2017年09月26日

佐々木幹郎著『中原中也 沈黙の音楽』

長年にわたり中原中也の研究をしている佐々木幹郎さんの最新リポートとも言えるこの本が岩波新書で出た。最重要ポイントを示すのであろうサブタイトル「沈黙の音楽」については、中也が音楽に接近しなにがしか学びながらも(具体的には諸井三郎たちが構成するスルヤという音楽集団)、彼が生涯にわたり詩に求めた“音楽”は現実の音楽とは違うものであり、その厳しい響きを「曇天」や「雪が降つてゐる……」といった作品に聴き取るよう読者は促される。中也が言葉によって探りcomposeした「無言の「歌」そのもの」、「究極の「歌」」を聴き取ることが中也の詩を読むにあたって重要となるという主張がこの一書のすべての頁に込められているのだろう。
その他、代表作「朝の歌」や「サーカス」等のきめ細かい読解や、二つの詩集の成立過程の考察、「島田清次郎ブーム」に影響された天才主義、富永太郎や小林秀雄との交友の機微など興味深い内容が並べられているが、中也研究の観点から特ダネと言うべきは、晩年に入院した千葉の精神病院で作った民謡の歌詞の発見、そして安原喜弘宛の新発見の書簡に述べられる、チェホフの中編小説「黒法師」称賛であり、後者はとくに、黒法師の蜃気楼の姿が時代を超え国を超えて至るところで出現するという物語が著者により文学作品の伝播・受容に結びつけられ、成る程と唸らされる。
もう一つ面白く感じたのは、中也がまずダダにぶつかり、次にフランス象徴詩を知り、さらにハイネの「歌」に魅せられるといった、詩史的にはどんどん遡る意識の運動の形で、詩の本源を求めるという彼の本能的とも言えそうな努力が、他の詩人には滅多に見られない、詩に豊かな音楽を内包させる独自の成果となっていったことを考えると、目覚ましいことのように思われた。
著者の佐々木さんは文章家で、生半の観念作業の生硬さにつまずくことなく、水が岩の上を流れるように滑らかに気持ちよく読み進めることができる。そこもありがたい。
(池田康)
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2017年09月19日

鎌倉のギャラリーで画家の対話

昨日、鎌倉のドゥローイング・ギャラリーで「山口啓介/加納光於 往復書簡の周辺で」展を観た。この夏に実際に交わされた往復書簡が土台にあるということで、60センチ×84センチ(つまりA1判)の大きさの新聞のようにレイアウトされた紙に二人の手紙が刷られているものを渡された。レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリのことや、源平の合戦のこと、運慶・快慶の彫刻のことなど、多彩な話題が個性的な緻密さで語られている。美術家の若林奮が「旧石器時代の洞窟壁画と自分自身がある……その間に何も必要としない……」と語ったという話は非常に印象に残った。
展示されていた作品について書くと、加納作品は「星形の」「巡り来るものの」の二つのシリーズ。色彩の諧調の深さに見とれる。作品を眺めている段階では純粋な色と形の抽象的作品と受け取っていたが(なにかあるのかもしれないと思いつつ窺い知れない)、山口氏が手紙の中で「巡り来るものの」について源平の合戦に結びつけて見ているのにちょっと驚いた。山口作品の「共存・分断する3つの顔」「山水の構造」、なにか裏に物語があるのかもしれないと想像しつつまずクエスチョンマークが浮かんだが、往復書簡中に挿画とされている異形の顔(目が6つ、鼻が4つ、口が2つある)のドローイングを見ると焦点が定まるような気がした。
会期は今月24日まで。
(池田康)
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2017年09月12日

三度目、全く正直でなく

是枝裕和監督の新作映画「三度目の殺人」を見た。その年のトップ3とかベスト5に挙げたくなるような作品を常に撮る人だなあと映画制作者としての腕前に吃驚する。
最後の最後で、弁護士(福山雅治)は殺人犯(役所広司)に一点の非常に崇高なものを見たのではないか。しかし殺人を犯した三隅という男はサイコの病いあるいは異能を有しているようでもあり、とても知的で生来の役者なのだが、自分自身の裡の虚暗を自分で理解できないでいるようにも見える。その自分を持て余すような、自己を放棄するようなところは、「幻の光」の自ら命を絶つ夫につながるものがあるかもしれない。この監督はそういう、自分の存在に積極的な価値を見出すことができない、絶望とひたと向き合ってしまった、どこか投げやりな、断崖から片足を踏み外しているような人間の姿に執着する面があるのだろうか。
被害者の娘・咲江(広瀬すず)の表情もマリアナ海溝のような重さをたたえて印象的で、ことに一瞬右半分に明るく光が当たり、左半分は暗く影になった大写しの顔はシンボリックでよかった。
(池田康)
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2017年09月01日

