2016年07月18日

吉田義昭ライブ@あおしま

昨日の午後、青山一丁目のレストランあおしまで吉田義昭さんのライブがひらかれた。詩集『空気の散歩』(洪水企画)の刊行記念として。会場の店は素直な広がりのスペースが気持ちよく、落ち着きがあり、備え付けのピアノを置いた常設のステージが立派で、快適に聴くことができた。
曲目は「ジャニー・ギター」「希望」「Unchained Melody」「バラの刺青」「追憶」など。演奏はヴォーカルの吉田さんの他、宮本一(シンセサイザー)、宮本あんり(ピアノ)のご夫妻。プログラム最後の「アドロ」は暗く悲しすぎるから長らく封印していた曲とのことで、たしかに初めて聴くかんじ。「花水木の手紙」は詞=吉田義昭、曲=宮本一の新曲で、大丈夫かなあという言葉とともに緊張感いっぱいに披露された。新曲が混ざっていることのよい点は、緊張がその曲に集中し、他の曲は過度に神経質になることなく伸びやかに歌えることだろうか、聴く方も細かいことを考えずゆったりした酔い心地で聴ける。
ライブの前半と後半の間に詩集を祝賀する時間がもうけられ(小生司会)、高山利三郎・林哲也・山中真知子・庄司進・沢聖子・南原充士の六人の方々のスピーチ・朗読がなされた。それぞれのコメントになるほどと共感し、ことに吉田さんの若い頃の詩の仕事が紹介されたのが個人的には非常に興味深かった。またこの日いただいた小詩集『想い出が満ちてくる』には昨年の辛い体験(奥様の急逝とご自身の病気)を語る詩が収められていて痛切な思いをさせられる。
ライブの後は食事。初対面の方とも話ができ、長時間の会ながら密度の高い輝かしい午後となった。
(池田康)
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2016年07月11日

第56回中日詩祭

昨日は名古屋・電気文化会館でひらかれた第56回中日詩祭に参加した。平野晴子さんが詩集『黎明のバケツ』(洪水企画)で中日詩賞を受賞した、その授賞式のため。同時受賞者は加藤千賀子さん(詩集『POEMS症候群』)。
式の過程でオッと思ったのは、中日詩人会会長の若山紀子さんが賞状を受賞者にわたすのだが、その賞状の文面を読み上げる中にその詩集への短い批評コメントが入っていた点で、平野さんの場合は「現実の困難を詩に昇華」云々というコメントが織り込まれた。あれは賞状に書いてあるのだろうかと後で平野さんに尋ねたら、賞状を見せて下さり、ちゃんときれいな毛筆の文字で書いてあり、実に丁寧なやり方だと感心した。平野さんは受賞の言葉で詩集中の一篇「仲良くだけは出来るよ」を暗誦で朗読された。
授賞式の後、長谷川龍生氏の講演(小野十三郎、パウル・ツェラン、折口信夫のことなど)、細川華鶴子氏の薩摩琵琶演奏(平家物語など、唄もよかった)があり、それぞれ貴重な時間となった。
(池田康)
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2016年07月08日

