2016年12月08日

19号編集完了

乾燥してますねえ。新聞紙も台所のふきんもカサカサパサパサになっている。こんなふうに乾燥を感じたのは初めてだ。今日はある会に参加するために外出したが、遠くの山々がよく見えた。空気が澄んでいるのだろう。
「洪水」19号は編集が完了し印刷所に入れた。遅れに遅れた原稿が三本ほどあったが、なんとかなり、結果的には早めに仕上がった。執筆の皆様ご協力ありがとうございました。
今回の特集は「日本の音楽の古里」で、邦楽、伝統音楽を考える。果たしてまとまるのだろうかと不安を抱きながら作っていたが、分量的にも50ページ近い重厚さで、なかなか面白いものになったのではないかとおもう。
(池田康)
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2016年11月29日

新実徳英の合唱世界

昨日、「合唱音楽の夕べVol.4“新実徳英の合唱世界”〜愛と祈りのかたち〜」を第一生命ホールで聴いた。演奏は樹の会(指揮=藤井宏樹、ピアノ=浅井道子)。
まず「やさしい魚」(詩=川崎洋)では合唱団の声の響きを満喫する。ステージ上には、百名を超えていただろうか、オーケストラ二つ分くらいの団員が立ってうたったのだが、この大人数でも整然と麗しい歌声を作り上げるのに、当然のことなのかもしれないが、感嘆した。よく鳴る、いい楽器が、明朗な音楽をうたうのは楽しい。
次に「三つの愛の歌」。その1は柿本人麻呂の長歌による「寄り寝し妹を」、独特の幽玄の〈陰〉の曲調で、創造のユニークな新しさという点ではこの夜のプログラムで最も刺戟的だった。以前ある新作歌曲の会でやはり万葉集をテキストにした曲を聴いたことがありそれも繊細な音の波立ちがあって良かった。いつか新実版万葉集シリーズをまとめて聴く機会があるといいと願っている。さてその2は「Thy mouth like the best wine」(旧約聖書「雅歌」より)。聖書の中の詩句ながら「濃密な愛の空間」と解説されている。その3は「Suavies cantus」。キーツの、「聞こえる音楽は美しい。だが、聞こえない音楽はもっと美しい」と語る、魂へ届く歌たろうとする詩。新実さんが大事にしている詩篇で、メシアンの初期の音楽を想わせるような単純な作りの音楽が崇高さをもって静かに立ち上がった。この三作をひとまとめにするというのはよくわからないのだが、ステージ上の解説によると、組曲というわけではないようで、一冊の楽譜にたまたまこの三作が集ったということか、小説の短編集のようなものだろうか。
コンサート後半は、和合亮一さんの詩による、5年前の大震災をふまえた作品「黙礼スル」。これは第1番「畏れる」「祈る」、第2番「闇夜」「決意」「青空に」から成る。ステージを埋めたとんでもない数の歌い手たちによる大合唱はさながら大壁画を創り上げるようだった。リズムの創出の面白いもの、譜割りのひっかかりを感じさせるものなど、変化も様々あり、大変ドラマチック。新実さんの作曲家としての特長は、過不足なく〈完璧〉を作り上げるという点に見ていいかもしれない。表現者は往々にして力こぶを入れるあまり「過」に傾きがちなのだが、新実さんはあるべき形を絶妙なバランスで構築していく。よく見えていて、手を変に動かしすぎない。従って作品が揺ぎないものになる。このような大作ではその特長がよりはっきりと表れるように見えた。立派に出来すぎていて、震災の歌だから、「つぶてソング」よりも恐いものになっているかもしれない。福島の人たちはこの曲をどう聴くだろうか。
「黙礼する」とは、おそらく「黙祷する」の意も込められているのだろう。青空に、小石に、波頭に、くるみの木の切られた跡に……世界の全てに黙礼する、つまり祈りを捧げるということを、ふだん我々はやらない。日常生活では身の回りのものはただ自然にそこにあるだけ。が、それら世界のすべてのものに祈りの「黙礼」をすること、その行者の意識によって日常空間はある種の非日常なものになるのだろう。そういう〈観のマジック〉を秘めた歌ということができる。
和合さんも福島から出てきていて、ステージ上からの挨拶を聴くことができた。
(池田康)
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2016年11月26日

