2021年05月09日

フランスの文芸誌「A」

literatureAction.jpg「洪水」6号(2010年)に掲載された、岡崎和郎・空閑俊憲両氏が語り手、土渕信彦氏が聞き手となった座談会記事「瀧口修造を語る 〜人差し指の方角〜」が、このたびフランスの文芸誌「A」に翻訳転載された。「ECHANGES AVEC JAPON(日本との交易)」という特集の「日本のシュルレアリスム」を扱う章の一項目として。これは土渕氏のお仕事で小生は実務的にはなにもしていない。
「A」とは、表紙に「LITERATURE-ACTION」とあるから、「ACTION」のAのことのようだ。205×208ミリ、212ページ。価格は20ユーロ(けっこう高価?)。私はフランス語がだめなので残念だが、手に取って漫然とページを繰っていると、ところどころにカラー写真が載っている。まとまった数ページがカラーになっていることはよくあるが、この雑誌は規則性のない任意のページをカラーにしているように見え、印刷の基本からいうとこれは不思議なことで、どういう仕組みになっているのだろうと泰西の高等技術?に首をひねった。
(池田康)

追記
67ページからのロラン・ドゥーゼ氏の詩が面白い。フランス語と対訳で日本語訳も並んでいて、その日本語の組み方のギクシャクしたぎこちなさも微笑ましいのだが、日本を旅行しながら綴ったと思われる詩行の率直なかんじがこころよい。
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2021年05月03日

「詩素」10号完成

siso10.jpgゴールデンウィークに突入したが、去年に引き続き、なにか暗雲立ちこめているような鬱々とした世の中で、早く浄めの風が吹いてほしいと切に望むところ。
さて、「詩素」10号が完成した。今回の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、大橋英人、小島きみ子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、高田真、たなかあきみつ、南原充士、新延拳、二条千河、野田新五、野間明子、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと小生。巻頭トップは、海埜今日子さんの「木箱」。
そして10号到達記念の特別企画として投稿詩を募集し、選考会を経て、次の三作品が受賞した。
〈最優秀賞〉
鹿又夏実「赤い電車に乗って」
〈優秀賞〉
鳴海幸子「360°」
七まどか「漆黒」
これらの作品と、選評、そしてほかの最終候補作についての選考委員のコメントを掲載している。
表紙は、草野心平「ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉」より。この詩に合わせて満月の日に完成させたかったところだが、数日ずれたのはちょっと惜しかった。
まだ残部ありますのでご注文下さい(500円)。
(池田康)
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2021年04月14日

泉遥歌集『風の音 私の来た道』

風の音画像3.jpg泉遥さんの第一歌集『風の音 私の来た道』(洪水企画)が出た。四六判並製320ページ。税込2000円(本体1819円+税)。
泉さんは長野県飯田市に在住で、1938年生まれの83歳。戦争をくぐり、持病の心臓病を克服し、長年保育士の仕事をつづけてきた、その生涯を彩り、つぶさに語る歌たちは、真情に貫かれている。
帯の文は、泉さんも所属するぱにあ短歌会の代表秋元千惠子さんによる:
「戦時を生き抜いた厳しくも優しい父母との確かな家族の絆が心に沁みる歌集である。伊那谷、天竜川の風土に磨かれた詩情は、二十歳で斎藤史の強靭な精神と自在な作風に出会って独自の開花を遂げている。若くして病いの死線を越え、子を成してからも、三十八年間保育士を勤め、夫君を老老介護、看取りも終えた。人生の苦を全て前向きに歌い続ける八十代の快挙。この『風の音』は、国の礎となった後期高齢者の心の力にもなる。」
帯の裏側に載せられている代表歌五首は:

 雑沓を知らぬ大きな翼なり草原わたるコンドルの唄
 仄青き山脈の裳裾霧白くたなびく辺り天龍の川
 見るほどに愛し尊し書き置きの文字ふるえたる「ありがとう」は
 ふきを煮る香りただよい涙あふる「いいにおいだ」と言いし夫はも
 色も香も姿さえなき風なれど百歌を唄う千歌を歌う

