2021年03月15日

洪水5号、6号、7号のこと

久しく品切れとなっていた「洪水」5号、6号、7号ですが、最近在庫の整理をしていたら、見つかりましたので、ご希望の方はご注文下さい。それぞれ、5号=特集「新実徳英の自然」、6号=特集「佐々木幹郎、音に遊ぶ」、7号=特集「瀧口修造の息吹」、となります。
(池田康)
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2021年03月07日

国立劇場公演「詩歌をうたい、奏でる―中世と現代―」

不可能あるいは非常に難しいだろうと思われたことが実現すると、驚きと感心とともにその成功に拍手することになる。先日の北関東の山火事も消すのは至難だろうと見ていたのだが、本格的な雨天もなかったのに消火に成功したと報道されて驚いた。一体どうやって消したのだろう!?と感嘆するばかりだった。
「みらいらん」7号で記事にした、「ベルリン連詩」(大岡信+谷川俊太郎+H・C・アルトマン+O・パスティオール)の音楽化の企画も、西洋のオーケストラと和楽器のオーケストラを一つの舞台に同居させるのは結構大変だろうと想像していたのだが、昨日その実際の公演があり(「詩歌をうたい、奏でる―中世と現代―」国立劇場小劇場)、緊急事態宣言のただ中だったが折角なので聴きに行き、思いの外、なんでもないことのように両者が溶け合って一緒に演奏していて、2グループが截然と分かれた形を思い描いていたので、こんなふうになるのかと感心した。
テキストが連詩という、どこから来てどこへ行くのか見当もつかない、本質的にとりとめのない断片のいくばくかのつらなりであることが、音楽を過激にアナーキーにする。とりとめのなさが遊びを誘発するのだろうか、作曲家(川島素晴、Marc David Ferrum、桑原ゆうの三名の共作)や音楽家たちがこんなにものびのびとおおらかに遊ぶのは、かつてないことではないか。芸術の道を究めるという厳粛さは感じられず、リズムが立つ部分があまりない雲の流れるようなゆるやかな動きの、和洋楽器の雅やかで悪戯気を含んだ遊戯の響きが展開される中で、詩句が朗誦される。日本語パートは能楽師の坂真太郎、ドイツ語パートはバリトンの松平敬がうたった。能楽師の謡の発声は独特の迫力があり、ぎらぎらしたざらつきを帯び、尖っていて、ナンセンスな断片がナンセンスなままにこちらの心に突き刺さってくる。音楽は、無邪気かつ技巧的に、遊びまくる。水の流れる音がしたので、あらかじめ録音したものを再生してスピーカーから流しているのかと思ったら、オーケストラの最後部の数人が薬缶を傾けて足元に置かれたバケツの中に水を注いでいたのだった。更にはバケツの水の中に手を入れてちゃぽちゃぽさせることまでしていた。これは笑ってしまった。
遊びに満ちているとはいえ、こんな変則的な編成で、練習にどれだけ時間をかけたのか知らないが、大変難しい演奏だっただろうと思う。指揮者を務めた川島素晴をはじめとする演奏メンバーを賞讃したい。言葉はどこからやってきてどこへと我々を導くのかという連詩の問いは、少なくとも純真な音楽へは到達したようだ。
コンサート前半の、中世の部の、乱拍子、今様、乱舞、白拍子などの復元演奏も、なるほどと興味をもって聴いた。
(池田康)
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2021年02月22日

詩素10号記念投稿詩募集について、ふたたび

詩誌「詩素」10号記念投稿詩募集の応募締切が迫っていますので、あらためて告知したいと思います。次のような形での募集となりますので、すべての意ある皆様はぜひ大胆に詩嚢の紐をほどいてご応募下さいますよう。お待ちしております。
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詩素10号記念・投稿詩募集

本誌が10号に達することを記念して、若い世代の詩人を対象に、詩作品の投稿を募集します。要項は下記の通りです。清新な作品の到来を期待します。

〈応募資格〉
40歳以下(締切日を基準として)

〈応募作品規定〉
一人一作。本文40行まで(空行含めて)。一行の字数は40字まで。

〈締切〉
2021年2月28日(日)

〈応募先〉
下記のメールアドレスにメールにて応募のこと。

siso-obo■kozui.net
(■にはアトマークを入れて下さい)

作品原稿はメールに直接書き込むか、テキストファイルあるいはワードファイルを添付する(一太郎は不可)。
氏名、郵便番号、住所、年齢を明記のこと。
郵送・ファックスは不可。