やわらかい歌声

一週間ほどノラ・ジョーンズの新譜『DAY BREAKS』をCDプレーヤーに入れっぱなしで繰り返し聴いていた。最初の曲のイントロから引き入れられ、どの曲も耳をつかまえる。最後の「アフリカの花」(D.エリントン作)も非常にミステリアスなかんじの個性的な曲。ボーナストラックの「Don't Know Why」(ライヴ版)はデビューアルバムに入っていた彼女の代表曲だが、ここでの歌唱はオリジナル以上にはりつめた緊張感、力感があり、微細な表情にみちている。成熟。
そんなノラ・ジョーンズのCDを押し出して、昨日プレーヤーに収まったのが、香西かおりの出たばかりのライヴアルバム『The Live うたびと』だ。「ミュージックマガジン」12月号(ボブ・ディラン特集)をひらくとこの歌手の記事があり、この新作が紹介されていたのだが、民謡の南部俵積み歌をうたっていると書いてあったので、「洪水」次号の特集「日本の音楽の古里」で民謡を集中的に聴いていたこともあり、興味をそそられて手にとったという次第。俵積み歌はこのあいだの伊藤多喜雄ライヴでも堪能したが、この香西かおりヴァージョンも教条的な上手を目指さない自由な歌いぶりがいい。収録されている他の曲も楽しく聴ける。“お仕事”でうたうというのではなく、うたいたいからうたうという姿勢がこの柔らかさを生み出すのだろうか、ジャズ的なバンド編成にもうながされて、型通りの制約から解放された歌声のしどけなさが生彩を放っている。好き勝手な遊びのよさ。精一杯声を張り上げて高らかに歌い上げるというのではなく、マイルドな歌声が自らの響きに酔うような、気持ちよく自然な流れで踊るような、ゆとりの中のニュアンスの豊富さが身上となっていると言えるかもしれない。バックの演奏も積極性と活気があって、ジャジーな音の躍動が楽しめる。
(池田康)
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2016年11月23日

詩素1号

1号表紙S.jpg詩誌「詩素」を創刊した(洪水企画刊、A5判72頁、500円)。誌名は、水素や酸素のような、詩の原点を求めようという趣旨。今回の参加者は、海埜今日子、北爪満喜、小島きみ子、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、南原充士、二条千河、野田新五、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、吉田義昭の皆さんと小生。吉田・南原・野田の三氏と小生が編集委員になっている。吉田さんは大車輪の活躍で、特別企画の「SYMPOSIUM詩を考える」のページで自ら司会して小柳玲子・長嶋南子両氏に話を聞いて座談会記事にまとめるほか、長い高階杞一論を書いている。
この「詩素」では単に作品を発表するというだけではなく「詩を読む」という位相も重視し誌面に取り入れたいという考えのもと、提出されて集った詩を作者名を伏せて参加者に読んでもらい、気に入った作品を一つ二つ挙げていただき、票が多く集った詩を巻頭に出した。つまり参加者全員で編集をしたということになるだろうか。ちなみに巻頭は酒見直子「夕日かけごはん」、北爪満喜「葉の影 四つ葉」、沢聖子「暗」の三作。アンケート回答も掲載している。ほかにエッセイ(八重・南川)、作者ショートインタビュー(高岡修『胎児』、日原正彦『163のかけら』)、書評(小島・大家・南原)など。次号は来年5月に出す予定。
(池田康)
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2016年11月21日