三首目、四首目は、逝去した伴侶への挽歌。
上の五首には入ってないが、戦後生まれの読者にとっては、著者の子ども時代の、戦争時の歌が印象深いので、少し紹介する。

 ゲートルと言うをはじめて巻く父の手元をかの夏見つめておりき
 ゲートルを何故に巻くのかと問うわれに母は答えき「忙しいからよ」
 ゲートルを巻き自転車を漕ぎて行く父を見送りきエプロンの母と
 桑の皮を何にするのかと母に問う 軍服にするらしいと聞きておどろく
 薩摩芋ならいいのにと思えども芋はないのだ 戦地行きか
 庭先に正座で玉音放送を待ちき八月十五日 暑かりき
 農良着の男ら寄り合う中ほどよりふわふわと聞えし玉音放送
 地に伏せる男ら声を押しころし泣くを見つめし六歳の夏
 敗戦を告げられしあの日大人らの神妙なるが訝かしかりき
 駅前の柳の元を忘れない片足で立ちつくす傷病兵と募金箱

80年を越える波乱にみちた生涯をうたった短歌作品を一冊にまとめたもので、その重量感は相当なもの。斎藤史ゆずりの破調もところどころ現われてアクセントになっている。装丁も著者の手による。
(池田康)
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2021年04月09日

『幻花』の書評、佐藤聰明新作CD

今日発売の「週刊読書人」に佐藤聰明著『幻花──音楽の生まれる場所』(洪水企画)の書評が出た。評者は志賀信夫氏。ぜひご覧下さい。
さて、最近佐藤聰明さんの新しい作品集CD『水を掬えば月は手に在り/FOUJITA』(ALM RECORDS、3080円)が出たので、これも紹介しよう。このCDには二本の映画につけられた音楽作品が収録されている。サウンドトラックといえるものなのか、若干は仕立て直されているのかは不明。藤田嗣治の生涯を描いた映画「FOUJITA」(小栗康平、2015)についてはこのブログでも以前書いた(2015年11月21日)。もう一つの作品はごく最近のもののようで、私は未見だが、CD付属のブックレットに簡単な紹介文があるので引用する。
「陳傳興監督の中国映画「掬水月在手」(2020)は、伝説的な詩人であり中国文学者の葉嘉瑩(1924〜)の生涯を追ったドキュメンタリー・フィルム。葉嘉瑩は唐の詩人杜甫の研究者としても著名であり、陳傳興は佐藤にこの映画音楽に、杜甫の詩「秋興八首」にもとづく歌曲を依頼した。そして中国では滅んだ唐代の雅楽の楽器、笙と篳篥を用いるよう求めた。この映画は、中国のアカデミー賞といわれる第33回(2020年度)中国映画金鶏賞のドキュメンタリー部門で、最優秀賞を獲得した。」
音楽は「八首」を音楽化した8曲の歌曲からなり、ソプラノとバリトンにより歌われる。このCDでの演奏は(そのまま映画に使われた演奏ということになるか)工藤あかね(ソプラノ)、松平敬(バリトン)。伴奏は、篳篥・笙のほか、二十絃箏、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。漢詩をこよなく愛するこの作曲家にとって、杜甫の詩を作曲する機会は天からの褒賞のような願ってもないものだったのではないか。音による杜甫の肖像が立つ思いがする。地方を流浪しているのか、詩で自らの薄幸を述べ立てている面も興味深い。「其四」は戦乱を叙していて目が留まるので和訳を引用してみよう。
「聞けば長安の戦況は囲碁の如しと。百年の世事は悲しみ絶えず。王侯の邸宅の主はみな新しく、文武の衣冠は昔時とは異なる。直北の国境は戦の鐘と太鼓が天地を震わし、西征の車馬からは急を告げる伝令が馳せ帰る。魚竜は底に潜んで秋江は冷たく流れ、故国への常なる思いが深まる。」
どの曲も悠然とした旋律の中に悲哀を染み通らせている。二人の歌い手はそれをしんみりと、あるは堂々と、迷いなく確信をもってうたう。中国語でうたわれるのだが、演奏者側の事前の準備が周到で全く問題がなかったようだ。玄宗皇帝と往時の長安をしのんだ「其六」は伴奏なしのソプラノ独唱で、ことに印象深い。工藤あかねさんはこの歌を持ち歌にしてしまってすべてのステージでアンコールでうたってほしいものだ。さらに詩の想念が広がる「其七」「其八」(ともにバリトン曲)も切迫感と重みがある。このお二人の歌手はご夫婦とのことで、どちらの方とも私はかつて言葉を交わしたことがあるのだが、あちらは覚えておられないだろう。
CDの後半に入っている「FOUJITA」の音楽だが、映画を見ながら聴いたときよりもちゃんと聴けた感じがあり、こうして聴いてみると映画音楽とは思えない独立の存在感がある(「掬水月在手」についてもそれは言える)。ゆるやかな勾配の上昇階段と下降階段が交互に不規則に続く、海山の気の動きのようなゆったりとしたリズムがあって、そこから外れる異様な和音奏やハープの細かな動きが時おりなにかの通信、碑文、魂魄の息のような衝撃を作る。我々の今日の計算ずくの日常生活にきっかり嵌るような音楽ではなく、たとえば住所表記もできないような山奥に茶室がありそこで過ごす時間があれば相応しいかもしれない響きと調べだ。演奏は、杉山洋一(指揮)、仙台フィル、篠崎史子(ハープ)。
(池田康)
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2021年04月01日

