2022年04月22日

詩素12号

詩素12表紙003.jpg詩素12表紙004.jpg詩素12号が完成した。今回の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、大橋英人、小島きみ子、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、高田真、たなかあきみつ、七まどか、南原充士、新延拳、二条千河、野田新五、八覚正大、平野晴子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと、小生。
ゲスト〈まれびと〉は、伊武トーマさんをお招きした。
巻頭は、高田真「交差点で」、山本萠「草の日々であるそのひと」、吉田義昭「風景病」、大橋英人「(りんごとロープのラプソディ 2編)」。
表紙の詩句は、T・S・エリオットの“The Song of the Jellicles”の第3連。裏表紙のほうもご覧いただきたい。野田新五さんが描いた絵で、マスクになにか文字が書いてあるが、「ウクライナに平和を」という意味だとのこと。
ぜひご覧下さい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 09:07| 日記

2022年04月10日

春の(ばかされた?)一夜

昨日は東京グランドホテルで日本詩人クラブ賞ほかの授賞式があり、二条千河詩集『亡骸のクロニクル』(洪水企画)が新人賞を受賞した関係で出席、二条さんの紹介スピーチをした。二条千河さんの自作品朗読と受賞のことばは、若いころ演劇をやっていたからか、舞台人のパフォーマンスのような力強さ、覇気があり、驚かされた。なお、クラブ賞は草野信子氏(詩集『持ちもの』)が受賞。式の後は大門付近の店で近しい者たちが集まりささやかな祝宴、終えて店を出たら、西の方角におばけのように東京タワーが輝いていた。
(池田康)
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2022年04月02日

「東京人」5月号書評ページ

「東京人」5月号の書評ページで小池昌代さんが宇佐美孝二著『黒部節子という詩人』(洪水企画/詩人の遠征11)を紹介・批評して下さいました。是非ご覧下さい。
(池田康)
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2022年04月01日

「現代短歌」5月号

「現代短歌」5月号(90号)の特集は「アイヌと短歌」で、まずバチェラー八重子(1884〜1962)が紹介され、「ふみにじられ ふみひしがれし ウタリの名 誰しかこれを 取り返すべき」「亡びゆき 一人となるも ウタリ子よ こころ落とさで 生きて戦へ」等のアイヌの悲運を表現する代表歌が掲出される。「ウタリ」とは「同族」の意という。他に違星北斗、森竹竹市、江口カナメといった歌人たちもしっかりスペースを取って紹介されている。
まず第一に感じるのは、国や民族の危急存亡のときには詩歌は民族の歌声を汲み上げるものだということ。これは独特の調子の高さを生み出す(ヘルダーリンもいくらかそういうところがあるだろう)、と同時に、戦時中の日本の詩歌のように、危うさを帯びてしまうこともありうる。詩歌は「民族の歌声」をできれば過度に孕まない方が安全で幸福なのだろうが、どうしても噴き上げてくる時もあるのは否定できない。今のウクライナの詩歌人は、なにか書いているとしたら、どのようなものを書いているのだろう。
横道にそれるが……「戦時中の日本」で思い当たるのだが、ウクライナでの戦争が始まった時点で、日本にできることが一つあったのではないか。それは「疎開」という概念を伝授することだ。激しく砲撃・空襲される都市に子供たちを残すのはよろしくない。可能ならば、比較的安全な田舎の地域へ集団疎開させるべきだろう。「生きて戦へ」はスピリットとしてはわかるし感銘を受けもするが、子供を現実の戦いの最前線に置くのは無茶だ。わが亡父も、戦時中の集団疎開の経験をひどく辛くひもじかったとよく語っていたが、辛いとしても命を落とすよりはましだ。概念があれば実行できることも、それがないと全く思いつかず実行されない、ということもあり得るだろう。「アメリカンドリーム」という言葉がなければアメリカで成功を夢みて努力することは少し余計に骨が折れるだろうし、「津波てんでんこ」という思想語彙がなければ津波のとき他人にかまわずてんでんこに逃げづらい。
アイヌに話を戻せば、アイヌ語を話せないアイヌ人という境遇も出現しているとのことで、これは政治、統治のあり方がからんでいるのだろうと思われるが、悲痛だ。
バチェラー八重子歌集『若き同族に』より。

 野の雄鹿 牝鹿子鹿の はてまでも おのが野原を 追はれしぞ憂き
 寄りつかむ 島はいづこぞ 海原に 漂ふ舟に 似たり我等は
 古の ヌプルクイトプ 知らせけり ポイヤウンペの 行くべき道を
 石のごと 無言の中に 力あれ ふまるるほどに 放て光を
 逝し父を まだ帰らずやと 思ひつつ 家中さがしつ 幼なかりし日
 霊にだに 会ひたきものと 暗闇に 目を大きくも 開けて見しかな
 有珠コタン 岩に腰かけ 見てあれば 足にたはむる 愛らし小魚
 オイナカムイ アイヌラックル よく聞かれよ ウタリの数は 少くなれり

(池田康)

追記
英語に「evacuate」という言葉があったことを思い出して、辞書を引いてみたら、
The children were evacuated to the country (during the war).
という例文が複数の辞書に出ていた。
してみるとこれは常識とされている事柄なのだろうと考えられる。
posted by 洪水HQ at 12:06| 日記

2022年03月29日

「現代詩手帖」4月号

「現代詩手帖」4月号に寄稿しましたのでご覧下さい。「詩人はオペラである」という変なタイトルのエッセイです(「横断する表現」というリレー連載のコーナー)。なお、この号の特集は「新鋭詩集2022」となっています。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:17| 日記