玉城徹全歌集

tamakitoruzenkashu.jpg『玉城徹全歌集』がいりの舎から刊行された。本体12000円。『馬の首』から『石榴が二つ』までの9冊の既刊歌集の他に未刊の「左岸だより」、長歌集『時が、みづからを』、詩集『春の氷雪』を収める。短歌は総計4400首余り。912頁。
先日、いりの舎の玉城入野さんと会って話す機会があったが、この本の編集には5年かかったとのこと。大変だったろうと想像する。
第一歌集『馬の首』から幾首か引用しよう。

 いづこにも貧しき道がよこたはり神の遊びのごとく白梅
 積みてある貨物の中より馬の首しづかに垂れぬ夕べの道は
 ひえびえと青き塗料のはげおちし貧しき空にひばりあがれり
 泥水より体をなかばあらはして鳴ける蛙か夜ふけに聞ゆ
 くらやみの襞より見ればいしみちは脆き夜空につづきてゐたり
 いやはてに海ばらよりも蒼ざめし太陽一つおらびつらむか

「後記」では「これらの作品に、わたしは、自己の刻印を示そうとしたのではなかった。抽象的思考──言葉をかえていえば、一の「美」への祈願──は、つねに、自己の抹殺の企図をふくむのである」とも記されている。
この柄の巨きな歌人に教えを受けたり親炙したりした人には大切な一冊だろう。
(池田康)
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2017年08月27日

精神の運動神経、黒田喜夫の場合

昨日は現代詩人会の総会(早稲田奉仕園スコットホール)に出掛けた。冒頭に細見和之さんの講演「60年後に読む、黒田喜夫「ハンガリヤの笑い」」があり、それから総会(会則変更について多少波乱あり)、名誉会員に推挙された安藤元雄さんの小スピーチ(……薄味でなく濃い詩を……)を聴き、懇親会では吉田義昭さんの歌もあった。
細見さんの講演は1956年10〜11月に発生したハンガリー事件に詩人の黒田喜夫がいかに即座にヴィヴィッドに反応して力強い詩を書いたかを紹介するもの。スターリンが死んでスターリン批判がなされた後になお、このような強権的なソ連の他国軍事介入が起こるという事実にはリアルな政治の(支配欲望の)実態を見る思いがするが、その意味合いに鋭敏に自分たちの運命を投影する詩人の言葉も皮肉に富み凄みを帯びている。最後の八行:

 信じてくれ
 賢い同志たち
 これは可笑しい本当に可笑しい
 ぼくは哄笑った ぼくの屍体が
 笑うほかない屍体の身震いで
 辛いチャルダッシの
 笑い声でいっぱいな
 ハンガリヤで

(池田康)
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2017年08月12日

湯浅譲二さんの米寿の会

昨日、作曲家の湯浅譲二さんの米寿を祝う会がトーキョーコンサーツ・ラボ(新宿区西早稲田)であった。前半はミニコンサートで、テナーレコーダーのための「プロジェクション」(演奏=鈴木俊哉)、天気予報所見〜バリトンとトランペットのための(橋本晋哉&松平敬)、内触覚的宇宙III〜虚空〜(三橋貴風&吉村七重)、チェロのための「Congratulation for the 70th birthday」(堤剛)の四曲。いずれも立派な(がつんと来る)演奏で、音の思いがけない配置、ユーモアの過激な導入、音楽創造の原理を求める精神、など湯浅作品を特徴づける諸面を改めて感じることができた。後半の懇親会では翌日という誕生日のお祝いもなされた。体調を崩して晩冬の頃からしばらく入院しておられた由で、しかし相当回復され、まだ本調子とまではいかないようだがしっかりと立って挨拶されていた。
「洪水」20号の特集論考で、宗教的な(スピリチュアルな)音楽というものについてあれこれと考えてみたが、「現代アートを古代アートにつなぐ」という文句を最近思いついた。たまたまラジオで「現代アート」という言葉が話され、ならば「古代アート」という言葉もありうるわけだと思いつき、やや軽い響きになるが、古代あるいは有史前の芸術衝動の源に立ち返る心のベクトルの意味で、上記のような標語とあいなったわけだ。古代アートが生成するような心意識の次元に現代アートを根づかせよ、と。湯浅さんの「内触覚的宇宙」というタイトルも、宇宙の内側から宇宙に触れるという原始の形而上学的指向が感じられ、古代アートの蘇生が幻視された。
(池田康)
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2017年08月10日