大阪一泊二日

一昨日から昨日にかけて大阪に行っていた。平野晴子さんの詩集『黎明のバケツ』(洪水企画)が第18回小野十三郎賞特別賞を受賞し、その授賞式が19日午後に開かれたため(中之島フェスティバルタワーにて)。本賞は森水陽一詩集『九月十九日』。選考委員は金時鐘、倉橋健一、小池昌代、坪内稔典の四氏。授賞式の後この方々の座談会が行われたのだが、詩歌にテーマは必要か不要か、詩は言語芸術として最高最強か等の問題についての金・坪内両氏の意見の相違が刺戟的で、はらはらしながら聴いていた。倉橋氏は小野十三郎の詩と詩論が形成される歴史的経緯を語り、小池氏は小野詩を裏打ちする〈量〉的なことについて考えを述べた。坪内氏は『黎明のバケツ』の「秋の日の縁側で」を高く評価しこの一篇だけで受賞に値すると選評で書いていて判断の潔さに頭が下がった。金時鐘氏は伝説的存在のような感じがしていて、目の前に生きた金氏がいることが驚きだった。
ホテルがとれなかったのでサウナで一泊。
20日の午後には関西詩人協会の大会が大阪リバーサイドホテルであり、山田兼士さん(この秋洪水企画から詩集『月光の背中』刊行)が講演をするというので聴きに行った。題は「谷川俊太郎の世界・その作品をめぐって」。谷川氏の詩の技巧について少し語った後、しかし完全に無技巧と思われる、心から出てきたそのままの詩がおそらく三篇あるとして「かなしみ」(『二十億光年の孤独』)、「芝生」(『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』)、「さようなら」(『はだか』)が挙げられた。なるほど。谷川さんの仕事には通称〈思潮社系〉〈集英社系〉〈理論社系〉と言われる3つの詩のタイプがあることも論じられ、こちらもなるほどだ。第四詩集『絵本』はまさしく絵本のように大きな判の私家版で谷川さんが自ら撮った写真(手の形)に詩を合わせたもので、今はもう入手不可能という。その写真がなければ詩テキストだけ読んでも不十分というわけで、山田さんのプロデュースで澪標から判型を小さくして復刻されたということだ。実は山田さんはこの前日が娘さんの結婚式という大変な日程だったのだが、彼女は大学の卒業論文で山田兼士教授の指導のもと谷川俊太郎『みみをすます』論に挑戦したのだそうで、親子ともども因縁は非常に深いようだ。
この日の午前はテアトル梅田で映画「この世界の片隅に」を観た。満席。泣かせる映画。
(池田康)
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2016年11月09日

予断

米国大統領選挙の結果が出たようだ。予断を許さない、という言葉の真実を思い知らされる。予断、思い込みを裏切る展開はどんなときにもありうる。歴史はときに奇妙な賽子の目を発明するらしい。賽子がとまったとき、なかったはずの瞼があき、知らない異国の色の瞳が現れ、未知の言葉を語るのだ。
(池田康)
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2016年10月31日

福島泰樹第29歌集『哀悼』

昨夕は福島泰樹さんの第29歌集『哀悼』(皓星社)出版記念の短歌絶叫コンサートを吉祥寺の曼荼羅で聴いた。通常のレパートリーに加えこの歌集の内容を題材にした曲も演奏された。歌集から何首か引用する。

 (諏訪優に)
 諏訪さんが描いてくれたプロペラ機わが上空を飛びて幾夜さ
 透き通りひかりのように屈折しコップの中を過ぎた嵐か
 蓮の葉に胡瓜をきざみ酒を注ぎ灯をともしけり帰りこよ君
 (長澤延子に)
 みつめすぎてしまった罰か鏡割れこの自意識のつらい葛藤
 青酸のカリ活用 と笑いしは戯れならず死んでゆくため
 淋しくてならねば襤褸切かきあつめランルの旗はひとり顫える
 肉体の奴隷とならぬそのために自らを裂くペーパーナイフ
 わたくしの胎児は去りて薔薇色の雨に打たれているのであろう
 わたくしの内なる胎児かなしめば森に遠いピストルの音
 (黒田和美に)
 気に入らぬ雨に傘などさすものかびしょ濡れをゆくむね張ってゆく
 一糸纏わぬ冬の裸木の了見を忘れず生きてゆくよしばらく
 遠い夜のあなたの家の団欒の グランドピアノ黒鍵ばかり
 ガツン詩歌を叩き続けよ冥界で会うとき俺に寄り添ってくれ