洪水18号

kz18hyoshi.jpg「洪水」18号が完成した。今回の特集は「音楽劇 オペラ 歌物語」。インタビューは4人の方に試みている。作曲家でオペラシアターこんにゃく座の代表兼音楽監督の萩京子さんにはこんにゃく座の歴史と活動のお話をしていただき、昨年大著『オペラの20世紀』(平凡社)を刊行された音楽学者の長木誠司さんには現代オペラの流れの概略を説明していただき、フランスオペラに詳しい詩人でフランス文学研究の安藤元雄さんにはオッフェンバックとボードレールのこと、マスネやビゼーのことなどについてうかがい、長く「短歌絶叫コンサート」を続けておられる歌人の福島泰樹さんにはこのコンサートや執筆創作全般のことをお尋ねし、といった具合で、それぞれ非常に興味深いお話を聴くことができた。安藤さんと福島さんはインタビュー原稿を入念に書き直して下さり、締切をかなり過ぎてひやひやしたが、綻びのないすばらしいまとまりの記事原稿となり、ありがたいことだった。嶋岡晨さんには前号に引き続いてシナリオ詩をいただいた。今回は「カルメン変容」。エッセイは森山恵さんの連載「オペラでシェイクスピア!」第2回を特集に編入した他、詩人を中心に十人ほどの方々にご執筆いただいた。おおよそ、総論、合唱、シェイクスピア、フランスオペラ、日本、といったかんじで並べてみたがいかがだろうか。國峰照子・竹田朔歩両氏の詩は、スペースがあいたので、それぞれの既刊の詩集から転載させてもらったのだが、案外これらのページがこの特集でもっとも強烈な輝きを放つ部分になっているかもしれない。小生のまとめのエッセイは、近現代を「欲望」と「自由」から考え、現代オペラとアングラ劇をつなげる論考となった。
ほかに、平川綾真智さんがシュルレアリスムと音楽の関係を考える論考の連載が始まる。これは以前「エウメニデス」(小島きみ子さん編集発行の詩誌)で発表されたものの続編にあたる。さらに短歌の加藤英彦さんが十五首詠「水の素描」で参加して下さっているのと、南原充士さんが「雲遊泥泳」で若い世代の詩人を論ずるコーナーを開始(今号は「望月遊馬篇」)したのが新しい。井上郷子さんの批評連載、今回は作曲家の田中聰さんを取り上げている。さらに神品芳夫さんによる南原充士論にもご注目いただきたい。
(池田康)
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2016年07月06日

中村明一リサイタル

尺八奏者の中村明一さんのリサイタル「明暗真法流、「三谷」の流れ」が昨夜よみうり大手町ホールで開かれた。二枚組CD『鶴の巣籠』の発売記念として。前半の曲目は、「吟龍虚空」「鹿の遠音」「鶴の巣籠」の三曲で、それぞれ三尺一寸、二尺三寸、一尺八寸の長さの尺八で演奏され、音色の違いを実感することができた。後半は越後明暗流尺八保存会の虚無僧姿の奏者七人の合奏「大和調」「下田三谷」のあと、またソロに戻り、「三谷」「神保三谷」が演奏された。大きなホールを尺八一本で静寂させ支配するのだから驚嘆だ。尺八はまことに不思議な楽器で、ギターのように同時に何種類もの音を出すことができ、瞬間ごとに変化する神出鬼没のノイズ気味の微妙きわまる付帯音でもって予測のつかない響きを生み出す。その変化で曲を作っていくのだが、部分によっては非常に華やかでありつつ、通常の音楽とはかけ離れた自然そのものの持続のあり方で、なんの疑念もなく聞き入ってしまう。呼吸がそのまま歌になる、いってみれば山川草木悉皆音楽、一本の竹の笛でここまでできるのかと感銘を覚えた。中村明一さんには「洪水」10号の佐藤聰明特集で対談に登場していただいている。
この日は午後に単行本制作の打ち合わせ、山野楽器銀座本店への「洪水」18号納品をして、時間があまったので映画「ブルックリン」を観た。1950年ごろアイルランドの娘がアメリカのニューヨークに移民として渡る話。映画表現としての純情な上品さに穏やかに酔う。この映画と中村明一リサイタルとは案外にいい組み合わせだったかもしれない。
(池田康)
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2016年07月02日

いよいよ猛暑か

昨日今日と暑かった。夏の入り口は適応するのが大変だ。昨日は外出する用事があり、8キロ離れた小田急の駅に向かったのだが、途中田んぼが広がる場所があり、足を止め、近づいて覗きこんでみた。稲は青々と30センチくらい伸びていて、水の中にはメダカやオタマジャクシやタニシや小さなザリガニがのんびりと運動していた。こういうところは昔と変わらず懐かしく、たまにはつれづれなるぼんやり顔で田んぼを覗くのもよい。
「洪水」18号が無事完成した。いま発送準備をしているところ。内容についてはまた改めて紹介したい。
(池田康)
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2016年06月25日

