回った。
大会のプログラムのメインは、林嗣夫氏の講演と武藤整司氏のビデオ講演。林氏の話は、言葉の働きが大小さまざまのフィクションを作り出し、それに囲まれ囚われて我々は生きているが、そこから出て、存在そのものが現れる光景ににまみえることの大切さを説き、思いがけないもの、他者性へ向けて開くことの重要さが語られた。武藤氏はあらかじめビデオに収録したものを会場で流すという風変わりさが妙に面白く、詩的生活と散文的生活とを語の羅列で端的に表現する巧みさ、さらに詩の発動を心の昂揚、実存の不思議、そして解放感という各ポイントで示していくリズムのよさを楽しむことができた。
今回の旅は、振り返ると順調そのものであり、利用した交通機関はすべて時刻表を一分と違うことなく正確無比に動き、訪れた四都市のどの書店でも担当の方あるいはそれに準ずる方に会うことができて、とても幸運だった。一昨年の北海道旅行では帰りの飛行機が雪で運行中止になったし、昨年の沖縄旅行では体調を崩して大変な思いをしたので、今回もハラハラしていたが、ありがたいことに杞憂だった。四国は再度訪れたくなる土地で、各地それぞれが長閑な心持ちで培う魅力の一端に触れることができた。
(池田康)
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2017年02月19日

書評の速報

今日の「しんぶん赤旗」に『詩国八十八ヵ所巡り』の書評が掲載されました。ご覧いただければ幸いです。
(池田康)
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2017年02月17日

さらに、小説の話

作曲家の新実徳英さんに教えられて読み始めたのは、4年前に亡くなった連城三紀彦。新実さんとは同級生かそれに近い関係だとか。匠の技の隙のない緻密な組み立てという点では二人は似ているが、とくに戦前や大正時代を舞台とした『戻り川心中』(光文社文庫)の諸作に顕著な頽廃の毒は、どちらかというと健康的な新実さんにはない要素だろう。現代物も心の病みの相が鋭く析出されて怖気をおぼえる。この世界は大好きではないかもと思いながら読み継いでしまうのはなんなのだろうか。
ロバート・A・ハインラインはラジオで紹介されていたのを聞いて読み始めた。長編小説は優れたストーリーテラーの練達の手並みを示すが、短編は素っ頓狂な発想の形而上学性に驚かされる。意想外の刺戟がかならずある作家。
というわけでここのところは『小さな異邦人』(連城、文春文庫)、『輪廻の蛇』(ハインライン、ハヤカワ文庫)の収録作を読んだりしている。
(池田康)
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2017年02月14日

二つの小説

誰かから勧められて小説を読むということが時々あって、正月にはいつかお会いした時に呉智英さんが言及していたカルペンティエルの『失われた足跡』を読んでいた。岩波文庫版を買っておいたまま一年くらい過ぎていたが(日の当たるところに置いていたので表紙も変色してしまった)、正月という大区切りのときしかないと一念発起で読み始めた。また一月末から二月初めにかけては野田新五さんに勧められ今評判の恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)を読んだ。
どちらも音楽が柱となっている作品で、音楽の根っこを考える試みが見られ、文明国の娯楽市場システムを逸脱した音楽創造の可能性が描かれていて、専門家的視点からの音楽の記述描写は珍しい種類の刺戟をもたらす。
カルペンティエルはラテンアメリカのマジック・リアリズムの祖とも見なされているそうで(文庫解説による)、他方ではフランスのシュルレアリスムにも関わっていたようで、シュルレアリスムとマジック・リアリズムが音楽を伴いつつつながるというのは面白い。マジック・リアリズムとは言い換えればシュルレアリスティック・リアリズムということでもあるか。
『失われた足跡』にはそんなに濃いマジックの要素はないし、『蜜蜂と遠雷』もマジックの要素は希薄だが、音楽経験をたどる言葉の記述は幻覚を見ているかのような夢見心地の感覚を醸す。
(池田康)
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2017年02月12日

書評ごらんください

弊社刊『詩国八十八ヵ所巡り』の書評が今日の毎日新聞に出ました。ぜひご覧下さい。
(池田康)