ピアノは永畑雅人、ドラムは石塚俊明。石塚氏のドラムは21日の石橋幸コンサートで聴いたばかりだったが、この日は至近距離だったので音がすさまじかった。「つんざく」という言葉そのもので、刃のような鋭い音が乱舞する、それでいて音楽的思考も感じられる特上のドラムであった。福島さんの声も冴えていた。こういう重い真摯な抒情をかくも直截にステージにのせようとする演劇人やウタビトは他にいないだろう。
この日は昼に町田のまほろ座で民謡歌手・伊藤多喜雄のライブを、洪水次号の特集「日本の音楽の古里」の参考のために聴いており、ライブハウス特有の陶酔感にしびれた一日だった。曼荼羅の方は客が大入りに入りすぎたため空気の悪さがちょっと辛かったが。
(池田康)
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2016年10月25日

西岡光秋さん

昨夕は上野の東京文化会館小ホールでひらかれた「新作歌曲の夕べ2016」を聴いた。吉田義昭さんのご案内にて。吉田さんの詩による「花水木の手紙」を含めて23曲が演奏された。「落葉松」など古い曲もあったが大方は新作ということだろうか。前衛的な大胆さではっとさせられる曲、芝居気にみちた曲、シンプルな抒情に徹した曲、といったふうにいろいろ方向性に変化があって楽しめた。
「無花果」は西岡光秋氏の遺作と書いてあり、今年8月に急逝された由が記されていて、まったく知らなかったので驚いた。洪水誌に詩作品をご寄稿いただいたこともあった。哀悼の意をこめて「無花果」の一部を書き写しておきたいと思う。

 父は遠い雲になった
 町から遥かな山里で
 父は形のない魂になった
 住みなれた小さなわが家のうえから
 ふんわり覆う霞となった


 父よ覚えていますか

 可愛川の流れに近い裏庭に
 あなたが植えた小さないちじく
 いつの間にかぼくの太股ほどの太さになり
 緑の果実をいっぱいくっつけ
 あなたを喜ばせた
 明るかったあの季節のことを
 (後略)

(池田康)
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2016年10月22日

スラブ的哀愁をうたう

昨夕は新宿・紀伊國屋ホールで石橋幸コンサート「僕の呼ぶ声」を聴く。山本萠さんのご案内にて。ロシアの歌を専門にうたう歌手。スラブの哀愁が深いナンバーの数々。第一部「孤独」は芝居仕立てで9曲が切れ目なしに演奏された。第二部は伴奏のメンバーの意見も取り入れての選曲で、ヴァラエティがあった。力強く、艶を帯び、的確に形を描き出す、表現力のある歌声。コンサートのサブタイトルにも「ロシア・アウトカーストの唄たち」とあるが、ここまで重い悲哀を引き寄せ集めるのはどうしたことだろうか。虚無の小塊を裡にもつ人ともたない人の二種類あるとすれば、この歌手は前者なのかもしれない(と我が空想は勝手に走り出す)、そしておそらくその虚無はドーナツ型をしていて、その空洞ドーナツのなかで悲歌は堂々巡りをしているのではなかろうか……これはあくまで妄想。しかしプログラム最後の数曲は明るく楽しい雰囲気もあった。
音響がとてもよかった。ホールの設備が優れているのか、今回の音響バランス調節が絶妙だったのかはわからないが、ヴォーカルの音声も割れたり歪んだりせず、バックの各楽器も一音一音繊細に聞こえ、とても気持ちがよかった。ホールがほどよく狭いこともあるだろうが、PAを使ったコンサートでここまで理想的な音の響きになっていることはめったにない。バックの演奏がスリリングで一番楽しめたのは「ロシア平原」。メンバーは河崎純(コントラバス)、後藤ミホコ(アコーディオン)、小沢アキ(ギター)、石塚俊明(ドラム)。あれ、河崎さん、いたんだ。挨拶しておけばよかった。なんて今頃言っている迂闊さ、救いがたい。
(池田康)
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2016年10月18日

高梁静穂詩集『青の空』

aonosora.jpg高梁静穂さん(よみ=たかはししずほ、名古屋在住)の第2詩集『青の空』がこのたび洪水企画から出た。この12年間の作品から28篇を収録。帯に「若き日の残響、日々の暮らしの中で掬いとったもの、自分自身もつかみがたい胸の奥の屈託、肉親・故郷に寄せる思い──清らかさと透明感をもって率直につづる詩の言葉はいつまでも色褪せることなく輝く」という導入文を載せたが、そのとおりで、余計な韜晦をしない、飾らない詩行がすっと心に入ってくる。なにげないのだが、はっとさせられる、静かに光る一節に随所で出会う。装丁は平野晴子さんの詩集『黎明のバケツ』につづいて山本萠さんにお願いしたのだが、今回はカバーの絵の色彩のニュアンスがとても繊細だったこともあり、そうとう難渋した。しかしここにも飾らない素の軽やかさがあるのではなかろうか。
収録された作品のなかから「約束 I」を引用紹介する。これも本当になにげない話なのだが、人と人との間を流れる時間の本質をやさしく言い当てているようにも思えるのだ。

