2024年07月01日

みらいらん14号完成

milyren14.jpgみらいらん14号が完成した。
今回の特集は「詩と俳句を貫くもの ──高岡修を中心に」。
小説家の藤沢周さん、城戸朱理さん、そして高岡修さんの三人による座談会「世界の中枢を言葉の針で刺す」は3月に鎌倉で行ったもの。私はこの時初めて高岡さんに会った。「洪水」や「みらいらん」には何回もご寄稿いただいていたし、詩集や句集も何冊も拝読していたが、書かれた作品から想像されるイメージとはかなりずれた、陽気で冗談好きで人懐こいお人柄は、初めて会うとは思えない親愛の空気を発出していた。座談会では詩と俳句と小説の相違する点、重なる点といった文学理論の面から、高岡さんの遍歴の物語まで、そして最新作(詩集『微笑販売機』と句集『蟻地獄』)の鑑賞も含めて、多岐にわたる内容となった。エッセイは、富岡幸一郎、堀田季何、石田瑞穂、渡辺めぐみ、松尾真由美、平川綾真智、うるし山千尋、八木寧子、柴田千晶の各氏が寄せて下さった。詩と俳句とを合わせて考える絶好の機会となったと嬉しく思う。
巻頭詩は、蜂飼耳、田中庸介、八重樫克羅、北條裕子、青木由弥子、肌勢とみ子の皆さん。
表紙のオブジェは國峰照子さんの「出口なし」と「虚ろ」。その他詳しくは下記のリンクからご覧下さい:

それから、今回、編集途上の5月にメインのパソコンの故障、買い替えという厄介な危機を経ることになった。それに関連して、最終ページの「巻末遁辞」で、「パソコン更新で最も繊細な齟齬は、古いパソコンに入っていたフォントが新しいパソコンに入っていないというささやかな障害だ。よくある明朝とかゴシックなら粛々と代替を考えるが、特殊なフォントで記事のタイトル部分に使っている場合はやっかいだ(アウトラインをかけておけという話だが)。なるべく変えたくない。補助のノートパソコンで見つかったり、昔購入したフォントのCDROMの中に入っていたりして解決できたものもあるが、どうしてもない場合は前号のPDFの該当部分を画面上で拡大してスクリーンショットで画像化するという乱暴な最終手段を取らざるをえなかった箇所もあり、今号のどこかがそうなっている。お気づきだろうか。」と書いているが、後でこれはナンセンスだと気づいた。版下に使うPDFはフォント情報も含んでいるから、スクリーンショットなど無用、PDFをそのまま使えばいいのだ。窮地に陥ったときに必ずしも最善のアイデアが浮かぶわけではないという見事な一例だろうか。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 15:39| 日記

2024年06月28日

虚の筏34号完成

虚の筏34号が完成した。
今回の参加者は、生野毅、小島きみ子、酒見直子、久野雅幸の皆さんと、小生。
下記のリンクからご覧ください。
http://kozui.sakura.ne.jp/soranoikada34.pdf

虚の筏のバックナンバーはこちら:
http://kozui.sakura.ne.jp/soranoikada.html

昨日、本の詰まった段ボール箱(みらいらん14号が80冊〜100冊入っている)を運んでいて、腰を痛めた。諸事まことに不便。皆さんもご注意ください。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 10:27| 日記

2024年06月20日

白石かずこさんご逝去

白石かずこさんが14日に逝去されたとのこと。93歳というご長寿ではあったが、ここ数年は体調思わしからざるところもあり音信がなかったことが寂しいことだった。私は「洪水」誌をやっていた頃、4号(2009年)で「白石かずこの航海」という特集を組み、たくさんお話を聞かせていただく機会があった。かけがえのない、非常に貴重な経験だったと回想する。その中でとりわけ印象に残るのは、何度か耳にした「世界はどんどん悪くなっている」という言葉だった。その頃は(私としては)あまりピンとこないご見解だったが、直観的に世界の動向をそう見て(感じて)おられたのだろう。今になると、世界を見渡し、社会を眺めて、白石さんのあの言葉に共感せざるを得ない部分が非常に多い。恐るべき予言的洞察だ。
朗読も旺盛にされて、何度も聴いた。巻物に自筆で(筆と墨で?)書いた原稿をほどきながら、読み終えた部分を垂らしながら床に折り重なり乱れさせながら読んでいくスタイルは独特で迫力があった。フリージャズの演奏者と共演する場合も多く、ジャズとの共演はレコードにもなっているくらいだから、いつもの装身具を身につけるくらいの遠慮のない関係だったのだろう。下北沢のレディジェーンでの朗読会はトランペットの物狂おしい叫喚とともに特に思い出に残っている。
初期から晩年までとても力のこもった詩を発表されてきたが、中期では法外な長編詩に取り組まれた。上述の特集では詩集『一艘のカヌー、未来へ戻る』(1979)や『砂族』(1984)をとりわけ熱を入れて読み、特別の感銘を受け、論じたものだった。ご作品のいくつかは英訳されているが、これらの二詩集がちゃんとした外国語訳になっていたら、もっと本格的に「世界的詩人」として認識されていたのではなかろうかという思いは消し難い。
とにかく、立派な文業を残された詩人・白石かずこに万感の敬意を払い、ご恩に心からの感謝を表し、ご冥福を祈りたい。

