
北海道網走に住む山川純子さんの第三歌集『雪原に輝くふたりの大の文字』がこのほど洪水企画から刊行された。四六判上製、164 ページ。 2021年7月13日発行。税込1980円。
著者は短歌文芸誌「ぱにあ」に参加する歌人。地元の開拓百年記念碑に短歌一首を提供したり、居住地の町のイメージソングの作詞もしている。
雪に象徴される厳しい風土、その広い大地での牛飼と農耕の生活。そして娘との思わぬ死別の悲しみ、孫と一緒に暮らしその成長を見守る喜びがこの歌集の筆頭の特徴となっている。本書冒頭の一首は
オホーツクの空の青さを区切りたる大地に牛ら群れて草喰む
どういう環境でこの歌人が日々を暮らしているかが一気にわかる。牛を飼う生業は著者の生活の一部だったが、牧牛の仕事をやめるという決断をし、その寂しさ悲しさをうたった歌もある。
牛飼を廃めるとはまた唐突な 夫の表情はたと見詰める
牛らとの別れの日まであと数日竹箒に背中撫でて回れり
最後なる搾乳終えて送り出さん牛の頭に頭絡を着ける(頭絡=移動の時に用いる綱)
牛発たせし朝なり夫と仏前に手を合わせいる少し長くを
我が職場と三十七年向き合いし今がらんどうの牛舎に立ちいる
解体を明日なる牛舎ひっそりと闇の底いに同化してゆく
娘さんが急逝したときの歌は悲痛だ。癒えることのない創痕を著者の心に残したにちがいない。
救急車来るに停車し見送りぬ搬送さるるが我娘とも知らず
病院に着きたる時はもう既に娘は逝きており呼ぶ声も出ぬ
薄赤く灯れる車内手を添えて此の世の外なる我娘と戻りぬ
そうした悲哀の感情と対照的なのが、一緒に暮らすことになった孫の赤子時代から小学校高学年までの成長を詠んだ一連の歌だ。活力が家庭にみなぎる。
娘一人の我に縁なきと思い来し内孫なりぬ男の子とぞ
「男児ですよ」と言われし時の感動のそのオチンチンなりしみじみと見る
一歳の嫌嫌嫌なり全身が嫌の一心反り返りたり
這イ這イを卒業したる足音がドア開け廊下を突っ切って行く
「マサモ除雪スル!」赤い防寒着にスコップ持ち勇んで三歳雪降るなかを
「サンタさん、本当はいないよ」と言いながらプレゼントのリボン解きゆく孫は
そして歌集名は次の歌から採られている。
孫を真似て新雪のなか倒れ込む舞い上がる雪顔に落ち来る
新雪に腕を広げて倒れ込む 孫の「大」の字 我の「大」の字
晴れやかな心持ちが雪景色と溶け合うかんじが独特だ。
山川さんがあとがきで次のように書いている。
「短歌を学び始めたのは平成元年の春。いつの間にか三〇年を超えた。この間に二冊の歌集と、その後歌文集二冊をまとめ、今回は一八年ぶり三冊目の歌集になる。七〇歳という区切りもだが、子供を亡くした悲しみの中、孫の傍らで成長を目の当たりにしながら詠み溜めた作品を確かな形にしておく事が、何よりの目的である。」
18年をかけて生まれた果実が豊潤でないはずがない。
(池田康)