 こんど とか
 いつか とか
 たよりないもので
 それでも かならず
 つながっていると思うひとのこと

 たとえば
 年の初めに届く
 今年もよろしくの
 も とか
 お互いのやりとりのなかで
 またね と しめくくる
 その また とか

 どこにあるのかわからない
 いつ訪れるともわからない
 約束を待って
 どれだけ過ごしてきたでしょう

 それは日々のなかで
 いつも手が届きそうで
 届かないところにあって
 忘れていたのに
 不意に 声をかけられた気がして
 懐かしむひとのこと
 (後略)

(池田康)
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2016年10月15日

歌の時代?

ボブ・ディラン、ノーベル文学賞受賞とか。おどろき桃の木まじょの箒。キャノンボール花火炸裂。中世まで詩の時代だったのが、近代以降小説の時代となり、それもいいかげん煮詰まってきた、そのような文学界の状況に一つ刺激を与えてやろうということか。スウェーデン・アカデミーも果敢だ。いつかボブ・ディランの本を作りたいなと思っていたが、やりやすくなったのか、どうなのか。
(池田康)

追記
「現代思想」5月号総特集ボブ・ディラン、という本を本屋で見つけた。2010年に出した巻を臨時増刷したもののようだ。多くの人が参加執筆しているが(まだ一部しか読んでいない。字が細かい!)、アーサー・ビナード「ディランの『若さ』の意味」が、同国の人間の理解の深さがあり、教えられることたくさんの、とても意義深い文章だった。名曲「Forever Young」を細かく解説してくれているのもありがたい。アメリカの少年には「Budokan」の意味がまったく不明だったという面白い話も。
巻頭のボブ・ディランインタビュー取材記事「いつもの自分を見せているだけだよ」にも興味深い発言がある。「大衆文化は多くの場合、短い時間ですたれる。葬り去られる。ぼくは、レンブラントの絵画と肩を並べるようなことをしたかった」とか、「ほんとうに歌にしたい考えやことばがあり、いくら考えてもそれがうまくまとまらないときは、全部を−−一切合財を−−そのまま使って、歌い方を工夫して押韻の構造にはめこむ。韻を踏めないという理由で、歌を台無しにしたりあきらめたりするより、そのほうがいい」とか。
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2016年10月09日

平石博一の世界

昨夕は両国門天ホールでピアニスト・井上郷子さんのリサイタル「#24作曲家たち 平石博一の世界」を聴いた。平石博一氏は井上さんが「洪水」17号の連載評論で取り上げた、ミニマル・ミュージックを基軸とする作曲家。この日の前半はその傾向のピアノ小品で構成されていた。なじみにくい音型の曲もあったが、「ア・レインボウ・イン・ザ・ミラー」などは豊麗な音の舞踊を見る思いがした。門天ホールのピアノは聴きにくさのストレスも一切なしに繊細な響きを楽しめる。
後半は平石さんが創作した「空間音楽」と称される8チャンネルの電子音楽の演奏。ホールの四方の壁ぎわに8個のスピーカーを置いて鳴らすのだが、サウンドスケープというのはこういうものか、幻想的な、尋常ならざる音響体験をすることができた。現代音楽の小世界にとどまらず他のあらゆる音楽のジャンルに通じる要素があるように思われた。終演後すこし話をうかがったが、全体の絵図を思い浮かべながら全チャンネル同時に作曲を進めるのだそうだ。
この日の午後は用事があり国立国会図書館を訪れた。すでに新時代に入っているようで、7冊の本の調査をしたのだが、すべてデジタル資料になっていて、館内のパソコンでそれを呼び出して必要な頁を指定してプリントしてもらうだけ。あっという間に用事が済んで唖然とした。
(池田康)
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2016年10月07日

