2012年02月09日

「難波田史男の15年」NAMBATA Fumio:WORKS 1960-1974

humiotenrankai2.jpg 現在、初台の東京オペラシティアートギャラリーで「難波田史男の15年」が開催されている。会場には穏やかな時間が流れていて、彼の繊細な描線や美しい色彩を静かに鑑賞するにはふさわしい。
 日本の抽象絵画の先駆者、難波田龍起の次男として生まれた史男は、32歳で没するまでに膨大な作品を残している。今回は、同ギャラリーのコレクションと、全国各地から集められた作品の計240点と資料による、没後最大規模の展覧会となった。企画担当者の方々の真摯で誠実な姿勢が伝わってくる、見応えのある内容である。
 史男作品を新たな視点でとらえる試みとして、「無意識の深みから」、「コスモスへの旅」、「幾何学と生命」といったテーマ別に分けられた展示は、その作品の多様な世界を物語っている。「夭折」「青春」といった言葉は、もう不用だろう。作品は作品として残り、語り継がれていくことを、作品そのものが証明している。
 それにしても、小品の水彩画が、ここまで深く内面性の豊かな表現をなしえたとは驚きだ。インクと水彩で、時にユーモラス、時に理知的、音楽的で、しかも常に詩的なのである。60年代に前衛的表現をめざした作家が、その新しさ故にかえって古びて見えてしまうのと対照的に、現代の作家に通じる新しさもある。
 若い人達にも見てもらいたい作品群である。


「難波田史男の15年」東京オペラシティアートギャラリーにて、
3月25日(日)まで。(休館日は月曜日、2月12日(日・全館休館日))
(林小冬)

posted by 洪水HQ at 19:37| Comment(0) | 来信

2011年06月09日

キャベツ

一色真理さんの新しい詩集『エス』(土曜美術社出版販売)を、見ると、私の予想しなかった方向に動いている、逃げる部分があってウサギのような「窓から鱗のある手が伸びて、キャベツのお面をぼくにかぶせる。「ひゃーっ」」イグアナが野菜を食べよう。と思って、仮面も食べてしまおうと思うメロンも食べる。のだな…「そういえば昨夜、おれのベッドを大きな蟹でいっぱいにした犯人は誰だろう?」カニはチョコレートのような食べもので、ベッドがテーブルになったし、テーブルの横ではナマコが食べている。「黒い壁に沿って歩いていたのに、いつのまにか白い壁に沿って歩き」昔の映画はミュージカルが多くて、ピアノの上で踊っている人であるなアと思ったらヴァイオリンを弾いたりチェロを回転させたりしている、氷の、上、だった。「巨大な魚」であると思ったら「菱の実」であったそうだよ、菱を食べる虫、菱を食べる鳥、菱を食べるイナゴを想像する「「薔薇の花が難解になったね」」南極はとても薔薇のような丸い形グルグル回転(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 16:59| Comment(0) | 来信

2011年05月30日

音がない楽器、絵のような板

森山恵さんの新しい詩集『みどりの領分』(思潮社)で、「ぶどう色の」という詩があって、「ことり、エナガ、のながい尾、ぶどう色の―――」ピアノでリズムを、ずらして指でポロポロ演奏しているんだな。エナガは軽い鳥で軽い紫色の鳥で白い鳥であると思った丸い鳥。「羽ばたく音、が―――ぶるるるっと小さく、身ぶるいする音、がして」耳を使って書いているし、動きを、とても、書いていると思う。静かな白い木が多い森である。乾燥した葉の上をカサカサと歩いた小さな生き物「声がする、声、が/ぶどう色の、声、―――/―――声、」ピアノでもないのかもしれなくて、音がない楽器であると思った。音がないのだが演奏であるし、いろいろな腕の動きがあって、舞台を人々は緊迫して見ている呼吸「はじめから鳥でなかった、ただの一度も、鳥ではなかった、/鳥のかたちをして、それでも鳥ではなかった、/鳥であり、もっとたくさんのもの」静かなギターのような、でも音がない森で、「ふたたび、/ぶどう色が、来る」絵のような板(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 23:30| Comment(0) | 来信