マジックはなにをしでかすか

先日、ウッディ・アレンの最新作「教授のおかしな妄想殺人」を観た。ヒロイン(エマ・ストーン)のヴィーナスぶりにびっくりし、人間の根源的なアポリアを巧妙にシナリオに混ぜ込んでくるアレン監督の手業も見所だが、舞台がニューポートでジャズが始終鳴っているのにもときめいた。この映画がジャズの視点からどう語られるかを考えてみるに、一方で男の殺人を法の正義と常識から裁こうとするガールフレンドAがいて、他方ガールフレンドBは殺人だろうがなんだろうがお構いなしに男と生活を共にしようとする、そのAとBの間の心の怖いグレーゾーンをジャズはふーらふらと流れるのだろうと思われた。
さて、そして、その前の作「マジック・イン・ムーンライト」をDVDで観る。うまいねえ。ビリー・ワイルダー並みにうまいのではないか。この作品がそんなに評判になった記憶もないから、こういうのは今どきあまり評価されないのだろう。濃厚な芸術作品やど派手な娯楽作品は注目されても、小粋で上品なウェルメードさを磨き上げる職人的営為は看過される。コメディをコメディとして軽やかに楽しむ文化は衰退しつつあるのか。終盤、主人公の男がトランプの一人遊びをしているおばさんと話をするシーンで、第六感覚的なギアのかみ合い方で対話が優雅に舞うように進むのを見入った。千里眼はなにげないところにある、おばさんマジック最強。百年ぐらい前の時代設定で、その頃の無邪気で賑やかなジャズが、いかしたクラシックカーとともに、楽しい。
追記
舞台は南フランスだが主人公はイギリス人で、オスカー・ワイルドを思わせる皮肉な諧謔を連発、典型的なイングリッシュマンの複雑怪奇な?人間性にまみえることができる。彼らは賢明なのか、度し難い賭け好き冒険好きなのか(イギリスの賭け屋は有名!)、まさに賭けに出たEU残留離脱を問う国民投票でEU離脱が決まり、そちらの派の人間が「インデペンデンツデイ!」と嬉しそうに叫んでいた(ニュース番組で)。キャメロン首相の図らずもの「マジック」は吉を呼んだのだろうか。
(池田康)
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2016年06月20日

映画『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』

この春公開の、古居みずえさんが監督・撮影をして作ったドキュメンタリー映画『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』を観る。2011年の大震災での原発事故のため避難生活を強いられた福島県飯舘村の人々。菅野瑩子さんと菅野芳子さんは姉妹ではないが親戚で親友、村でも伊達市の避難所でも隣同士で、畑仕事を一緒にしながら暮らしている。そしてときどき帰る村での家回りの世話と墓参り、石段をのぼって神社でのお祈り。季節に応じて収穫される野菜も、飾らない地味な料理のかずかず(とくに凍み餅)も淡くやさしい光を放つ。なによりも「穫れたての福島弁」が溌剌として活きがよく、これを聞くだけでもこの映画を観る価値がある。仮設住宅での不本意な暮しの中での「ばば漫才」(←ちらしにそう書いてある)の笑いがまた健康的だ。「泣ぐ泣ぐがんばれえ」、「ありがたい時代だ、ありがたい時代です」(←もちろん皮肉)、「猫背しょって歩いてたら、だめだあ」など、印象的な言葉が心に残る。二人の80歳をまたいでの苦しい数年がフィルムに収められた。
古居さんには昔、「アジアウェーブ」という雑誌でインタビューしたことがある。あの時は録音を失敗して、話を再現するのに大汗をかいた。後にも先にもあんなへまなことはあの時だけで、よく覚えている。古居さんはパレスチナなどを取材する硬派のフリージャーナリストだが、今回国内に戻りこのような作品を撮ったのは、ここにも一つの戦場を見出したのだろうか。死者数万とかいう類ではないが、非常な忍耐を強いられる、華々しい勝利は望めない、「ありがたい時代」のつらい戦場だ。
(池田康)