〈賞〉
最優秀賞=1篇、優秀賞=2篇
選ばれた作品は、詩素10号に掲載される。粗品進呈。

〈選考委員〉
南原充士(委員長)・海埜今日子・冨上芳秀・野田新五・南川優子

〈発表〉
詩素10号誌上

★「詩素」については、
をご覧下さい。
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2021年02月17日

八重洋一郎詩集『銀河洪水』

八重洋一郎さんの新しい詩集『銀河洪水』が洪水企画から刊行された。A5判並製、96ページ。本体1800円+税。
八重氏は昨年詩集『血債の言葉は何度でも甦る』を出したばかりであり、ここにきての意力と創造力の漲りに目を見張らされる。以下、帯文。

爆発。私は核爆発のように自らの存在の『核』に触れ、自爆したかった。そして一切をわが身もろともふきとばしたかった。(「ある序文」より)
詩人のリズムが生の謎を解こうとする、その戦慄が根源的抒情の氾濫を導く。

あとがきでは次のように語られる。

コロナウイルスが跳梁し、ついにWHO(世界保健機関)がパンデミック(世界的流行)を宣言する事態となった。その不安の中で日々を過ごしていたが、ある時、ふと「メメント・モリ(死を銘記せよ)」という言葉が頭に浮かび、日が経つにつれて、それが重く伸しかかってきた。
私はこれまで歴史や思想や文学などについて非力ながらも自分の考えを詩の形で発表してきたが、「メメント・モリ」というこの言葉はこれまでの一切を総点検せよと迫ってきたのである。

「総点検」という言葉の通り、氏の社会思想と地誌と人生論と宇宙論と詩論とが渾然一体となった集大成的な詩集となっている。過去の詩業から余韻をとりこんでいる点もその印象を強くする。「豊饒」「まゆんがなす」などのその土地独特の生活の色彩が神々しい詩篇はことに重みがある。「浄夜」の最後の部分を引用紹介したい。

 漆黒深い闇の
 森
 うすよごれ ギリギリにやつれはてた骨と皮
 風は破られ
 すべてを棄ててこもり身の祈る人の魂は
 蝶となって森の上を
 ただよい浮かび その
 羽根は
 天降りくる「言葉」によって光の星座がやきつけられる
 いのりとは?
 ことばとは?
 ひかりとは?
 「わからない」
 もぬけのからとなった人はたおれ
 蝶は森じゅうひらひらとんで
 (すべての星はすべての星と七宝飾りにつながって)
 闇をぬい ひらひらひらひら とぶ
 たびに
 蝶の羽根から ひとすじ ふたすじすじをひき
 星々が 分厚い
 りんぷんとなって
 こぼれふる
 しげりあう枝々ひかり したくさひかり 土さえひかり

 やがて
 森は
 銀河洪水

(池田康)
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2021年02月14日

『八重洋一郎を辿る』読売新聞の書評欄に

本日の読売新聞の書評欄で鹿野政直著『八重洋一郎を辿る』(洪水企画)が紹介されたので、ぜひご覧いただきたい。評者は、大原哲夫氏。シーサーにはさまれた本の写真の下に「歴史の重圧に踏みにじられ、さいなまれ続けた者にとって「生」とはなんであったか。石垣島に生まれた詩人の魂に触れる。地球より重い一冊。」との言葉がある。
鹿野氏の専門は日本近現代思想史。歴史研究ではあるが、特段の意図をもって思想を研究するという点で通常の歴史学とは違っているようで、いかなる考えと価値意識と戦略がそこに動いているかを調べながら歴史の推移を分析するところに氏の特異性が出てくる。思想とは、ある正義(価値観)を組み上げる建築術であり、けっして絵に描いた餅ではなく、思想が最大限に発動するとき社会全体の人間の生活が根底から左右される。従って思想史研究は常に危険区域に足を踏み入れ、ときには大変な修羅場に身を置くことにもなる営為なのだ。強者の思想は弱者をものの数ではない存在として虐げる。いい加減な国策思想は国をあらぬ方向へ導き座礁破綻させる。イデオロギーが無辜の脳を焼く。マジョリティの無自覚な〈普通〉なる思想は少数者を圧迫する。支配者の強引な思想には、民衆は奇想天外のゲリラ的思想をもって搦め手から立ち向わねばならないときもある。正義の建築術としての思想のさまざまな諸相、法的正しさの名の下に生起する有象無象の理不尽が、たとえば氏の『沖縄の戦後思想を考える』(岩波現代文庫)などを読んでいると判然と見えてきて、戦慄しため息をつく仕儀となる。
そして鹿野氏は思想の生々しい発露を文学作品に認めることが多く、この『八重洋一郎を辿る』はその追跡が思いの外の遠路となり一冊の本に実ったものだ。
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2021年01月20日