2011年05月28日

(嶋岡訳)「すってきぃないっきものオオオ!」

最近の新しい詩集のある嶋岡晨さんは、翻訳する人でもあって。レオノーラ・カリントン『「美妙な死体」の物語』(月刊ペン社の妖精文庫の一冊、1981)の前半のいくつかの短篇小説か散文詩のような夢を嶋岡さんが翻訳していました(本の後半は大井正博訳)。カリントンはキャリントンと書かれることも、あって、毎日新聞のインターネットで読んだ27日の記事ではキャリントンで、レオノーラさんは25日に94歳で亡くなったのです。さびしい。シュルレアリスムの人で、嶋岡さんが翻訳した短篇「王宮からの命令文書」で自動車を地面に埋めて「茸(きのこ)を栽培しようと思いましてね」。浴槽にいる女王が「わたしは、生きてる海綿(スポンジ)しか使わないのですよ。」健康。海綿動物たち「およいで」いました。泳ぐスポンジつかまえる。それから、嶋岡訳の短篇「卵型の顔の貴婦人」でマチルドという喋るカササギがいて、わたしカササギ2回見たことがあるし、「すってきぃないっきものオオオ!」と言う素敵いきもの(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 04:38| Comment(0) | 来信

2011年05月26日

嶋岡さんの新詩集でドドドドドと昆虫を見る

嶋岡晨さんの、前の緑色の暗い(まがまがしい版画もある)カヴァーの詩集『愉しい人生の草野球』についてこの漂流記録で、おお、去年6月30日に、書いて、おお、それから。それから、次の新しい詩集ができあがって、銀色の灰色の暗いカヴァーの(楽器と動物を組み合わせたコラージュもある)詩集『愛する日日のレクイエム』(書肆青樹社、2011)が、できあがったできあがった、これはとても暗い、もがき苦しむ人間の詩集で、私のような、ふざけた人間が読んでいいのかどうかわからないのだが、蝿の詩があって「汚辱だらけの文化史の片隅を飛ぶ句読点/神話的宇宙の裂けめに湧く」、「共棲空間内存在の音楽的友愛的接触/飛びまわる欺瞞世界の技巧絶妙の天才群が/超世紀的先端兵器にまさるこの敏捷さが」というのが蝿を描いた黒い部分で文字がドドドドドドド暗い黒い。宇宙が黒いので蝿が大きく広がっているのだなあ、星雲には足がありますよ。ところで最近私は多い蟻を少しゆっくり見ることができました(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 20:50| Comment(0) | 来信

2011年05月23日

ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャと言った、じゃない

表紙で事典が並ぶ写真で事典の表紙の金属の金色か銀色の部分がキラキラ光っていて並んでいるピアノ、深海魚の、よう、な、白黒写真(ボルヘスも座っている)がカヴァーであるボルヘス『七つの夜』(岩波文庫、野谷文昭訳)が今月の新しい岩波文庫であるということについて、今月の……18日……に、この漂流記録で、書いて。それから、少しこの本の中に書いてあることについて、書こうと思うと、ボルヘスがヴィクトル・ユゴーの詩であるだろう一行を、引用「海蛇座は星の鱗を剥がされた身体をよじる」これは長い長い星座、長い星についての熱帯魚の話なんだな。深海魚は。熱帯魚で。あるので、159ページでユゴーの詩を引用すると、とてもクネクネなウナギを連れて来た犬であるなあと宇宙おもった。おお夢の話の章が、あって、ボルヘスが見たという、友人が鳥になっていく悪夢について書いてあった。手が鳥の足になっている!61ページ、それから変身して巨大なライオン怪獣と戦ったのさ、という話ではないトカゲと戦わない(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 00:07| Comment(0) | 来信

2011年05月22日

現代英詩の勉強会

昨日521日(土)、久我山会館で、イダヅカマコトさんのコーディネートにより、南川優子さん及びヤリタミサコさんを講師とする「現代英詩の勉強会」が行われた。

はじめに、ヤリタミサコさんが、アメリカの詩人アドリエンヌ・リッチの作品「パウラ・ベッカーからクララ・ヴェストフへ」及び「エルヴィラ・シャタエフへの幻想」を紹介してくれた。

