
虫ならば、蝉でもカブトムシない。蛍はちょっとよさそうだが、もう今では滅多なことでは出会えないから挙げにくい。玉虫もしかり。なので、カナブン。この昆虫はうちの近所にもいるようで、ときどき見かける。カブトムシより色彩の美しい点もいい。果物では西瓜や桃ではなく、スモモ。貴陽やサマーエンジェルといった品種はことに美味しい。アイスクリームよりも水羊羹、いやトコロテン。飲み物は私の勝手でジンジャーエールにさせていただく。よく飲むので。カフェでオリジナルのジンジャーエールを出すところがあるが、レシピの可能性の幅が広いようで、さまざまな個性的味わいのジンジャーエールが飲めてうれしい。しかし更にふさわしいのは、冷やしたジャスミン茶か。この夏はこれに全面的に頼っている。涼しさをもたらす道具は、クーラーでも扇風機でもなく、団扇。これは壊れやすい、フラジャイルなところもこの系にふさわしい。
歌では誰だろう。声高なかんじがしない、ひっそりした雰囲気の人。現役の人で思いつけるといいが、なかなかぴたっと来ない。だから、久保田早紀。地中海的幻影の南方の光の中に、ひんやりした涼しさが感じられる。「ギター弾きを見ませんか」「幻想旅行」「碧の館」「アクエリアン・エイジ」「25時」「田園協奏曲」「アルファマの娘」「トマト売りの歌」「サウダーデ」「憧憬」など。「星空の少年」もかなり好きだが、オリオン座が出てくるので冬の曲となる。
ところで、百合はキリスト教の受胎告知の花として知られており、それと関係するのかどうか、女性同士の恋愛に百合がシンボルとして使われるようで、そのことを今書いているこの話題に織り交ぜるのは難しいような気がするけれど、それでは、「百合の夏」の文学者として古代ギリシアのサッフォーにお出ましいただこうか。紀元前にまで飛ぶのは涼しさがある。沓掛良彦著『サッフォー 詩と生涯』(平凡社)より、「もっとも美しきもの」という詩。
ある人は馬並(な)める騎兵が、ある人は歩兵の隊列が、
またある人は隊伍組む軍船(ふね)こそが、このかぐろい地上で
こよなくも美しいものだと言う。でも、わたしは言おう、
人が愛するものこそが、こよなくも美しいのだと。
このことわりを万人にさとらせるのは、
いともたやすいこと。げにその美しさで
世のなべての人々に立ちまさったヘレネーとても、
いともすぐれた良人(おっと)を捨てて
船に身をゆだね、トロイアへと去ったことゆえに、
わが子をも、恩愛のほど浅からぬ両親(ふたおや)をも
露ほども想うことなしに。[キュプリスさまが]まどわせて
かのひとを誘(いざの)うていったのだ。
[女心は]いともたわめやすいもの、
[それは]今わたしの心に、はるか彼方の地にいる
アナクトリアーを想い起こさせる。
ああ、あの娘(こ)の愛らしい歩き振りや
あの顔のはれやかな耀きをこの眼で見たいもの、
リューディア人らの戦車や、さては
美々しく身を鎧うた戦士(もののふ)らなどよりも。
サッフォーの作品は一作をのぞき断片的なものしか残っていないということだが、これはかなり完成形に近いようだ。キュプリスとはアフロディーテーのこと。4行目は今読むと流行歌にもありそうな当たり前のことを語っているようにも思えるが、この本の注によれば、古代ギリシアの価値観からは大きく逸脱した考え方とのこと。トロイア戦争の伝説の妃ヘレネーがうたわれているのが注目される。サッフォーにとってヘレネーは、ほどよく近かったのか、我々が原節子やマリリン・モンローを思い浮かべるような距離感なのだろうか。しかし調べてみると、トロイア戦争は紀元前13世紀とも16世紀ともされていて、そうすると、現在からサッフォーまで約2600年遡り、そこからさらにヘレネーへと1000年近く遡るということになる。この遥かさは、意識をぼんやりかすませるに足る。トロイア戦争のころも百合は咲いていて、〈神話〉を目撃していたのだろう。
追記。画像は、官製はがきの切手の部分。絵柄は「ヤマユリ」とのことだ。
(池田康)
追記2。
『サッフォー 詩と生涯』の論考の部分を読むと、古代ギリシア・レスボス島の女性詩人サッフォーにまつわる実に多くの事柄を知ることができる。後世のイマジネーションの中でサッフォーの伝説がいかに形成されたかを辿る章も興味深いが、より衝撃的なのは、サッフォーの詩文原典の大部分がどうして伝わっていないのかを説明する章で、2000年前くらいの時点では9巻に及ぶ全詩集のような集成文献が存在していたらしいが、その後その90%以上が失われた、しかも自然湮滅ではなく、宗教的理由に基づく焚書によって強制的に消滅させられたという悲劇的な経緯には胸がつぶれる。死後にそこまでの憂き目に遭うとは。世界でもっともタイムマシンを欲する人間はサッフォー研究家であろう。
追記3
元ちとせの歌に「百合コレクション」がある。あがた森魚の詞曲。ひそやかで寂しげな歌世界。隠れた佳曲、という言い方がぴたっときそうな曲だが、至高の名曲とたたえる人もひょっとしたらいるかも。ただ、歌詞に「秋の空」とあるのが(百合を夏のシーンに立たせたい私としては)惜しく、夏にならないものかと駄々をこねたくなるようなもどかしさを覚える。ベースの音が魅力的。
また「夏の宴」という曲(詞・HUSSY_R、曲・間宮工)は、森の中の鬼百合の点景で始まるのだが、タイトルにも明らかなようにまぎれもなく夏であり、安堵とともに傾聴できる。ある種の祭りのスピリット、その幻覚にみちた時空をうたっているようで、「夢の境い目」「眠りについた兵士たち」という部分も気になる。
追記4
道端によく咲いている白い百合は高砂百合という種類らしい。山本萠さんに教えていただいた。確かに葉が細く、図鑑で見る鉄砲百合の葉と違っている。