追記
2月10日付の高知新聞にも書評が掲載されました。
2月19日付のしんぶん赤旗にも書評が掲載されました。
ありがとうございます。
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2017年01月31日

『詩国八十八ヵ所巡り』

shikoku88.jpg詩のアンソロジー『詩国八十八ヵ所巡り』(燈台ライブラリ3、1300円+税)がようやく完成した。カバー袖の案内文では「四国八十八ヵ所巡礼になぞらえ、近現代日本を代表する八十八人の詩人の作品を集めて百年の心の歴史をたどるアンソロジー。この一冊を繙く巡礼は、時代的視野を広げまた深め、詩の生まれる意味を考えさせ、文芸による心魂の浄化の可能性を証し、人生にきびしい核をそなえた真摯さをもたらすだろう。選・解説は高知出身の嶋岡晨。」と謳っている。時代を背負う詩文学の重みがひしひしと感じられ、新書判192頁のコンパクトな一冊にこれら88篇の詩がきれいに収まってしまったのは制作側としても驚きだった。
収録されている詩人は「峠三吉/鮎川信夫/山本太郎/田村隆一/谷川雁/黒田三郎/関根弘/宗左近/石原吉郎/金子光晴/天野忠/長谷川龍生/黒田喜夫/秋谷豊/菅原克己/飯島耕一/木原孝一/嵯峨信之/木島始/真壁仁/清岡卓行/石垣りん/川崎洋/伊藤桂一/井上俊夫/会田綱雄/山田今次/吉野弘/谷川俊太郎/城侑/山村暮鳥/高村光太郎/萩原朔太郎/佐藤春夫/西脇順三郎/田中冬二/宮沢賢治/八木重吉/丸山薫/北川冬彦/三好達治/尾形亀之助/高橋新吉/富永太郎/小熊秀雄/村野四郎/中野重治/春山行夫/草野心平/小野十三郎/山之口貘/瀧口修造/竹中郁/近藤東/坂本遼/原民喜/神保光太郎/永瀬清子/伊東静雄/高見順/中原中也/井上靖/津村信夫/菱山修三/槇村浩/立原道造/淵上毛銭/串田孫一/野村英夫/吉田一穂/安西均/吉岡実/中桐雅夫/三好豊一郎/那珂太郎/北村太郎/吉本隆明/茨木のり子/中村稔/新川和江/大岡信/白石かずこ/入沢康夫/三木卓/荒川洋治/葵生川玲/片岡文雄/嶋岡晨」といった並び。選出・解説の労をとっていただいた嶋岡さんには心より感謝したい。
今回このような本を編集してみて切実に感じたのは、テキストを決定する(それを校正する)大変さだ。一人の詩人の一つの作品でも複数の雑誌・詩集・選集に載っていてそれぞれ形が微妙に違っていたりする。どの版を典拠にするかによってテキストの姿が変わってくるわけだ。その決定は嶋岡さんの考え・指示に従ったものもあれば(鮎川信夫作品など)、編集部が入手・閲覧しうる最も信頼できそうな書物という観点で決まったものもある。有名な作品は△△文庫など普及版に拠っているものもある。萩原朔太郎の「竹」の第七行目はオリジナルは「かすかにふるえ。」となっているようなのだが、筑摩書房の全集版では「かすかにふるへ。」となっていて、こちらの方が文法的に正しいように思われるので、筑摩の全集に拠った。語法的に怪しかったり誤りに見えても、正しい表記に直っている本が見つけられなかった場合はそのままにしてある(そこまで踏み込んだ校訂は差し控えた)。そもそも詩を書くという行為はときに限りなく我儘で身勝手なのだ。旧仮名遣いのものもあれば新仮名遣いのものもあり、後者の場合でも拗音促音は小さい字にしないという作者の好み・方針に従った書き方のものもあり、それぞれ典拠したテキストの通りにしたので、統一感という点ではばらばらな混在の感じがするかもしれないが、それがこの百年という時代の幅なのだという認識をもって了解していただきたい。
そして更に、一作の背後には同じ作者による他の優れた百作二百作があり、選ばれた詩人の間には他の実力ある百人二百人の詩人がいるという無論の想像力も望まれる。詩に関心があるすべての人の必読の書、ぜひ手に取って下さいますよう。
(池田康)
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2017年01月28日