次に、イギリス在住で日本に帰国中の南川優子さんが、イギリスの詩人キャロル・アン・ダフィの「バレンタイン」、トム・ガンの「乱れた視野で死にゆく自分を見ているバイカー」、ジョン・アガードの「植物に話しかける」、ジリアン・クラークの「ミュージシャン」という作品を紹介してくれた。

アドリエンヌ・リッチは、レスビアンという社会的に難しいテーマをとりあげたり、作品に実在の人物を登場させることによりタブー視されているテーマを扱いやすくするなどの工夫もしたそうだ。

また、イギリスの詩人と一口で言っても、イングランド、ウェールズ、スコットランドなど地方によって言葉には大きな違いがあるという。また、旧大英帝国の植民地出身のひとたちから見た英語あるいはイギリスというのも微妙なニュアンスがあるらしい。

講師からそうした社会背景の紹介を受けながら、用意してくれた英文と訳文をもとに詩作品を読み、活発な意見交換を行った。

外国語の詩を読むことは簡単なことではないが、日本語では気づかない視点や発想にふれたりすることで大きな刺激や有益なヒントを受けることが出来ると思った。

南川さんやヤリタさんのように英詩に通暁した詩人が最新の英詩を紹介してくれる機会を提供してくれることはとてもありがたいことだし、今後もこのような会が開催されることを強く望みたいと思った。

(南原充士)

posted by 洪水HQ at 16:20| Comment(2) | 来信

2011年05月18日

七、角、夜、ではない

岩波文庫でボルヘス…93年に『伝奇集』(鼓直訳)があって、中野達彦によるカヴァーには紫色の少し眠って笑うようなボルヘスの顔が大きかった。ボルヘスの岩波文庫のカヴァーは、多い岩波文庫の、赤や緑などの四角の中に題名や人の名前と、小さい絵や写真、というものじゃなくて、中野達彦がデザインした、もっと広がる暗い写真や絵である。16年後(待ったよー)、岩波文庫のボルヘスの2冊目が09年『創造者』(鼓直訳)で、中野達彦のカヴァーは太陽のような絵の上に杖を持って立つボルヘスの写真が少し暗くて青かった。それから09年の3冊目『続審問』(中村健二訳)で、中野達彦はカヴァーにピラネージの暗い不安な建築の版画を使って、建築も描かれていてライオンも描かれていたし、これまで3冊の題名が漢字3つ、なので、すると、次は、と思って待っていたのだよ。すると今年5月の4冊目ボルヘス岩波文庫が『七つの夜』(野谷文昭訳)で、この「つの」を「角」と書いたらいけないな…カヴァーで並ぶ事典と少し笑うボルヘス写真(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 23:28| Comment(0) | 来信

2011年05月10日

文字や語が文が生物学の夢

黄色や白の硬いノートで昆虫と花を探して緑色の場所を歩くんだな、この本を持って、と思える装丁の手塚敦史『トンボ消息』(ふらんす堂)が、新しい詩集だ新しい詩集だ、細かい文字や語が文が多く詰め込まれて生物学の夢の勉強でも、あった(図を集めた本のような音楽で読める)。77ページで「種子が割れ、中から子熊やオカピ、ヤモリの類出て来て」オカピですよー首があまり長くなくてシックな模様で、次にヤモリもいろいろな迷路のような模様でもあるだろうか「ハンガー、はさみ、洗剤が、」金属やプラスティックで鳥の巣を作るカラスのようなものも街。「蟻の群が宙をまわっている」アンドロメダについて密かに思う、と西脇さんが(近代の寓話という詩で)書いていたと思った思った。それから手塚さんの詩で「それからモノサシ、染色体、わたぼこり」(78ページ)生物学の図が多い本のカヴァーで染色体はコーヒーのようでボソボソであった。「種子が割れ、」昔メンデルさんが〈私の時代が来る〉と言っていた(思い出す)(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 20:06| Comment(0) | 来信

2011年05月02日

ツンドラ(フィンランド語)