追記:
同作品は自主上映会を募っているとのこと。
概要
基本上映料6万円(1日1回上映、入場者100人まで)
2回目以降はプラス4万円。
問合せは「映画「飯舘村の母ちゃん」制作支援の会」まで
iitate.motherprojects@gmail.com
FAX03-3209-8336
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2016年06月17日

ユニークに変な曲

洪水次号の編集がやっと終わり印刷所に入れた。ヘビーな特集(オペラ、音楽劇)から頭を振りほどいて、ポップスのことなぞ。
スターダスト・レビューは去年ラジオやテレビで何度か見聞きする機会がありそれで関心をもってある時期ちょっと集中して聴いていた。ベスト盤以外にはじめて手にとったオリジナルアルバム『楽団』はみずみずしく素直に魅せられた。『SORA』も楽しく聴く。歌声が帯びる哀愁は憂歌団に似たところがあるが、後者が胸底の屈託に由来するジャズやブルースの破れを不可欠の持ち味として見せるのに対して、星屑団(スタレビ)はポップスの仕事としての姿勢を保ち全体にはきれいに整った演奏を聴かせると言えそう、「夢伝説」などヒット曲のスマートなかっこよさを実現している。そんな中で「ブラックペッパーのたっぷりきいた私の作ったオニオンスライス」はタイトル通り刺激が強い。この曲はグループの早い時期のもののようで、そのころのヴァージョンはちょっと締まりがゆるくもっさりしているが、ベスト盤『STARS』に入っている演奏はとてもメリハリが鋭角で爽快だ。伴奏もいきがいい。ライヴで聴けばいっそうぶっとぶかもしれない。
小沢健二『LIFE』は季節が春になったころにCDプレーヤーに入れたら出てこなくなって何回も繰り返しかけていた。この歌手は、どこがいいのだろう、弾みかた、リズム感覚の歯切れの良さだろうか。現在売り出し中の男性歌手たちと比べても、小沢健二はよかったなと思わせるものがある(思わず過去形を使ってしまう不在感はなんなのか、今どこかでライブをやっているとも聞くが)。派手にポール・サイモンを引用している「ぼくらが旅に出る理由」やパラダイスで歌っているような「愛し愛されて生きるのさ」(『Graceland』なんかからリズム思想やworld musicの志向を受け継いだ、ある種の正統性(おおげさに言えば音楽史的大義)をもったパラダイス幻想と解したいのだが)もとてもいいけれど、聞く度に唸ってしまうのが「今夜はブギー・バック」だった。ラップも織り込んだこういう作りの曲として異数の個性的な完成度を誇っていて、パラダイス・シンガーの影の部分、思いの滞留のかそけさが美しい。
森山良子の新譜『Touch me...』は50周年記念だそうで、ストイックに作り込んだ名盤というよりもいろいろなタイプと趣向の曲が寄り集まった賑やかな祭盤といった感じだ。テレビで聴いた「今」(息子さんの曲)が心に引っかかったので手にとったのだが、最初から最後まで、芝居っ気たっぷりの曲も含めて、楽しめる。3曲目の「聖者の行進」はあの有名な曲だが、前田憲男のアレンジで、過去の著名なジャズプレーヤーの演奏の断片をパッチワークのようにつなげてあり、それに合わせる歌声も巧みで、有頂天の上機嫌さがなんとも愉快。もし「今」をシングルで出すことがあるなら、これをB面にして、「この道が教えてくれました」あるいは「Sing My Life」(どちらも秀歌)をC面にして出せば、今年の指折りの盤になるのではないだろうか。
(池田康)
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2016年06月12日