山田兼士詩集『月光の背中』

gekkonosenaka.jpg山田兼士さんの4冊目の詩集『月光の背中』が洪水企画から刊行された。A5判、ソフトカバー、92頁。山田さんは詩稿の完成を相当程度確信されていたようで、本文の仕上がりは早く、装丁についても比較的すんなりとまとまったので、記録的短期間で完成に至り、滞りのないそのすみやかさに、問題はないか事故はないかとこちらがハラハラするほどだった。さすが、膨大な仕事量をこなすこの方のみごとな早業だ。
詩集は4つの章からなり、奈良散策の見聞をもとに万葉の時代の悲劇をうたった作品、コクトオ、小野十三郎、吉本隆明、三井葉子、島田陽子など先人を偲ぶ作品、自分史の一こまを陰翳深く刻印した作品などで構成し、回文や折句などの言葉遊びをまじえながらディアローグによる詩の可能性を探究する。「虚実照応」と言ってみたいような、イマジネーションと現実世界との間の自在な感応の往来を思わせるところがある。
タイトル作を部分的に引用紹介する。この作品は行の頭が「月光仮面の歌」になっているのでご注目いただきたい。

 あの金堂の月光菩薩は
 いつも凛々しい立ち姿
 ときどき拝観しに行くが
 せなかを見ることはなかった
 いつも光背に覆われている
 ぎんの月を思わせる
 のうめんのようなお顔は
 ためいきの出るほど美しいが
 めったに間近で見られない
 なら国立博物館「白鳳展」に
 らいげつまで出開帳
 ばしょは知っている
 (…中略…)
 まずしい人よ 呼ぶがよい♪……
 ずっとむかし こどもの頃に
 しっていたメロディが浮かんだ
 いつも隣の家で見せてもらった
 ひとりぼっちの覆面の主人公
 とべもしないのにマントを翻す
 よのため人のため
 よるもひるもオートバイを走らせて
 ぶきは拳銃二丁のみ
 がっこうぼさつさながらに
 よべば必ず現れたもの
 いつも口ずさんでいた憂愁の
 かなしい時代のメロディが
 なつかしいと思う今のぼくが
 しずかに思い浮かべるのは月光の背中
 いっしんに闘うその背中
 ひとの弱さ貧しさ悲しさを
 とわに背負い続けるその孤独よ
 もしも祈りが届くなら
 よなかの真冬の月の丘から
 ぶじを祈って歌うだけ
 がっこうぼさつは月光仮面♪……
 よい子のために千年の未来まで
 いつまでもすこやかにと願うだけ

(池田康)
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2016年10月05日

久保田幸枝著『短歌でたどる 樺太回想』

saharinkaiso.jpg信濃在住の歌人・久保田幸枝さんのエッセイ集『短歌でたどる 樺太回想』(樺太=サハリン、「短歌でたどる」はサブタイトル)が洪水企画の〈詩人の遠征〉シリーズの第9巻として刊行された。戦中から戦後にかけて両親とともにサハリンの豊原(ユジノサハリンスク)で暮らしていた子ども時代の経験を中心に短歌作品を交えのびやかな散文で回想する。今の戦後世代の人間には想像を絶するような風土的特色や歴史的出来事が次から次へと登場してくるので興味が尽きず、また両親に対する思慕、弟妹に対する思いも情深くじんとさせられる。
本書中最大の山は、敗戦から引き揚げまでの苦難を述懐したところだろうか。よく無事に生き延びることができたものと読者もほっと胸をなでおろすことになる。そのあとも信州という未知の地に住むことになり別の種類の困難が待ち受けているわけであるが……
戦中戦後を生きた一人の全身での経験を細やかにうたい記録する貴重な歌物語。
この本の中に出てくる短歌作品のうちいくつかをここで引用紹介する。

 流氷のとどろくころか地球儀にわが生国の海は紺碧
 鰊とつて鮭とつて鰊とつて……北海寓話あしたへ続く
 風化せぬ幼き記憶の一点に照明弾のかがやきがある
 「ユキエサン サンポ タベマショ」小学生わが友なりしかのロシア兵
 サハリンに抑留されし二年生学ばず歌はず描かず四年生
 引揚船「宗谷」のデッキにて手を振りき流氷の上のオットセイらに