少年感覚なるもの

先日、NHKEテレで吉増剛造+佐野元春の対談の番組があり、興味深く見ていたが(佐野の詩文学に対する造詣の深さは並大抵ではない)、虚心の視覚に印象深く残ったのは佐野元春の喜びに満ちた若々しい面貌で、詩とビートを熱く語るその情熱とともに、永遠の少年性のようなものを感じさせた。
映画「アメリ」(2001年、ジャン=ピエール・ジュネ)を最近見たが、これも少年感覚にあふれるものだった。世界を大胆に横断し悪戯心をもって切り刻む歩行ぶりは、稲垣足穂の「一千一秒物語」を思わせる硬質なきらめきを発して少年感覚そのものなのだが、それなのにあえて女の子を主人公にするという捻れがこの作品の魅力の特異さを生んでいるように思われた。
春に桜をめでるのは大人の成熟した悲哀の嗜好であって、少年の琴線は、花を散らして遊ぶ気まぐれな風、床を裸足で歩くひんやりとした感覚、高い建築の屋上にのぼり空を触ろうとする透明な欲望、紙飛行機の実利ゼロのきれいな宙返り、たまさか路上に生じた水たまりの水鏡の風情、……そんなものに反応する。世間の流れ、生活の成り立ちに無頓着に発動する幼い乱暴な無垢の美意識。それはある種の詩の原基ともなりうる。
清浄な敬虔さで知られる八木重吉の詩も少年感覚を主要成分として含んでいるように思われる。

 空よ
 そこのとこへ心をあづかつてくれないか
 しばらくそのみどりのなかへやすませてくれないか

「秋の空」より。せっかくだから春の詩を引用しようと思ったのだが、秋の詩になってしまった。
(池田康)
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2021年03月30日

銀河洪水の書評

八重洋一郎詩集『銀河洪水』(洪水企画)の書評が公明新聞の3月29日の紙面に出ましたので、よろしければご覧下さい。評者は野村喜和夫さん。最後の部分を引用すると:
「要するに八重は、人ひとりの生を超えたリズムの発現として詩を捉え、宇宙それ自体が発する「変幻自在の妙なるリズム」と交響させながら、「(人類を超えた)思いがけない/くすしき未来」を垣間見ようというのである。コロナ禍で息苦しい生存を強いられている私たちに、こんな清浄な別天地への誘いを運んでくるとは、まさにマレビトにほかなるまい。」
(池田康)
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2021年03月16日

