この秋は、紀州有田産のみかんを試している。たまたまこの産地のSサイズのみかんを買ったら、よかったので。外皮をむけば、あとは薄皮ごと食べられる。薄くて脆い、あるかなきかの薄皮なので、これをいちいちむいて食べる方が難しい。というわけで、この産地のMサイズのもの、Lサイズのものと、順に試しているが、大きくなるにつれ薄皮も存在感が出てくるようで、上記の体験をより理想的な形で期待するなら小さめのものを選ぶのがよさそうだ。みかん三昧の季節がくる。
また、最近なぜか、米国のTVドラマ「ツイン・ピークス」(1990年。デイヴィッド・リンチが監督している。タイトルは日本語でいえば二上山のような意味か)を見返し始めている。なぜか……特別なきっかけがあったということでもないのだが、前世紀の末頃に見ていて、背筋が凍るようなシーンに出くわして、怖くなって途中で見るのを止めたようにおぼろげに覚えていて、それがどういうことだったか、「みらいらん」次号で恐怖を特集することもあり、確かめてみようという考えなのかもしれない。まだエピソード3まで見ただけだが(見たことのない人のために付言すれば、エピソード1の前に一時間半のパイロット版というものがあり、これから見ないと話がわからない)、登場人物がいずれも生彩があって魅了される。影のつけ方が巧み。余談になるが、映画「ノマドランド」で使われていたシェークスピアのソネット(あなたを夏の日にたとえようか…)がこのドラマでも出てきて(町の大立者が悪所で口ずさむ)、おやおやと思った。この詩は英語圏では誰でも知っている有名なものなのだろう。
もう一つ、夏から秋にかけて秋元千惠子作品集『生かされて 風花』の制作にかかりきりになっていて、それが終わった後も、蝦名泰洋・野樹かずみ両吟歌集『クアドラプル プレイ』、福島泰樹歌集『天河庭園の夜』、加藤治郎著『岡井隆と現代短歌』と、短歌に向かい合う時間が続いている。これらの本のことは「みらいらん」次号に書くと思うが、最後の『岡井隆と現代短歌』で歌人独特の言語感覚を感じた箇所があったので紹介したい。岡井隆の歌、
ホメロスを読まばや春の潮騒のとどろく窓ゆ光あつめて
について、「この歌の核心は、ホメロスでも春の潮騒でもない。「ばや」という助詞の明るい音韻とほのかな願望が一首の要なのである」と解説している。専門家はそんなところに目がいくのかと驚いた。一般読者としては、ホメロスぐらい読もうじゃないか視野の狭い諸君よ見えない監獄の中のわれわれよ、と教養人岡井隆がやさしく慫慂している面は確かにあるように思うわけだが。もう一首、
蒼穹は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶
「蒼穹」には「おほぞら」とルビがある。この歌については(宮沢賢治の詩との関連が指摘されたあとで)「この豊かで複雑な「蒼穹は蜜かたむけて」という像は「ゐたりけり」という強烈な韻律に引き絞られる。「ゐたりけり」こそ一首の要であり、短歌の存在証明なのである。風景は鋭くえぐり取られ、下句に手渡される。」と語られる。イメージより措辞に注目するところ、短歌の専門家は違うなと痛感するのだ。
(池田康)