低気圧の通信

低気圧が近づくと身体の具合がおかしくなりがちと言うが、台風5号が近づき本州を襲った日、腰が痛くなった。これを低気圧のせいにするのは正しいかどうかわからないが、重い荷を持ち上げて運ぶような重労働も激しい運動もしていないから、おそらく規格外に強烈な低気圧の悪戯だろう。動くなという風神からのメッセージだったろうか。肉体にも肉体なりの神秘はあるのだ。鈍そうなこの身でも異変があったのだから、今回全国で腰痛をかこつ人は相当いたのではないだろうか。いまはもうほぼ回復した。
「洪水」20号の在庫があと60冊となった。ご入用の方は早めにご注文下さい。
(池田康)
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2017年08月07日

ガジュマルの若葉

ガジュマルの掌に乗るほどの小さな鉢を買い求めて毎日眺めている。成長がよくわからないようにも見えるのだが、よく観察するとつやつやした緑の小さい葉っぱが出ていたりする。新しい緑との出会いが嬉しい。
沖縄の若手の歌手、上間綾乃が6月に出したアルバム『タミノウタ 〜伝えたい沖縄の唄』を聴く。すぐに、これはもう真打だと感じる。もちろん大ベテランの歌手ならば、情念をいかつく厳しくこぶしに凝結して島人の生活の秘密やエニグマを表現する技をさらに強力に発揮するかもしれない。しかしこれはこれで十分に熟していて美しく表情豊かだ。「ひめゆりの唄」は初めて聴いた(必聴)。このCDを通して南の島の真言の滝に打たれる時間はこの夏の最良の納涼であり鎮魂涼となるだろう。
(池田康)
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2017年08月02日

ニュースひとつ

このたび取次の地方小出版流通センターと契約し取引していただけることになった。今までは草場書房に発売元をお願いしていたが、これで今後の刊行物に関しては洪水企画で独自のISBNをつけて発行&発売をすることができるようになる。より一層の意気込みで本を作っていきたいと思う。
ついでに最近の見聞を少し。
映画「海辺の生と死」(越川道夫監督)を観る。戦争末期の島尾敏雄・ミホ夫妻の出会いのエピソードをベースにした作品。劇場は大盛況だったがそれだけのことはあると思われる映画としての存在感だった。フィルムを流れる時間が独特で、テレビドラマではありえないような息の長い間とテンポで作られていて、質感が立ち、物語の神秘性につながっている。満島ひかりの演技を超えた噴火を観る映画。奄美の島の唄もたくさん聴ける。
フランスの女優ジャンヌ・モローが亡くなったとのこと。たまたまルイ・マルの「恋人たち」(これもストレートな恋愛映画)をDVDで観たばかりだったので、感慨一入。
(池田康)
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2017年07月29日

この夏の海

この夏はじめての海を見に近くの浜へ行った。子供連れの家族がたくさん、しかし過度に混雑するでもなく遊んでいる。小さなテントを張っている人が多いようだ。海はこの星で最も大きなモンスターであるとしても、波の音を聞いているのは心地よい。
夕方からなにか野外コンサートがあるらしく、大きな音でリハーサルのようなことをやっていた。
大磯駅は今年も燕が営巣している。雛はまだ小さいようだ。
マック(ハンバーガー屋)に入ることはあまりないのだが、夏はよく入る。マックシェイクを吸うため。できれば季節メニューが食べたいのだが、帰途に寄った店は基本メニューしかなくちょっと残念だった。
(池田康)
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