2022年03月19日

歌の話に心揺さぶられる

地震のお見舞いを申し上げます。
うちの辺りは震度4くらいだったのだろう、寝ていてひどく揺れるのを感じて恐ろしかったが、家具やものが倒れたり落ちたりはなく、胸をなでおろした。なぜ地震はあんなにも突然にくるのだろうか?
この冬から春にかけて、オペラ関連の本を図書館で借りて読んでいたのだが、三澤洋史著『オペラ座のお仕事 世界最高の舞台をつくる』(早川書房)は生彩があって面白く、読んでいてとても気持ちよかった。著者は指揮者で、主に合唱指揮をなりわいとしていて、新国立劇場などで活躍する。多くのオペラの演目を解説するわけでも、オペラ史を系統的に語るわけでもなく、自分の歩いてきた道のりを振り返りながら印象深い出来事を語っていくという、自由でラフな構成なのだが、音楽家が書いてもなかなか語られないような音楽上の機微がさまざまに取り上げられ、説明されていて非常に興味深い。おもに歌手(と合唱団員)がどう声を作り唱うかの話であり、発声しにくい音域でテノールはどう裏声を混ぜ合わせてなめらかな歌声を実現するかとか、言葉をどう歌声で発声するか、言語がちがうといかに言葉と旋律の関係が変わってくるかとか、バスを強く厚くすることがどれほど重要かとか、いずれも教えられることが多い。指揮棒の打点と実際に音が発せられる瞬間との間のわずかな時差についても非常に悩ましい問題として率直に語られていて、かねてから不思議に思っていたことなので、やはりそうなのかと納得したところもあった。なによりも、一曲を創造する現場の動き(政治、駆け引きもふくめて)が生々しい。どうしようもなくぐしゃぐしゃだったアンサンブルが指揮者に導かれてみごとな演奏に化けるさまの描写は、読んでいるだけで音楽が聴こえるようだ。
戦争で世界が激震するのは恐怖そのものであるし、現実の地面が大きく揺れるのも願い下げだが、精神性と創造性に溢れた文章に心が揺さぶられるのはありがたい経験だ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 10:32| 日記

2022年03月11日

ナポレオンでさえ

ウクライナの情勢はきびしいままのようで、遠い地のことながら、戦時下の非常な過酷さが伝わってくる。
久生十蘭には戦時下のパリなどを舞台にしたものが少なくなく、その陰鬱と物騒が作品の根底の味わいとなり、こういう時勢だと戦争の空気のリアリティにふれたくついつい読んでしまう。「勝負」「巴里の雨」など(それぞれ河出文庫の『十蘭錬金術』『パノラマニア十蘭』所収)恋愛ものではあるが、風雲急を告げる時代描写がいたく生々しい。作者自身がヨーロッパに行っていたとき軍事物資関係の仕事に携わっていたのか、その方面にとてもよく精通している感じがする。ほかにも、「公用方秘録二件」は二つの国の角逐が小さなシーンで鮮やかに描かれて面白く、「爆風」は空襲の直撃をいかにのがれるか、その知恵についての冷静な記述に引き込まれ、「犂氏の友情」はウクライナ人であるロシア人!?が出てきて、とんでもない展開に驚愕する。
今のウクライナを見ていると、陰鬱や物騒の雰囲気はもちろんあるが、勇敢とか覚悟とかいった言葉も思い浮かぶ、これはおそるべきことだ。なにか大きなプラスを得るという意味での勝利はむずかしいかもしれないが、できるだけ納得できる形でサバイバルを果たしてほしいもの。
先月24日にNHKBSで放映された映画「戦争と平和」(1956、キング・ヴィダー監督)を見ると、200年前のナポレオンの頃の戦争がどんなふうなものだったかがおよそわかるとともに、侵略という暴力的外交の行為が(攻める側の思考・欲望が単純な分だけ)無理や危険を伴うものだということを教えられる。ナポレオンでさえ敗れる、それは尤もなことわりだ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:10| 日記

2022年03月05日

図書新聞3534号

図書新聞3534号(3月12日号)に、野村喜和夫・杉中昌樹著『パラタクシス詩学』(水声社)の書評を寄稿しました。ぜひご覧下さい。(池田康)
posted by 洪水HQ at 10:36| 日記

2022年03月01日

『亡骸のクロニクル』が日本詩人クラブ新人賞に

二条千河詩集『亡骸のクロニクル』(洪水企画)が第32回日本詩人クラブ新人賞を受賞しました。おめでとうございます。


追記
当ブログのコメント欄は閉鎖いたしました。ここのところ悪質な書き込みが頻発しておりますので。あしからずご了承ください。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:00| 日記

2022年02月26日

ありえない悪夢の仮定の……

ウクライナで戦争が始まっている。超大国の絶対的権力者が魔王になったらどうなるかという〈ありえない悪夢の仮定〉のはずのことが現実に起こりつつあって、それを目撃することになるのだろうか。
ここ数日、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ルートヴィヒ」を見ていたが(ワーグナー関連作品。上映時間は4時間に及び、映画というよりもヴィスコンティがきわめて明確な夢物語を見ているというかんじ)、王と呼ばれる存在は、やろうと思えば放恣はいくらでも可能で、自身の精神、心を節度をもって平らかに英明に保つことがいかに難しいかを強く印象づけられる。私は謎だ、他人にとってだけでなく自分にとっても、とルートヴィヒ王(バイエルンの君主)は死の直前に独白する。
王侯でなくても、選挙によって地位についた長であっても、任期があまりにも長くなると、精神の健康・健全を損なうことなくすぐれた国政の船頭でいつづけるのは至難にちがいない。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:03| 日記