2024年12月25日

川田順造さんのこと

昨日、某新聞の記者から電話があり、川田順造氏が亡くなられたことを知らされた。すでに新聞などで報道されているとのこと。確認のために川田氏のお宅まで行ったのだそうで、記者の仕事も大変だなあと思いつつ、こちらからは川田さんとの交わりのことを少し話したのだが、電話を切った後、あれ、記者の方は一体何を聞きたかったのだろうと首を傾げたことだった。
川田さん、少し強引な面もあったが、気遣いの人でもあった。「洪水」8号の湯浅譲二特集のとき湯浅さんと対談をしていただいたのが最初だったが、そのあとの食事でムール貝を好んで食べておられた姿が記憶に残る。川田・湯浅両氏は以前、音楽雑誌の誌上で往復書簡を交わしたことがあり、今回の対談と、もう少し材料があれば一冊の本になるという川田さんの発案で、対談の第二弾を湯河原の川田さんのお宅で行うことになり湯浅さんとともにうかがい、収録。往復書簡と二つの対談をまとめたのが『人間にとっての 音⇔ことば⇔文化』(燈台ライブラリ)だ。この新書シリーズを始めるきっかけとなった一冊であり、川田さんがいなければこの本もこのシリーズもなかったのだ。
この本の中で川田さんはいろいろな話をしているが、言葉を扱う仕事をしている身として、次の箇所は特に興味深いと思ったので引用紹介する。

 縄文語の研究は小泉保さんとかやっていますけど、ぼくの友達のアイヌ語の第一人者の中川裕は、縄文時代には日本列島の大部分がアイヌ語かアイヌ語の祖語にあたるような言葉を話していたんじゃないかと言っています。あとで弥生系のやまとことばが入ってきた。もちろんアイヌ文化とかアイヌ語は古いまま残っているわけではなくて、東シベリヤの影響も受けて十四世紀ごろから形成されたわけだけれども、それの祖語みたいなものが東北には強く残っているんじゃないか。ぼくも東北で昔話の採録をやって感じましたが、今の仮名文字では東北の昔話は書けない。東京言葉も書けない。
 浅草の花川戸の桶田彌三郎さんという、もう亡くなりましたけれども、きれいな東京下町言葉を話す鳶の頭がいて、あとで調べたら、国語学のほうでも重要なインフォーマントにされていたみたいです。小学校は行っているから、その限りでは文字教育の汚染は受けているんだけれど、それでも標準語化されていない、軽く鼻に抜ける素晴らしい言葉を話していました。その人のお話の録音を、わたくしは学生時代オープンリールでずいぶんたくさん録ったんです。前に外語大にいたころに国語学の人がわたくしのことを聞いて、テープ起こしをやりたいと言って、二人でテープ起こしをしたんですけど、できない。
 つまり猛烈に複雑な発音記号で書けば別でしょうけど、仮名で書くのは無理。話の内容を概念化して、何の話かを捉えていけば書けることは書けます。だけど、書いたものをもう一回読んだら、元の桶田さんの話とは似ても似つかないものになる。それ以来ぼくは仮名文字というのは奈良や京都や近畿の方の間延びした、子音と母音の組み合わされた構造がはっきりしているような言語の中で形成された文字だから、そうなんだろうと思うようになったんです。だから仮名文字では、東京言葉も書けない。

心よりご冥福をお祈りします。
(池田康)
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2024年12月24日

みらいらん15号

みらいらん15号画像S.jpgみらいらん15号が完成した。164ページ。
特集は「批評に灯る詩 ──小林秀雄を基点として」。
きっかけから話せば、岡本勝人さんの近著『海への巡礼』で小林秀雄がたびたび言及され呼び出されているのに触発され、そういえば自分も若い頃小林秀雄を熱心に読んだなあと思い出し、文学的恩義も愛着もあるので、今回小林を中心とする批評の特集を組んでみることにした。神山・岡本両氏の対談が、岡本氏の仕込みの綿密さもあり、ことのほか長くなり慌てたが、せっかくなので削るのは最小限にしてなるべく多くの部分を収録することにした。自分でも死蔵していた全集各巻を探し出してめくってみる、読み返す、考え直す、そんな作業も重ねて地味に大変ではあったが、特集に熱量を持たせるには必要だったと思う。批評家・小林秀雄とはいかなる文学的事件だったのか、批評という文学形式にいかに詩は要請されるか、近代から現代にかけて批評は文学・芸術とどう格闘し、そして戦争とどう対峙したか。批評を考えることはあらゆる創造の意味を問うことにつながる。神山睦美・岡本勝人両氏の対談「小林秀雄と戦争」を中心に、富岡幸一郎、添田馨、愛敬浩一、高野尭の四氏のエッセイ、望月苑巳氏の映画「ゆきてかへらぬ」レビューで構成。神山氏主催の書評研究会の8月29日の回(神山睦美著『奴隷の抒情』が対象)のダイジェストも掲載した。
インタビュー〈創造のキセキ〉では画家の井上直さんにお話をうかがった。『玉井國太郎詩集』を井上さんの絵が飾ったことを縁として。
巻頭は田口犬男、高田太郎、北爪満喜、山崎広光、久野雅幸、菊井崇史の六名の方々。
それから谷川俊太郎さんの追悼文を作曲家の新実徳英さんにご寄稿いただいた。逝去の報道があったその日にコンサート会場でお会いして、書いていただくことになり、次の日に原稿が送られてきたという、大車輪のご執筆には感謝あるのみだ。
また〈海外文学〉のページを新設し、八木寧子さんにご担当いただくこととなった。八木さんには前号の高岡修さんの特集で座談会の舞台裏とも言うべき記事を執筆していただき、そこからのつながりで。
表紙のオブジェは、國峰照子作「Dodo鳥」。
(池田康)
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2024年12月14日