大西久美子歌集批評会など

昨日は午後、中野サンプラザ研修室で行われた大西久美子歌集『イーハトーブの数式』(書肆侃侃房)の批評会に参加した。加藤治郎さんのご案内で。パネリストは、大松達知、鯨井可菜子、服部真里子、藤原龍一郎、加藤治郎(司会)、の皆さん。周到で熱の入った議論に、歌人たちは丁寧に細やかに作品に接すると感心する。議論の過程で注目されていた歌を挙げると、

 夕方をひきずるやうに通過する夏の平野に駅が落ちてゐる
 やはらかい雨の近づく昼下りクリームパンを柩に入れる
 鰐園の鰐の眼、父にふと見えてゐるのかわたし生きてゐるのか
 ひつそりと書棚の奥のしらまゆみHAL9000はだれを待ちゐる

など。私が読んで印をつけた歌を三首ほど挙げれば、

 ダンプ車の運ぶ瓦礫に金属の混じりてけふの夕陽を弾く
 白樺の根もとに昏く眠る蝉 わたしは夢のなかにゐるのか
 薄闇にアドレスひとつ削除するつららの落ちる音を聞きつつ

一首目は、theアララギというか、写生の凄みを感じた。この歌集の大きなテーマと直接結びつくというわけではないが。二首目、父親の死に際しての悲しみはいろいろな角度から詠まれて本歌集の一つの核となっているが、この一首がもっとも永続的な鈍い痛みを感じさせる。三首目、つららの音が唐突に思えるが岩手出身の作者の耳の奥にいつも隠れているのだろう。
そのあと、トロッタの会23コンサート(早稲田奉仕園)へ。前半しか聴けなかったが、サティの曲や、「Hydrogen燦舞曲」(酒井健吉)、「空の死」(高橋通)が面白味もあり、ちょっとよかった。
(池田康)
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2016年06月09日

平野晴子さん中日詩賞

平野晴子さんが詩集『黎明のバケツ』(洪水企画)で第56回中日詩賞(中部地方の詩人たちの団体である中日詩人会が主催)を受賞しました。おめでとうございます!
(池田康)
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2016年06月07日

菅井敏文詩集『コラージュ』

コラージュ表紙画像.jpg菅井敏文さんの第二詩集『コラージュ』が洪水企画から出た。詩集にもいろいろあり、狭くテーマを絞って作品世界を構築するもの、全体に物語的な流れが感じられるもの、詩型・スタイルが意図して統一されているもの、生活の中で自然に生まれてきた私小説的抒情詩を素直に編んだもの、等々、多様な行き方が考えられるが、この詩集はタイトル「コラージュ」からも推測される通り、前衛的なつくりの作品からシンプルな述懐の詩まで幅広い形の詩をあえて意識的に一つの場に集合させている。帯に引用した「カンパネラ」は、菅井さんが拙事務所へ打ち合わせに来られた折、吉岡実のことが話題にのぼったので、吉岡詩になんとなく近そうなものを選んで載せたのだが、その最後の部分はこうだ。

 魔方陣
 羽をむしられた蝶が
 仏像からころがり出る
 急いで
 カンパネラ
 円盤を暗闇のカーテンが
 包んで
 空を
 食人植物が支配する

他方、読めば誰でも親しめそうなものとしては、たとえば「壺」「わたしとは何者であるか」などが秀作として挙げられるだろう。死を前にしての粛然とした気分を巧みにつかまえる前者の最終連はこうなっている。

 人生を壺に納める
 納めきれなくても納めて
 人生の決着をそこでつける
 死は生きている人の死となる
 それぞれのやり方で
 それぞれの思いで
 人は死に向かって
 死を置いて
 歩き始める

この大コラージュ画全体のトーンと力動をぜひ味わって頂きたい。
(池田康)
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2016年06月05日