 ドラムが大音響で
 天が割れ 豪雨が 音豪雨が
 わたしの内なる血の海
 この薔薇色に輝く海へ 脳天うちわり
 そそぎこむ
 鳥が鳴く
 極楽鳥である
 愉悦である
 笛である 愉悦である 鳥たちの
 愉悦の 狂気の鳴き声である
 もう
 これ以上 鳴けないほど鳴きつづける鳥たちのポエジーである

 ………………白石かずこ「一艘のカヌー、未来へ戻る」より


(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:57| 日記

2024年06月17日

フラメンコの鞭と花

15日、神奈川芸術劇場大スタジオで野村眞里子さんプロデュースの創作フラメンコ公演「タンゴ探しの旅〜二つの川を渡って〜」を観た。テーマはフラメンコとアルゼンチンタンゴの接点、交差点を探るということのようで、二種類のダンス、二種類の音楽が出入りする舞台となった。どのダンスも魅力があったが、特にフラメンコの強いステップを常時踏みながら身体を鞭のようにしならせ、バネを効かせ、瞬時に姿勢を固める独特のスタイルは痺れるものがあった。出演は河野麻耶、マーシー&マギ、出水宏輝、山本涼、伊藤笑苗、山本将光、朱雀はるな、ほか。眞里子氏の元気なステップが見られたのも嬉しいことだった。歌手二人、ギター二台とパーカッションによる音楽も技と活気があり素晴らしかった。
映画「セント・オブ・ウーマン」(マーティン・ブレスト、1993)でアル・パチーノ演ずる主人公がレストランでたまたま出会った若い女性とタンゴを踊る場面を思い出す。それはなんとも美しい夢幻の数分間で、映画全体を通しての物語は当然あるのだが、このダンスの部分はその物語の流れから異次元に浮き上がって奇跡の花のように見えた。ダンスというものはそれだけの力があるようだ。この日のステージも日常の流れを敢然と断つような強さと密度の高さ、香気があった。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 16:02| 日記

2024年06月16日

たなかあきみつ氏逝去

たなかあきみつさんが13日に亡くなったと親族の方から連絡が入った。前日まで普段と変わらない様子だったとのこと、体調の何かが急変したのだろうか。私も連絡が取れなくなっていることが気になって4月にお宅を訪ねたのだが、その時はベッドに寝た状態ではあったが、とりあえずお元気そうな様子だったが……
近年は、奥様を先に亡くされて相当な意気消沈があったと思われ、ご自身も重い病を背負って歩行がひどく困難になっておられたので、私だけでなく彼の友人知人みなが心配していた。
私が携わっている詩誌「詩素」「虚の筏」に積極的に参加して下さり、昨年は詩集『境目、越境』を洪水企画から刊行された。この詩集の表紙にリトアニアの画家スタシス・エイドリゲヴィチウスの作品を使うことをたなか氏は熱望され、手続きが複雑で大変だったがなんとか実現できたことはたなか氏にとっても私としても非常に嬉しいことだった。生前のご厚情に感謝するとともに、ご冥福をお祈りしたい。
葬儀は22日(土)に国立市にて行われるとのこと。詳細は小生宛お問い合わせいただきたい。
(池田康)