遺作集ふたつ

フランス文学研究家(フィリップ・ジャコテ研究など)の後藤信幸氏は、有働薫さんに紹介していただいたのだが、「洪水」にも「みらいらん」にもご協力いただく機会のないまま、2017年の夏に逝去された。その後藤氏の全句集『葛の空』(邑書林)がこのほど刊行された。生前に全句集は作りたいと語っておられた由だから、趣味道楽というレベルを超えて、文学者としての真剣な創作だったのだろう。すべて一定の水準の句にも見えるのでどれを選んでも可のような感じだが、印象深く読んだ数句を挙げる。

 枯野来るひと消炭のごとくなり
 あの世にもこの世の蝉の聲しかと
 走馬燈美しき闇置きにけり
 春の野をどこまでも子ら誘ひぬ
 丹澤の背に奇怪の冬の富士
 秋風や一穂の家藪の中(一穂は詩人吉田一穂)
 無縁墓地わが屍を埋めるところ
 七夕に捨て猫のゐて眠られず
 朝顔を遠くより見る妻を見る
 天の川堤長うして佇めり
 する墨のかげ圓かなる十三夜

詩人の(同じく仏文研究者でもある)清水茂氏は昨年の一月に逝去された。晩年の詩作の豊穣さには目を見張ったものだが、このほど更に遺作詩集『両つの掌に』(土曜美術社出版販売)が刊行された。その中から「籠いっぱいに 星を」という短い詩を紹介する。

 疲れ果てて 夏が凋むと
 夜が素早くやって来る。仮にそれが
 私にとっての最後の夜だとすれば
 もう秋は私に挨拶をしには来ないだろう。

 向こうで誰かがその秋を収穫する姿が
 幻に見える。私のいなくなった静かな夜、
 その人が手に提げた籠いっぱいに
 星を摘み集めている様子が見える、
 ひとつずつの星を丹念に吟味しながら。

巻末には詩的世界観を語った講演録(2012年)が収められている。
(池田康)
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2021年01月15日

冬のウタビト

ヘビーローテーションを訳すとしたら、どうなるか。蛇円環、じゃなくて、延々反復、諄々循環、徒然なる繰返し、堂々巡りのどつぼ……そんなようなかんじで、近頃、中島みゆきが昨年師走に出した二枚組選集アルバム『ここにいるよ』を聴いている。真冬の底でこの歌手を聴くのは、水を得た魚かどうかわからないがよく合う気もする。知らない曲も何曲か入っているのは新鮮。落涙級に聴き入ったのは「アザミ嬢のララバイ」だった。この最初期の曲について今更書くのは気がひけるが、「時代」といい、このウタビトは二十歳になるやならずの頃に旋律からしてすでに悟り切っている雰囲気がある。「春は菜の花、秋には桔梗」とあって、「夜咲くアザミ」とうたわれるのだが、今の季節に聴いていると、春、秋と来たのだから「冬咲くアザミ」なのだと勘違いしてしまう(実際の花の季とは違うのだが)。私の歌は、いい季節にうかれさわぐ遊興の歌ではないと言われているようなかんじがする。そしてそれは外れてはいないと、このCD全体を聴いて思う。厳しい歌をうたってきた人だ。
(池田康)
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2021年01月05日