虚の筏16号

「虚の筏」16号が完成しました。今回の参加者は、伊武トーマ、坂多瑩子、森山恵、二条千河、神泉薫、平井達也、たなかあきみつの皆さんと、小生。下記リンクから御覧下さい。
http://www.kozui.net/soranoikada16.pdf

(池田康)
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2016年05月24日

吉田義昭詩集『空気の散歩』

kuukinosanpo.jpg吉田義昭さんの新しい詩集『空気の散歩』がこのたび洪水企画から出た(1500円+税)。前回の『海の透視図』(2010)は昔の作品(詩集に未収録だったもの)を中心とした集だったのに対して、今回の本はここ15年ほどに書かれた散文詩作品を集めたとのこと。四部に分れていて、あとがきの言葉を借りれば、第1部と第3部は「ガリレオやその周辺の科学者たちを登場させ、科学史風な作品に仕上げた」、第2部は「臨床心理学関係の作品を集めた」、第4部は「故郷長崎をテーマとした作品とした…(中略)…長崎を訪れる度に故郷への郷愁は強くなっていったように思う。これらは叔父さんから聞いた生の言葉が含まれている。私の原点となった作品たちである」。この第4部「東シナ海」は前詩集の内容とつながっているところがある。最後の「星と星との距離を」は祈りがこもっているように感じられ、「私が今、生きていること、それも、太陽系のこの地球という星の上で生まれたこと。それはただの偶然ではないと思います。いつもどこかの星から、誰かが私を訪ねてくるような気さえしているのです」との言葉も新鮮な響きで耳を打つ。
ガリレオ関連の詩篇はガリレオの弟子(架空の人物?)の視点から叙され、ガリレオの行為、仕事もねじれを帯びて相対化されるところが面白い。なにしろこの弟子は「実験なんて卑怯者のすることだと信じていた。正しいことは考えることでしか生まれないと。」(枯葉の理論)などと呟いたりするのだ。また禁書を持っていたら危ないということで本を火に投じて焼く場面は特別の緊迫感がある。
詩集タイトルとも関係がある「風と光の見える日」の冒頭三連を引用紹介しよう。

風が見える日があるとガリレオが言う。夏だった。低い青空に雲がゆったりと移動していた。名前もない、匂いもしない、果実も実らない木々たちが揺れていた。町へ向かう細い石の道を歩きながら、淡い黄緑色の葉を見つめ、自分の力で揺れることはできないのだからと言う。風は何でできているのだろうかとさらに呟く。

風など見えるわけがない。私には彼の問いの意味が分からない。風は空気、風は心。土と火と水と空気と、その四つの物質ですべての物ができていることなど、哲学者なら誰でも知っているはずだ。それなのに、いくら真実を見つけても、またその次の真実への疑問が現れてしまう。私にはやり残したことが多すぎると悲しげに言う。

光が見える日もあるとガリレオが言う。太陽を見過ぎたために失明しかかっているという噂は聞いていたが、いくら私が尋ねても、彼はその質問に答えてはくれない。まだ微かに風景は見えていたのだろう。太陽が私たちの周りではなく、私たちが太陽の周りを回っていると断言したが、私は絶対に誰かに告げてはいけないと口止めをしていた。

(池田康)
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2016年05月18日

南川優子詩集『スカート』

minamikawa-skirt.jpg「洪水」雲遊泥泳欄で毎回書いて下さっている、イギリス在住の南川優子さんの新しい詩集『スカート』が洪水企画から出た。装丁は南川さんと同じくguiの同人の四釜裕子さん。この詩集制作の話は2年ほど前からあったのだが、ゆっくりことを進める南川さんのリズムで、今年ようやく完成を迎えることになった。特徴をどう説明しようか。帯に「奇想の遊戯と実生活の抒情、身体の原理と現代社会への洞察とが秘伝のレシピで混ざりあい……」という文句があるが、たしかにそれくらいの視野の広さ、意識の鋭さがある。編集していると何回も本文を読み返すことになり、そうすると作者の内的ロジックの微妙なところもなんとなくわかってきて、読みにくかった作品も、ははん、そうか、と合点がいったりする。そうなるとどの作品も面白い。飛躍や謎めいたところも多い南川作品だが、だから時間をかけて繰り返し読んで頂きたい。原稿を受け取った当初から好きで今も大好きなのが「かかし」だ。女性の視点からの詩も多いがこの作品はそうではなく普遍的な哀切さがダイレクトに伝わってくる。長いから前半三分の一だけ引用する。全体は本を手に取って御覧下さい。