秋元貞雄作品集『落日の罪 ─青春の苦悩と叛骨─』

落日の罪003.jpg本書は昭和7年に満洲に生まれ、戦後引揚げて、一出版人として生きた秋元貞雄の遺した小説とエッセイ、そして写真による作品集であり、二十世紀という大きな時代の文学そしてドキュメントによるささやかな証言としての意義を包蔵する。発行=現代出版社、発売=洪水企画。A5判上製カバー、250ページ、定価2400円+税(税込2640円)。
著者の秋元貞雄氏は、短歌文芸誌「ぱにあ」の制作などで懇意の、歌人の秋元千惠子さんの夫君で、昨年6月に逝去された。死後、遺されたものを整理していたら、若い頃に書いた小説の原稿が出てきて、読んでみるとそれなりによく書けていて面白く、時代の証言ともなっており、秋元貞雄の最重要の形見とも言えるものなので、本にしたいというお話があり、今回の出版に結実した。
実際に作業を始めたのが11月に入ってからで、3月には完成させたいとのご希望があり、しかし原稿は雑然とした状態の手書き原稿が多く、時間的に非常な困難が予想されたので、小説原稿は数人で手分けして打ち込み作業をしてデータ化し、十日ほどでラフな第一稿を作り、何度にもわたる校正、校閲をして仕上げた。仮名遣いは歴史的仮名遣いと現代仮名遣いが混在していたが、小説作品に関しては歴史的仮名遣いに統一することとし、このための修正作業も絶望的に大変だった。小説は「運命」「落日の罪」「ある青春」「遠くの花火」「悲しき慕情」「醜女との関係」「恋情」「自惚れ成佛」の8作が収録されていて、このうち死んだお姉さんの悲運を物語る「運命」は生まれ故郷の満洲を舞台としていて注目されてよく、またタイトル作「落日の罪」も戦争を必然の背景としていて文学者秋元貞雄を証する重要作となっている。他の作品では戦後の青年の生きる姿がおもに恋愛感情を軸に描かれており、世相、風俗などの点でも興味深い。すべて高校・大学時代(1951〜55年)に書かれたもので、社会人となった時点で筆を擱いたことが惜しまれる。
第二章は同じ青年期の文芸評論と日記の抄からなっている。日記は二冊の大学ノートと断片が遺されていて、全部活字にするわけにもいかず、抄出とした。ノートに細かい文字で書かれているのを読むのは骨が折れたが、幸い読めない箇所はほとんどなく(秋元貞雄がどういう字を書いたかは、写真の章の232〜233ページに2通の手紙が収めてあるのでそちらをご覧いただきたい)、その時代の日々の生活が小説以上によくうかがい知れて、日記というもののドキュメント的位置を改めて学んだ思いだった。
第三章は晩年に書かれたエッセイが収録されている。壮年期に取り組んだ自然食の店の理念や主張を述べた文章のほか、子供時代の満洲での思い出、引揚げのときの苦難の物語を書いたものがあり、非常に貴重だ。
略年譜は8ページを占め、周到な詳細さと取りこぼしを許さない細やかな愛情で重要項目が記される。
付録の章「晩年の周辺」には、著者最晩年の闘病の日々につきそいながら書かれた妻・秋元千惠子さんの文章と短歌作品が収められている。
そして巻末のカラー写真の章「写真で辿る叛骨の生涯」(24ページ)は、誕生から死の直前までの秋元貞雄の生きた足跡を示す肖像や光景が多数掲載されていて、視覚イメージからその生涯をたどることを可能にしている。
本文の略年譜の次に、俳人・北大路翼氏の批評文「戦後の焦燥を背負って」、小生のつたない解説文「王道も楽土もない時代を生きる」が挿入されていて、秋元千惠子さんによるあとがきの文章「「秋元貞雄作品集」刊行について 「女房慕何」の記」に続くことになる。
帯文は、北大路翼氏の言葉:
「多感な青年期を敗戦の満洲で迎えた男が背負った「責任」とは。愚直なまでに国を問い、愛を問い、己を問い続ける態度が落日を赤く燃え上がらせる。己を律することから生まれる叛骨精神こそ、軟弱な時代の僕たちが触れるべき作品であろう。」
ついでに小生の解説文の最後の一節:
「戦争は人の生きる道について大いなる矛盾を形成する。昭和初期に生を享けたすべての人間の魂には戦争の悲痛な割り切れなさが必然的に刻印されていると言えるが、幸運にもなんとかそれを誤摩化してひどく苦しむことなく生きながらえることができる人もいる。しかし満洲に生まれ、終戦後に引き揚げてきて「異郷の地・日本」で暮らすことになる秋元貞雄には、その根本的矛盾を摩滅解消させることは最後まで不可能だっただろう。その精神的苦悩が彼の“歌”となってここに遺る。」
そして秋元千惠子さんのあとがきの最後の一文:
「秋元貞雄の故郷「満洲国」は終戦で滅びた。いまや満洲を語れる昭和の証言者は少ない。一庶民貞雄の無垢な心に刻まれた時代の真実だからこそ、次世代に伝え後世に遺したい。お目通し頂ければ幸いに存じます。」
幾多の難儀を経て生まれたこの本を、ぜひ手に取ってご覧いただきたい。
(池田康)
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2021年03月15日

洪水5号、6号、7号のこと

久しく品切れとなっていた「洪水」5号、6号、7号ですが、最近在庫の整理をしていたら、見つかりましたので、ご希望の方はご注文下さい。それぞれ、5号=特集「新実徳英の自然」、6号=特集「佐々木幹郎、音に遊ぶ」、7号=特集「瀧口修造の息吹」、となります。
(池田康)
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2021年03月07日