(池田康)
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2016年10月03日

ハイパービートルズ

昨夕は三浦半島の衣笠(横須賀の近く)のカスヤの森現代美術館で開かれた高橋アキさんのピアノリサイタルを聴きに行った。館内の一室での、収容50人ほどの小規模の公演で、しかも今回はピアノのすぐ前のかぶりつきで聴いたので、ピアノの身体が震えたり唸ったりする音まで耳に入ってきて、音の経験として生々しかった。
曲目は、まずサティ2曲、そして「ハイパービートルズ」というビートルズの曲を題材にして作曲された小品のシリーズ(世界中から47人の作曲家が参加)から16曲が演奏された。ビートルズものなら気軽に聴けるのかと思ったらそうでもなく、どの作曲家も力を込めて作り込んでいるのでけっこう重量感がある。素直にメロディが聞こえてくるものもあれば、解体されて原曲が見えなくなっているものもある。そんななかで、池辺晋一郎、西村朗両氏の曲(それぞれ「エデュイエ・ブギ」「ビコーズ」)が明快な鋭さで印象に残った。なにか高級なものをという漠然とした動機からではなく、この方向で面白いものを作り切るという明確な創作意志が働いているからかもしれない。
サティは「グノシエンヌ第1番」と「メドゥーサの罠“ピアノのための7つの小品”」。「メドゥーサの罠」はサティが台本を書き作曲した劇だそうで、最近高橋アキさんの提唱により何カ所かで上演されているそうだ。
コンサートのあとは栗を素材にした料理のビュッフェが用意されており、季節の味を堪能しながら歓談することができた。美術館の展示は彫刻家の山本正道、画家のシモン・パシエカの作品(10月16日まで)。
(池田康)
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2016年09月30日

平塚市美術館にて

平塚市美術館ではいま「香月泰男と丸木位里・俊、そして川田喜久治」展を開催している(11月20日まで)。丸木夫妻の原爆の絵は前から見たいと思っていたので、こんな近所で見られるならありがたいと、先日見にいった。感想を一言で言えば、よくこれを描いたなあということに尽きる。〈原爆の図〉シリーズは15作あるそうで、この展覧会ではそのうちの6作が展示されているが、血まみれで立つ女性の立像など、文字通り衝撃的。描き始めた頃は占領軍の検閲を逃れるため紙のまま巻いてしまっていたというが、現在は屏風仕立てになっていて、面の曲折をともないながら画が展開される立体性も作品の風情となっている。線に執念が、色彩に恐怖が感じられる。
香月泰男の作品では、シベリアで大勢が行列を作っている絵が何枚かあって、とても印象的だった。
川田喜久治は写真家、戦争の傷跡を記録した写真集『地図』で名高い、とのことだ。
(池田康)
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2016年09月25日

平野晴子詩集『黎明のバケツ』小野十三郎賞特別賞

平野晴子詩集『黎明のバケツ』(洪水企画)が第18回小野十三郎賞特別賞を受賞しました。おめでとうございます!
ちなみに同詩集は中日詩賞も受賞しています。
(池田康)
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2016年09月24日