「ゴルジ体は、イタリアの病理学者ゴルジが、フクロウの神経細胞で発見したので、発見者の名が付けられている。」あーフクロウだったのか。フクロウは夜の森のフワフワ(細胞)の中でフワフワ飛ぶゴルジ体なんだなフワフワだ。みみずくフワフワ。ああ、この「」の、中の、文章は、吉里勝利監修の四訂版『スクエア最新図説生物』(第一学習社、2004。ここにあるのは、2011年改訂12版)の、17ページの下の「豆知識」であった。あッ生物学の勉強を少し続けている少し。これは高校の生物の本なのだろうけどもカラーで290ページくらいあってとても楽しい、いつまでも楽しいのではないだろうかフワフワだフクロウ。と思ったし、まだ、あまり読んでないんだけど、葉緑体が移動すると140ページの豆知識に書いてあって森は葉緑体がザラザラサラサラ移動する広がりであると思った透明な緑色であるし、220ページ「ツンドラは、フィンランド語で「木のない丘」を意味する言葉である。」私はツンドラについて何も知らないペンギン(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 17:03| Comment(0) | 来信

2011年04月20日

腕足類(ミドリシャミセンガイ)

生物学の本を読み続ける一ヶ月が最近であったのだけれども、ヘッセの詩を日本語訳で(最近の臨川書店のヘルマン・ヘッセ全集の、第16巻の全詩集、2007)読み続ける数日があって、生物もいる木とか鳥のいる詩であったとしても生物学の本というよりは緑色よりは白だった。しかし生物学の本が、そこに、あると安心するということもあって、数研出版の改訂版『視覚でとらえるフォトサイエンス生物図録』で184ページで、ヒレに骨格がない魚の次、ヒレに骨格があって這うことが可能である「両生類的魚類」、それから次に足で歩く「魚類的両生類」という変化の緑色で青い生きものの絵が並んでいて、今では化石でそのような泳ぎ這い歩く生きものたちの変化がわかるようになっているんだろう化石が緑色にキラキラ光る水のようであるのを想像する絵を。大昔栄えた腕足類はハムのような生きものだったかと全然違うかもしれない想像するし、今では緑色のシャミセンガイが!別の出版社の生物図録も欲しいなあヘッセも読む(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 10:26| Comment(0) | 来信

2011年04月08日

アフリカツメガエル幼生

科学雑誌のようで廊下で読んでいたいと思う暗い改訂版『視覚でとらえるフォトサイエンス生物図録』について、(3月27日にも書いて)それから、それから、再び書く。数研出版の本。私は、クラゲは透明なキノコなのではないかと思って、しかし夢を言っているのだと思うし、この…本の、51ページで、キノコのように育ってケーキのような塔になる青いクラゲが、次に、一枚一枚分かれて、クラゲになるんだなあ舞う舞うよ、ということを喜んで歌っていた、レコードになるCDになるんだろう。私は夢を書いていて書評を書いていない、説明をしない私。53ページの透明と黒と銀色(白)しろがね、の、走る、ような、水中で泳ぐ、アフリカツメガエルの幼生が、熱帯魚のナマズのようで、数十メートルになるのではないかと想像していた映画だが、熱帯魚の店でキラキラの水槽にメティニスという、丸い顕微鏡のような銀色キラキラのピラニアに少し似た丸い魚と、ナマズが曲がって楽しく泳ぐのを。見ていた(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 23:41| Comment(0) | 来信

2011年03月27日

アデノシン三リン酸

最近は生物学の本を読み続けていました。できるだけ読める部分を読んで夢を広げようとしているのかもしれない変なことを書く。そして、数研出版の鈴木孝仁監修の改訂版『視覚でとらえるフォトサイエンス生物図録』(2007)は…高校の生物の本なのだろうか、250ページくらいあってほとんどのページが明るいカラーで、カヴァーは黒と海とウミガメと、豹も、いた。ああ、顕微鏡の光っているような理科の部屋の金属とプラスティックの、写真が、あった四角い。生物の部屋の机が黒いプラスティックのような並んでいるピアノだったのではないかと思う。エネルギーがATP(アデノシン三リン酸)で電気エネルギーであるのがデンキナマズが一例であるというデンキナマズの写真を見ていた、光エネルギーがATPであるのであればホタルになるんだなあということを走る人たちのように見ている。ウミホタルも発光するし熱が出ない光なので「冷光」というイカのような語、泳いだイルカが光っていたらシーラカンス(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 20:04| Comment(0) | 来信