国立劇場公演「詩歌をうたい、奏でる―中世と現代―」

不可能あるいは非常に難しいだろうと思われたことが実現すると、驚きと感心とともにその成功に拍手することになる。先日の北関東の山火事も消すのは至難だろうと見ていたのだが、本格的な雨天もなかったのに消火に成功したと報道されて驚いた。一体どうやって消したのだろう!?と感嘆するばかりだった。
「みらいらん」7号で記事にした、「ベルリン連詩」(大岡信+谷川俊太郎+H・C・アルトマン+O・パスティオール)の音楽化の企画も、西洋のオーケストラと和楽器のオーケストラを一つの舞台に同居させるのは結構大変だろうと想像していたのだが、昨日その実際の公演があり(「詩歌をうたい、奏でる―中世と現代―」国立劇場小劇場)、緊急事態宣言のただ中だったが折角なので聴きに行き、思いの外、なんでもないことのように両者が溶け合って一緒に演奏していて、2グループが截然と分かれた形を思い描いていたので、こんなふうになるのかと感心した。
テキストが連詩という、どこから来てどこへ行くのか見当もつかない、本質的にとりとめのない断片のいくばくかのつらなりであることが、音楽を過激にアナーキーにする。とりとめのなさが遊びを誘発するのだろうか、作曲家(川島素晴、Marc David Ferrum、桑原ゆうの三名の共作)や音楽家たちがこんなにものびのびとおおらかに遊ぶのは、かつてないことではないか。芸術の道を究めるという厳粛さは感じられず、リズムが立つ部分があまりない雲の流れるようなゆるやかな動きの、和洋楽器の雅やかで悪戯気を含んだ遊戯の響きが展開される中で、詩句が朗誦される。日本語パートは能楽師の坂真太郎、ドイツ語パートはバリトンの松平敬がうたった。能楽師の謡の発声は独特の迫力があり、ぎらぎらしたざらつきを帯び、尖っていて、ナンセンスな断片がナンセンスなままにこちらの心に突き刺さってくる。音楽は、無邪気かつ技巧的に、遊びまくる。水の流れる音がしたので、あらかじめ録音したものを再生してスピーカーから流しているのかと思ったら、オーケストラの最後部の数人が薬缶を傾けて足元に置かれたバケツの中に水を注いでいたのだった。更にはバケツの水の中に手を入れてちゃぽちゃぽさせることまでしていた。これは笑ってしまった。
遊びに満ちているとはいえ、こんな変則的な編成で、練習にどれだけ時間をかけたのか知らないが、大変難しい演奏だっただろうと思う。指揮者を務めた川島素晴をはじめとする演奏メンバーを賞讃したい。言葉はどこからやってきてどこへと我々を導くのかという連詩の問いは、少なくとも純真な音楽へは到達したようだ。
コンサート前半の、中世の部の、乱拍子、今様、乱舞、白拍子などの復元演奏も、なるほどと興味をもって聴いた。
(池田康)
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2021年02月22日

詩素10号記念投稿詩募集について、ふたたび

詩誌「詩素」10号記念投稿詩募集の応募締切が迫っていますので、あらためて告知したいと思います。次のような形での募集となりますので、すべての意ある皆様はぜひ大胆に詩嚢の紐をほどいてご応募下さいますよう。お待ちしております。
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詩素10号記念・投稿詩募集

本誌が10号に達することを記念して、若い世代の詩人を対象に、詩作品の投稿を募集します。要項は下記の通りです。清新な作品の到来を期待します。

〈応募資格〉
40歳以下(締切日を基準として)

〈応募作品規定〉
一人一作。本文40行まで(空行含めて)。一行の字数は40字まで。

〈締切〉
2021年2月28日(日)

〈応募先〉
下記のメールアドレスにメールにて応募のこと。

siso-obo■kozui.net
(■にはアトマークを入れて下さい)

作品原稿はメールに直接書き込むか、テキストファイルあるいはワードファイルを添付する(一太郎は不可)。
氏名、郵便番号、住所、年齢を明記のこと。
郵送・ファックスは不可。

〈賞〉
最優秀賞=1篇、優秀賞=2篇
選ばれた作品は、詩素10号に掲載される。粗品進呈。

〈選考委員〉
南原充士(委員長)・海埜今日子・冨上芳秀・野田新五・南川優子

〈発表〉
詩素10号誌上

★「詩素」については、
をご覧下さい。
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