みらいらん7号

milyren7.jpg「みらいらん」7号が完成した。この号から表紙を詩人の國峰照子さんの木彫オブジェ作品が飾ることになる。この7号は「交響」という作品。目次頁に載せた國峰さんのコメントをお読みいただきたい。撮影のために昨年10月に御宅にうかがったとき、相当に苦心をしての作品撮影を終えて、LUCKY STRIKEの極細タイプの煙草をいただいて一緒にふかしたことをありありと覚えている。
今号の一番大きな特別企画「いま、なぜビート詩か?」は、中上哲夫さんからビート詩研究会というのをやっているからその座談会をとご提案いただいたのだが、昨今の社会情勢では座談会は無理だろうということで、回覧書簡という形になった。五人の研究会メンバー、中上哲夫・油本達夫・飛松裕太・長田典子・野木京子の各氏がこの順番で手紙をつづる。前編と後編にわかれていて、今号は前編で、それぞれがどのようにしてビート詩に近づいてこの研究会に参加するに至ったかが語られている。後編は次号掲載予定。
そして連詩についての記事を二つ並べて掲載した。一つは、野村喜和夫さんによる「「しずおか連詩」の過去・現在・未来」で、故・大岡信を引き継いでこの連詩の会の捌き手(世話人?)をしているご本人による紹介は核心を捉えていて重みがある。大岡信が現在の連詩の形をどういう論理で構築したかもわかり理解がぐっと深くなる。もう一つは、その大岡信が谷川俊太郎、H・C・アルトマン(オーストリア)、O・パスティオール(ルーマニア)といった詩人たちとともに1987年に試みた「ファザーネン通りの縄ばしご ベルリン連詩」(岩波書店から本になっている)を三人の作曲家が共同作曲で音楽化しようとする国立劇場のプロジェクト(3月5日/6日の公演「詩歌をうたい、奏でる ─中世と現代─」で発表される予定)について、制作者の石橋幹己氏(国立劇場)と作曲家の桑原ゆう・Marc David Ferrum・川島素晴の三氏のお話・文章で制作の内側を語っていただいた。非常に興味深く読んでいただけるものと思う。
それから昨年末に弊社が刊行した『幻花 ─音楽の生まれる場所』(燈台ライブラリ4)の著者の、作曲家・佐藤聰明さんのインタビューを載せる。これも回答をご執筆いただいた。単行本と併せてご味読いただきたい。アメリカの音楽財団から作曲を依頼されたバイオリン協奏曲のエピソードは昨年の世界および佐藤氏ご本人の状況をよく物語るものだ。
巻頭詩は、川口晴美、新倉俊一、大木潤子、大橋英人、永方佑樹の5名の方々(とりわけ川口作品は昨年来の感染症災禍を反映して鋭く、お見逃しなく)。巻頭連載詩はこの号から和合亮一さんが担当(3回の予定)、この長篇詩は我々をどこに導くのだろうという不思議の念とともに辿っていただきたい。俳句は柴田千晶、短歌は野樹かずみの両氏の作品。
その他の内容については、下記リンクから目次紹介をご覧下さい:
(池田康)
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2021年01月02日

新春酔眼放吟


世界はリズムから成る

塔を建てる槌の音ファッションモデルの鋼のハイヒール詐欺師の立て板に水の駄法螺トウモロコシの黄の紡錘整列ジャブとストレートの高等漫才星辰の一億年に一の鼓動セコイアの年輪の時間旅行国語大辞典の蚤のノンブル赤んぼのあきらけき呵々山川草木の種の目覚め心道(ウラミチ)を走る霊気のパルス遮二無二止まらないしゃっくり野良猫の神のパトロール鉄路の正しい読点廃校は虫すだくオーシャン煮られる小豆のキンダータンツタイプライターの騒然たる無学文盲蜘蛛の巣のくすしき設計九十九番まである盆唄甲子園にとどろくへぼペットどぶ川沿いの桜の合唱禰宜のねごとを刻む包丁六日おきにめぐってくる日曜日五時間おきに飲むコーヒーライオンの牙と爪の古代家系図自転車のペダルたんぽぽのペタル夢のあかつきに立つ時計塔の点鍾

世界はリズムから生る


(池田康)
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2020年12月28日

レコードで聴く佐藤聰明初期作品

satosomeirecords.jpg作曲家・佐藤聰明さんの初期作品を収めたLPレコードがこのたびスイスのWRWTFWW Recordsから二点発売された。
一つは、マンダラ三部作と呼ばれる「マンダラ」(1982)、「マントラ」(1986)、「タントラ」(1990)という三曲の電子音楽作品、そして「舞」(2004、ハープとオーケストラの作品)を収録した二枚組の「MANDALA TRILOGY+1」(写真下)、そしてやはり電子音楽「エメラルド・タブレット」(1978)と「エコーズ」(1981)を収録した「EMERALD TABLET/ECHOES」(写真上)。写真の一番下には、大きさの比較のため、マンダラ三部作収録のCDを置いてみた。ジャケットデザインは杉浦康平氏とのこと。
マンダラ三部作は、音楽と音楽以前の中間領域で音が立ち上がっているようで、キャンバスを塗り込めた抽象絵画を思わせ、言葉が生まれる以前百万年の仄暗い精神史が音で描かれているかのように、霊気を帯びて聞える。三作目の「タントラ」になると、人声のような響きも感じられ、大分人間に近づいている気配もある。2004年の「舞」はすでに古代に踏み込んで、音楽らしい音楽になっている。
CDと聴き比べると、レコードはより柔らかく空気感のある音がするように思われた。佐藤聰明音楽の原点がここにあると言えそうだ。
(池田康)
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