 彼の支柱は マイクスタンド
 ロックシンガーが
 ステージの上でにぎりしめ
 ふりまわし もたれかかり
 ときには けりあげて
 唾のシャワーをあびせた
 銀色の棒は
 いつしか 廃棄物にまぎれ

 農場主が ごみ収集場から 拾い

 今
 セックスもドラッグも 
 ロックンロールも見あたらない
 麦畑に
 背骨として 立っている
 かつて マイクがささっていた
 先端に
 布が 包帯のように巻かれ
 木の枝が ひもで
 十字にくくりつけられ
 着古しのTシャツを かぶせられて
 (後略)

(池田康)
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2016年05月08日

加納光於さんの個展

神保町ファインアーツにて30日まで。
http://natsume-books.com/news.php#256
(池田康)
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2016年05月01日

29日と30日

昨日は国立オリンピック記念青少年総合センター小ホールで上野信一&フォニックス・レフレクションのマリンバ・オーケストラのコンサートを聴く。マリンバばかり数台を舞台に乗せたアンサンブルだ。曲目はヘンデル「水上の音楽」から抜粋、民謡を編曲した「4つのアイルランドの歌」、W.F.バッハ「チェンバロ協奏曲ヘ短調」、後藤洋「プリマ・ルーチェ」(初演)、ロバート・クロイツ「ウェスタン・スケッチ」第二楽章、新実徳英「シンフォニアM“神々の声を聴け”」(初演)。このオーケストラを面白く鳴らすのは簡単ではないなと前半の曲目を聴きながら思っていたが、後藤・新実両氏の2曲の初演作品はそのあたりをうまく工夫して、聴きどころを明確にした音楽に仕上げていた。新実さんの曲については奥様が大作の雰囲気があったとおっしゃっていたが、15分ほどの曲なのだが、たしかに強い持続の漲りがあり結構の要所要所で“神々”の本気が光っていた。
さかのぼり一昨日29日は八王子のギャラリースペースことのはで伊福部昭作品を特集したギャラリーコンサート(伊福部玲陶展記念)を聴いた。曲目は「ai ai gomteira」「シレトコ半島の漁夫の歌」「因幡万葉の歌五首」「日本組曲」。出演はズッカルマーリオ・ウエムラ・トモコ(ソプラノ)、伊藤幸子(ピアノ)。ゲストのトークも入った、ギャラリーの主の宇田川さんの手作りの、親密さあふれるコンサートだった。6月にパリでチェレプニン賞の記念の催しがあり伊福部昭作品を演奏するコンサートも開かれるというニュースも聞いた。
(池田康)
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2016年04月27日

2016年04月26日

立花隆著『武満徹・音楽創造への旅』

1990年代に「文学界」に連載された音楽評論が時を経てこのたび上記タイトルで単行本化された(文藝春秋)。たまたま「洪水」17号ジャズ特集の論考で武満とジャズの関係を書いたので、それに関連する事柄も詳しく論じられているだろうと思い、好奇心でひもといた。そのテーマについて言えば、ジャズ・ミュージシャン、ジョージ・ラッセルの旋法と中心音を考究した音楽理論に親炙し多くを学んだという部分は重要なのだろう。まだ部分的にしか読んでないが、ほかにも、「ノヴェンバー・ステップス」の生まれる過程、鶴田錦史という特異な演奏家の生き方、海童道祖なる尺八の達人の非音楽的な竹笛演奏、ジョン・ケージの仕事の意味あいと受容のされ方、ヒューエル・タークイという批評家の果たした役割、などなど、知らないことが多く、とても勉強になる。根音よりも中間音を大事にするという武満の考え方もなるほどと思った。60年代の草月アートセンターについても詳しく知りたかったので、いろいろ記述があり、ありがたかった。インタビュー取材で得たしゃべり言葉の証言を多く活用していることもあって、スムーズにどんどん読める。最近読んでいたアメリカの小説の翻訳本よりもはるかに読み易い。しかし細かい字の二段組みで780頁もあるので永久に読み終わらない雰囲気もある。立花隆という特別の立ち位置の評論家が音楽のこのジャンルについてかような大作を著したということは大きな意味があることだろう。
(池田康)