ROSCO15周年

昨日は東京オペラシティリサイタルホールで、ROSCOの15周年コンサートがあった。ROSCOはヴァイオリンの甲斐史子、ピアノの大須賀かおりの2人のグループで現代曲を中心に演奏する。この日のプログラムで印象に残ったものをいうと、ヤナーチェクの「ヴァイオリン・ソナタ」は、音楽を志す熱塊の脈打ちの激しさに打たれた。100年前の音楽家はやはりちがう。戦後の音楽は思考の面がどうしても強くなってしまう。ハインツ・ホリガー「無言歌2」は5つの楽章からなり、テンポの速い章はぴたりと合わせるアンサンブルの見事さが出て、最後の章の静かなゆっくりした箇所はじーんとした感覚で聴き惚れた。斉木由美「歓」はピアノ独奏、この曲は演奏を聴くのがこれが三回目だろうか、邂逅がこう度重なるのも珍しい。今回は鍵盤の上で手が動くのが見える位置で聴いていたのだが、そうとう乱暴な動作の箇所もあり驚いた。全体に輪郭くっきり、躍動とぎれず、随所に不意の鋭さが突出して、大須賀さんも心の中で「快感!」と叫びながら弾いていたのではなかったろうか。ソフィア・グバイドゥーリナ「タイトロープの上のダンサー」はピアノから闇が這い出てくるようだった。ピアノといえばふつう光のイメージがあるのだが、逆だ。甲斐さんは弓の糸が切れたのをぶちっとちぎり取りながら緊迫の音の舞踊をしていた。グバイドゥーリナは音楽で絵を作るのが得意なのかもしれない。ほかに、坂東祐大「シーソー」、クラウス=シュテファン・マーンコプフ「ウラディミール」が演奏された。
今日は渋谷駅から歩いて10分のライブハウス・クロコダイルで「第22回クロコダイル朗読会」を聴く。出演は、鼎談と朗読で、財部鳥子、福島泰樹、文月悠光の三氏。ほかに、関中子、水沢なお、佐峰存、山口眞理子、福田拓也、浜江順子、筏丸けいこの皆さん。一人一人の言葉のリズムのちがいを感じる。お店の人達の丁寧なサポートぶりがいい。
(池田康)
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2016年09月22日

洪水18号在庫切れ

洪水18号はおかげさまで版元在庫なしになりました。どこかのお店にはまだ残っているかもしれません。ご入用の方はお探し下さい。
洪水次号(この冬に刊行)は、「日本の音楽の古里」という特集で、邦楽や伝統音楽の世界に踏み込んでみたいと計画しています。このテーマで妙案や深い経験をおもちの方はご協力下さい。
(池田康)
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2016年09月15日

シンディ・ローパーを聴いて

8月某日、某セコハン店でシンディ・ローパーのCDが目に留まった。この歌手の曲は「Girls Just Want To Have Fun」を知っているくらいだったが。『音楽を愛して、音楽に愛されて』(ぴあ)という“湯川れい子80th記念BOOK”を、いろいろ勉強させてもらおうと読んでいたのだが、何人かのミュージシャンが特別にページを設けてじっくり語られており、その中にシンディ・ローパーの章もあったのを思い出した。それで『Twelve Deadly Cyns』という、これはベスト盤なのだろうか、12曲ではなく17曲入ったのを手に入れて聴いた。なにか突き刺さってくるものがある。どこかイカれたところがないと本当に魅力的な歌にはならないとしたら、歌手も因果な商売と言わなければならない。人気あるけど、上手だけれど“音楽業界内歌手”の域を出ていないという歌手はたくさんいる。その見えない殻を突き破ってくるものがあるという点でシンディ・ローパーは強い。
歌を成立させる要素を表層的なことから深層的なことへという順序で考えるなら、歌う技術/歌う力(表現のエネルギー)/歌声/歌心(音楽のエロス)/歌う根拠(歌の思想)/歌う運命(ミューズとの縁)……といった具合になるだろうか。
前にジョーン・バエズについても、コマーシャリズムやプロフェッショナリズムを超え出る“大地の使徒”的なものを考えたが、こう言うと誇張に聞こえるかもしれないが、神がかったもの狂いの部分がおそらく枢要なのだろうと、シンディ・ローパーを聴きながら思った。「Time After Time」もこの人の曲だったのだね。ブラウザの検索欄に「time」と書き込んだら候補のトップにこの曲のタイトルがすっとあがってきて驚いた。
(池田康)

ついでに。このあいだ名古屋に行ったとき、ある店で音楽DVDが廉価で売られており、かねて一抹の興味を抱いていたレディ・ガガのDVD(『A Very Gaga Thanksgiving』なるもの)を手に入れた。この人は一般にどういうジャンルの存在とされているのか知らないが、ここでのガガはそうとう凄腕のジャズシンガーだった。トニー・ベネットが「America's Picasso」になるだろうと誉めている。それが本当なら、「ショービジネス・ビッグスターの時代」から「ジャズ・トップスターの時代」への変貌もありうるだろうか。ちょっと期待したくなる。トニー・ベネットとのデュエットのCD『CHEEK TO CHEEK』(2014)でもレディ・ガガのジャズが聴ける。
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