2011年03月21日

「参考書は、チャート式。」

緑色の透明な生きている液体を見たいと思い、カラーの図や写真が、多い、数研出版のチャート式の生物の本を読みました。鈴木孝仁・本川達雄『新生物I』『新生物II』で、本川さんは生物学の話を歌う人でもあって、『II』に「人類進化のうた」が、あった。わたし高校の頃は生物をあまり勉強しなかったから今2冊通読すると多い多い驚嘆。『I』おおウニの発生がある写真が多くて青い緑色だ水である。透明な泡のような丸が徐々にトゲが多いものになっていく10数枚の写真を横に動いて見ていた。カエルも発生する「えら」ができあがる。丸が長くなってエラができて肺魚のように指揮者のように動き始めるだろうし、デンキナマズには「発電器」あります。ミドリムシ。ジグザグ泳ぐ魚(連続写真ジグザグ)。『II』カンガルーネズミ、アフリカツメガエル。カンブリア紀には非常に生きものの種類が増えました、見えます。生きているシーラカンスが夜にゴーッと走って行った。ヤツメウナギは長いので曲がることがある(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 12:38| Comment(0) | 来信

2011年03月09日

どろどろケーキ

昨日池田さんがエルンストについても書いていたエルンストについて私も少し書く2回目。美術出版社の「現代美術の巨匠」の1冊『マックス・エルンスト』(1990)には絵が多くて絵の題名が多い「鵜」ウとカラス、フラミンゴが金属や新聞の色でザラザラの町を上から見ている「白鳥はたいそう大人しい」プールにいる巨大なナマズであるだろうとても静かな動かない。寝室の絵があって軽く描かれたようなクジラが木(海)で泳いでいて建物の廊下を泳ぐ巨大な湖の魚のような、暗い木だった光る。蛇、フナ「貝殻の花」がとても顔で開いていた。いくつも、ある。昼食で草の上でアンコウかピラニアのようなものをお菓子であるケーキだと思って食べて笑っている人いない。いろいろな「(微生物)」「(微生物)」がいるなあ、いくつかの料理をカッカッという音を出して軽く作っていた。どろどろケーキ作る「嘘をつく地球」火星が本当のことをポソポソ言っていた。「怪物の学校」がある絵があって、黄色いペリカンかものはし(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 01:27| Comment(0) | 来信

2011年03月02日

紫色と青と緑

「クロウタドリ」がブドウを運んできたという。それから「そこです/部屋の奥にある日溜まりに注目して下さい」はい。奥にあるのは闇であると思っていたので、奥が明るいとウツボの住む深海の南極の穴が光るのではないか青い、と思う(この詩「ぶどう」にウツボはいないかもしれないが)。(が)。「壁が口を開け/そこから丸い物体が/次々に吐き出されています」壁からいろいろな果実が出てくるのだろうなあ丸い虫のような。虫が虫を食べて明るくなるのではないかと思った、水中でホタルが丸いもののようだ。今年の亀井知永子さんの第一詩集『虹はゼロに満たない』(書肆山田)はカヴァーに、亀井さんがコンピュータを使って描いただろうか紫色と青と緑が多い水のような数学のような驚きの顔(顔ではないか)が広がって、「蝶が舞っています」「壮絶に//この世のものとは思えないほど美しく」。というのが、詩「蝶の夢」の最後の部分であった。「砂糖菓子」紫や緑の光っている砂糖菓子が夜のテーブルの、上。(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 01:01| Comment(0) | 来信

2011年02月27日

ブルーとピンクのワニ(であると思った)

昨日池田さんがエルンストについても書いていたエルンストについて私も少し書く。西村書店のアート・ライブラリー『エルンスト』(1994)が画集で、絵の題名「花と魚」赤い花が魚の肉である鮭であり、花のようにガラスが歩いている店のある町であると思ったチューリップ、題名「ここではすべてのものが、まだ漂っている」レコードがスポーツになる寸前に、水面でプールが漂うオリンピックの人々で、踊りや速度ではないし、虫の骨が魚のイカ。「ちょっと病気の馬」(これも絵の、題名)虫の昔の絵を逆さに貼って船であるように見せたし、筋肉が多いハトの頭であるなと思うと花がムササビの絵だった。金属の連続の中をグググと動いていると馬の後ろから前に地下が走っている金属キノコ、象の絵もあるな。「人間たちはそれについて何もわからないだろう」ワニの夢についての歌だろうか絵の題名。題名「ブルーとピンクの鳩」は怪獣が怪獣と歌う並んでいるピアノの映画だったと思うし、全てがワニ、ワニであると言う(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 06:10| Comment(0) | 来信