平井達也詩集『積雪前夜』ほか

北海道の二条千河さんが上京するというので、急遽「詩素」1号の執筆者で集れる人が集り、昨日ちょっとした研究会と食事会をしていた。二条さんが彼女の文学生活の出発点となった「三国志」の魅力とそれに基づく創作を語ったり、「詩素」創刊号についての意見を交わしたり、現代詩の根本的難点を議論したり。
平井達也さんも参加していたのだが、彼は最近詩集『積雪前夜』(潮流出版社)を出したので、その感想なども。平井さんは「虚の筏」「詩素」に作品発表していて、その都度なんとなく読んでいたが、一冊の作品集にまとまってみると「この人はこういう作者だ」というくっきりとした印象を受け取ることができる。苦いユーモアがあり、イメージの繋げ方が巧みで、生活の中の小さなずれや軋みを梃にして奇妙な呻きのこもった絵をつくってゆく。
「それにしても牛丼お新香セットが/美味しいことが悲しいのだ」(「昼休みの牛丼」)こんなささやかな哀歓も実感としてわかるのがまたもの悲しい。
「商談」の後半:

 営業マンというのも大変だ
 都内で雪男が発見されるくらいに大変だ
 山手線の外回りと内回りが結婚して
 小さな山手線を産むくらい大変だ

 誰も商談とは無縁でいられなくなって
 ファミリーレストランでは
 電卓と正直さは叩かれっぱなしだ
 ほんとうに私たちが交わすべき契約は
 どこかの錆びた金庫にしまいこまれたまま

お金を払ったり受け取ったりの、我々の生活を形成している商売というものの骨折りと胡乱さが今更ながらしみじみと感じられてくる。
「債務」という詩もある。その第4連:
「日々に債務が貼りついている。恋人も仲間もいつか去っていくのは誰かに返さなければならないものだからだきっと。それでも返済が終わることはない。永遠に万人から回収し続ける巨大な債権者がいる」
この債権者からは逃げることができないらしい……
(池田康)
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2017年01月18日

山野楽器に19号納品

銀座の山野楽器本店に「洪水」19号を納品しましたので、おでかけいただき、ご購入下さい。3階の楽譜・書籍売場です。
(池田康)
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2017年01月13日

脳の風邪

風邪の季節。この時期は誰しも一時的にバカを卒業する。ここのところ風邪の状態が続いていた。ちょっと咳をすると頭痛の叫びが反響する。そんななか数日前、新宿に出る用事があり、負担を最小限に抑えてなんとか切り抜けたのだが、その疲れが原因か、その夜、悪夢奇夢が怒涛のように襲ってきた。なにが起きているのか把握できないような異常なイメージの狂騒状態。なるほど幻覚とはこういうものかと思わせる出口のない堂々巡りの感じがあった。寝る前に飲んだミルクティのペットボトル製品の作用があったのか。お茶は元来薬であり、薬はなんらかの効能(副作用も含め)があるだろうから。しかし次の日、ミルクティを飲まずに寝ても同じような悪夢の連続が襲ってきたから、ミルクティに罪はないことが判明した。悪夢嵐は若干勢いをなくしながらその次の晩も来た。してみるとある種の風邪は悪夢の素を体内分泌するようだ。今回確かに頭部がブツリ的に妙な感じに過敏に腫れ上がったようになっていた。脳も風邪をひく。脳はバカではなかった。その風邪も抜けつつある。つまりもとの鈍感なバカに戻りつつある?
(池田康)
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2017年01月05日

正月の仕事

この地方はとてもいい天気だった正月三が日、今月下旬刊行予定のアンソロジーの本『詩国八十八ヵ所巡り』を早く印刷所に入れたいので、二日から仕事始め、最終校正をおこなっていた。昨年のうちに三度ほど校正を重ねていたので、もう誤りはないだろう、出てきたとしても一つか二つだろうと思っていたが、やってみると直すべきところが十以上も見つかって、憮然とした。発見できてよかったのだが、こういう詩のアンソロジーの本はテキストを正すことが難しいとつくづく思う。今日、遠方の大きな図書館に行き、最後に残った疑義も処置が決まったので、あとは印刷に付すばかりだ。
(池田康)
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