追記
22日(土)、国立市にて葬儀。法名、釋詠昭。棺の中のたなかさん、余計なものが削ぎ落とされて、聖人のような、とてもきれいな顔をしておられた。
私の知っている方では、有働薫、細田傳造、谷合吉重、生野毅といった方々が参列していた。生野さんはたなかさんと30年以上の親交があったとのこと。
たなかさんの詩は日本語を遣いながら日本語ではないような感じもあり、アキミツ語の生成を目指し、アキミツ語の旋律を苦吟していた、と考えてみたいようにも思う。彼の詩で最も印象鮮烈だったのは「(ノイエザハリヒカイト)の読後感」の冒頭部分、これは完璧に決まっていると感じたものだった。

 ノイエザハリヒカイト《カオスモス》の読後感の
 皿の上には
 司法解剖の結果としての
 取り出された臓器の名称と数値が載っている

 (後略)

posted by 洪水HQ at 08:55| 日記

2024年06月10日

鉄砲百合が開花

ベランダで栽培している鉄砲百合が開花した。百合も種類によって花咲く時期が違うようだ。
『玉井國太郎詩集』第2刷ができた。関心のある方はぜひお買い求めいただきたい。本文中一箇所訂正が入っている。95ページ3行目、「現れる」→「現われる」。鑑賞にほとんど影響ないが、オリジナル通りにということで。
「みらいらん」次号を印刷所に入れた。予定通りの時期に完成できそうだ。今回の特集は「詩と俳句を貫くもの ー高岡修を中心に」、俳句について、高岡氏の文業について、おおいに勉強することとなった。
メインのパソコンの不測の交替で、住所録は半壊状態のままだが、定期購読者は入金記録を追跡し直して復旧したつもり。あとは適当に思いつくまま送る、ということになりそう。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 09:57| 日記

2024年05月25日

データ喪失の危機

先週、18年間メインで使っていたパソコンが突然動きを止め、おしゃかになった。買い換えるしかなかったが、当然のことながらさまざまな問題や困難が発生、それを解決するためにこの一週間はおおわらわだった。バックアップ(Timemachine)を取っていたのでファイルデータの9割方は取り戻せたが、住所録類を含むデータベースのファイルは復旧困難で、アプリを新たにインストールすればどうにかなりそうなものもあるが、アプリが発売中止になっているものもあり(bento)、データベースの便利さの裏にひそむ危うさを痛感した。記録はすべてテキストファイルと紙で残すのが理想かもしれない。今、手作業で少しずつ復旧を試みている。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:59| 日記

2024年05月08日

『玉井國太郎詩集』の新聞紹介

『玉井國太郎詩集』が今日の朝日新聞夕刊にて紹介されました。ぜひご覧下さい(2面)。
追記
この記事のすぐ上に、中村稔さんの新しい詩集『月の雫』を紹介する記事が掲載されている。
國太郎さんが「ユリイカ」に詩の投稿をしていた頃、中村氏が投稿欄の選者で選んでもらって批評をいただいたことがあり、とてもびっくりの嬉しい奇遇と、詩人の妹君の友田裕美子さんが喜んでおられた。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 16:10| 日記

2024年05月01日

詩素16号

詩素16号001b.jpg詩素16号002b.jpg詩素16号が完成した。
今回の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、大橋英人、小島きみ子、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、大家正志、高田真、南原充士、新延拳、二条千河、野田新五、肌勢とみ子、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠のみなさんと、小生。
ゲスト〈まれびと〉は、松下育男さん。
巻頭は、平野晴子「有為の奥山けふこえて」、大仗真昼「夏駅」、大家正志「猫 ほか一篇」。
表紙の詩句は、エドワード・リアの「There was an Old Man with a Beard」。
裏表紙の絵は野田新五さん作。
ぜひご覧下さい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:57| 日記

2024年04月18日

詩集 ひかりの天幕

ひかりの天幕002.jpg池田康詩集『ひかりの天幕』が完成した。並製120頁、判型198×128ミリ。定価税込1870円。〈RAFTCRAFT〉シリーズの1冊。
表紙装画は、山本萠「あの空まで」。
ここ数年書きついだ比較的長めの詩を中心に短詩もまざる構成で、収録作品は、
伝書/ひかり座/わが汀/諜/菲(フェイ)/左目の王/夏の系/南の島への恋文/身元確認/火を愛しむ/スズメバチ/双葉/ペンギン村/竜は飛ばない/地図/にじ/傘/備忘録二〇二〇春/校庭/蜜蜂/百合の夏
の21篇となっている。
ぜひご覧ください。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 14:58| 日記