2011年02月15日

ウミネコのこと

去年5月1日に、ここのブログでシュトルムの詩(藤原定訳)について、少し書きました。それから、おお、古書だった石丸静雄訳『シュトルム詩集』(旺文社文庫、1969)を、発見して、読む。猫の詩も、ある「猫のこと」(題名)。猫についてのこと。ネコが増えて五十六匹になったという「まあ考えてもみたまえ!」「どれも白い毛並みだが/しっぽは黒い!」数が多いので「ぼくはどうすりゃいいんだ!――」数字は私は苦手なので、どうすればよいのかわからない数学。(旺文社文庫の註に書いてあったことだが)メーリケはシュトルムへの手紙で「あの猫の詩を私はまもなく暗記して、これまでに多くの人たちを楽しませてやりましたよ。」数字も覚える。それからカモメの詩もあった「かもめが海岸湖へ飛んでくる/夕ぐれがやってきたのだ」灰色の夕方の雲は塩味で冷たくてカモメである「灰いろの鳥」のいる詩「海浜」をシュトルムはメーリケに送ったし、花の詩も多いようだが、「かもめとぼくの心」(題名)もあった(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 16:43| Comment(0) | 来信

2011年02月04日

白い美術館が青い

中央公論社『日本の詩歌』19の荻原井泉水の俳句(なのだろうか)について、1月21日の文章からの続き「みかん配りあまりて籠(かご)にあるみかん、大会」この大会はナマコの集まる大会なのだと思ったオレンジ色、かごはルビ「四五人ゆかたでハゼがつれそうな其の船ゆらゆら」電気を出すウナギも光る船に登ってくる這うハゼ、イカ「木の椅子はいつも外に出してあるので雪ふる」木が乾燥しているので雨は雪になってパラパラとやって来る「目をつむつて眠る人形と雪の夜寝ている」朝になると人形は目を開いて熱帯魚になるのだし、水槽が青い青い「海の月がくらげのような思い出になろう」月が透明だったし中で魚がガラスのように泳いでいる小さい。ランプで明るい浮ぶ「白い美術館と冬の草が青くて池のほとり」白い美術館が青いと思いました。水が青くて白い木が青い「水が水とうたいはじめる春になる」レコードはドロドロである。暗い水面には線が多いと思った「走つてぬれてきて好い雨だという」呼吸が明るい(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 05:17| Comment(0) | 来信

2011年01月21日

「古い二階ではある」

飯田蛇笏と水原秋桜子と山口誓子と中村草田男と荻原井泉水の俳句を集めた中央公論社(今見ているのは中公文庫、1976)『日本の詩歌』19の、荻原井泉水の俳句なのかどうなのか1行の詩であるもの「私の首も浮かして好い湯である」水面でいろいろな回転を見せる首ではないだろうし、湯の水面が銀色……でもないんだろう。「空気のぬけた枕で夢を見ていた」夢がかなり逃げて行くがまだ残っていて、湖の怪物はカモメになるだろうし、ケーキは魚になる。魚の料理をバウムクーヘンであると思って見ていた。「からすを呼んでいるのがからす」それからワライカワセミを映画で見ていた。ゴリラとゴリラの会話「につこりと窓が、すうつとしまつて夕べ青い葉」ガラスは顔があるので丸い絵になって楕円形になってニッコリ笑ってしまう口、目。水槽はムカデとメダカ踊るミュージカル、「沼を遠く見せて鮒(ふな)をたべさせる古い二階ではある」フナがルビで、古い木の建物にムクドリも食べていたかもしれない柿、金魚(小笠原鳥類)
posted by 洪水HQ at 21:09| Comment(0) | 来信