追記
アメリカ文化センターはCIEというのですね。以前「洪水」の実験工房についてのなにかの記事で誤ってCIAと書いていたように思う。お詫びして訂正いたします。
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2016年04月21日

福島泰樹著『追憶の風景』

個人的にこのところ、不運やへまや悪夢、ハートチリング&スパインブレーキングなことが重なり*、一寸先ならぬただちに今此処は闇、と思われたが、手がけているいくつかの単行本(詩集など)の制作がまずまず順調に推移しているのが慰めだ。遠からずお披露目できる予定。
さて今回紹介するのは、帯に「悲しみの連帯を生きよ!」とある、福島泰樹著『追憶の風景』(晶文社)。身近に交わり、先に逝った108人の人生を短い文章で語る(もとは東京新聞連載)。“記憶装置”の短歌作品をまじえ、内輪のエピソードもふんだんに含ませながら、その人物の生涯のエッセンスを的確に捉えて紙に刻みつける。それぞれの生の風景が鮮烈でなまなましい。著者自身の蹉跌も数多く記し留められていて鋭く刺される思いがする。
登場する方々を冒頭から順に何人か挙げるなら、西井一夫、立松和平、岸上大作、中井英夫、佐山二三夫、諏訪優、武田百合子、小笠原賢二、といった人たちであり、吉本隆明、塚本邦雄、中上健次、大岡昇平などの巨匠も入っている。また両親をはじめ著者の家族や親族も特別の愛情の熱を帯びて呼び出されている。どの人生にも凄絶なところがあると思わせるのが福島氏の人間把握の基本的特質だろう、読み通すととても重たい。
先日、この本の出版記念会があり、参加したのだが、著者の交友の広さがうかがわれ、非常に華やかだった。とくに最後に版元の代表が感極まったかんじでスピーチされていたのが印象に残った。
さて福島さんはご存じの通り「短歌絶叫コンサート」を40年以上続けており、通算すると1500ステージを超えるとか。その音楽と文学の特異な共同制作の内幕をインタビューで語っていただき、「洪水」次号に掲載する予定だ。楽しみにお待ちいただきたい。
(池田康)

* 慣用表現として正しくは、heartbreaking, spinechilling
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2016年04月17日

身を守る難しさ

熊本での地震、大きい上に広がり方が不気味で、生活基盤の崩壊も深刻のようだ。このようななかで被災地では住居空間の強化や屋外避難など各人自己防衛の努力がなされているのだと想像するが、自分の身を守るという行為はどこか盲点を伴い、抜けたところが出てきがちなものだ。本を作る場合でも他人の本は誤植がどこかに紛れ込んでいないかと目を皿のようにして検査をするのだが、自分の本となるとなぜか安心してしまって面倒がって必要な慎重さ入念さをかけず、結果として痛恨の過誤が残ってしまうということがままある。無根拠の過信。自分は大丈夫だと、どうして思ってしまうのだろう。自分の世界において己は王であり、王は王特有の独善の死角を抱きかかえていて、厳しいことを言う賢者や道化をつねに身近において叱ってもらうようにしないと危ういらしい。早期の災害の終息を祈るばかり。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 22:44| Comment(0) | 日記