今年の四人組コンサート

11日(水)、「四人組とその仲間たち」コンサートを東京文化会館小ホール(上野)にて聴いた。タイトルが「四人組 x 東京シンフォニエッタ」となっているのは、どちらも30周年ということで共同開催になったからのようだ。このコンサートシリーズで舞台にオーケストラを迎えるのは初めて見た。
曲目は金子仁美「ル・プロセシュス」、新実徳英「室内協奏曲III《無のまわりで》」、西村朗「虹の体」、池辺晋一郎「クラリネット協奏曲《旋回の原理》」。
実は1曲目の途中で体調不良が発生してロビーに出てしまい、2曲目以降は一応無事聴けたのだが、そのせいもあってか、耳に音楽が届くその届き方が少し鈍くなってしまった。音はもちろん聞こえるのだがそれがどういう音楽をなすのかというところで、テキパキと処理・受容できないというか。そういうわけで、以下の所感は残念ながらごく表面的なところに留まる。
「ル・プロセシュス」は30年ほど前の曲とのこと。気分的なうねり、盛り上がりと沈み込みの運動を基調としているように思われた。プログラムの説明にある「曲線のプロセス」ということだろうか。前半のみ聴く。
「室内協奏曲III《無のまわりで》」は昨年亡くなった西村朗さんを悼んだ曲とのこと。西村さんのイニシャルA.N.をAround Nothingと読み替え、道教と宇宙物理学の「無」を思って作曲したとのこと。レクイエムの静謐さとはかけ離れた、かなり激しい動的な音楽だったのでとまどったが、プログラムの説明に「ビッグバン」の語があったので、人間の尺度を超えた有と無のドラマかと、ちょっとわかったような気がした。
「虹の体」は東京シンフォニエッタが2008年に初めてパリで演奏した時に初演した曲とのこと。曲の初めの方の妖しい雰囲気はフランスを意識しているのかなあと感じられた。音が小気味よく組織的に動く部分はこの作曲家の技術がよく出ていた。西村さんはドイツでは高く評価されていたとのことだが、フランスでも受け入れられたのだろうか……
「クラリネット協奏曲《旋回の原理》」、池辺さんは若い頃クラリネットを吹いていたそうで、ならばぜひクラリネット協奏曲を書くべきだと東京シンフォニエッタの指揮者の板倉康明氏(クラリネット奏者でもありこの曲のソロも担当)に言われて書いたのだそうだ。冒頭、クラリネット・ソロの非常に技巧的なフレーズで始まるのでひやりとする。長さ10分に満たない小さな曲だが、アンサンブルの細工が凝っている。池辺さんはいつものように舞台上のトークでもジョークが冴えていた。

この日は豊田洋次さんから案内をもらっていた銀座8丁目のギャラリー「せいほう」での彫刻の展覧会にも寄った。百人以上の美術作家のごく小さいサイズの立体作品を集めたもので、街の上空からカーニバルを眺めているような賑やかさだった(21日まで)。
行き帰りの電車の中で読んだもの、夢野久作「斜坑」、安部公房「箱男」。
(池田康)
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2024年11月25日

最近の見聞

寒さが増してきた。夜は掛け布団3枚に毛布も加えて凌いでいる。ガジュマルの鉢も室内に移した。分厚いコートを着て外出することも普通になった。
19日(火)にはパーカッショニストの上野信一さんとオルガニストの大平健介さんとのデュオリサイタルを聴いた(武蔵野市民文化会館小ホール)。これについては「みらいらん」次号でレポートをするつもりでいるが、打楽器とオルガンという楽器の組み合わせは聴く側にとっても簡単ではなく、なんとなく書きあぐねる気味なきにしもあらず。上野さんは以前と変わらず元気そうだった。
土曜日には国分寺の司画廊での山本萠さんの個展に足を運んだ。会場で平井達也さん、肌勢とみ子さんと会う。この日、朝は寒かったが日中はいい天気で過ごしやすい気候になった。往路・帰路に南武線・武蔵野線を使う。会期は今日まで。
「みらいらん」次号の編集は終盤だがまだ届かない原稿もあり、ヤキモキしているところ。
(池田康)
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2024年11月12日

白石かずこさんを偲ぶ会

白石かずこさんを偲ぶ会が11月10日日曜日午後に開かれた(アルカディア市ヶ谷)。高橋睦郎、水田宗子、吉増剛造の三氏から始まり十名ほどの追悼スピーチがあったのだが、一言に要約すれば「友愛と残酷を合わせ含んだ天才的な素直さ」というお人柄が印象づけられた。ありし日の白石さんの映像がフリージャズ演奏を伴って上映され、朗読用の巻物の原稿を書いているところや海辺で朗読して巻物の原稿を海に放擲するところが目に焼きつく。白石かずこのドキュメンタリー映画が一本あってもよかったなとも思う。会の最後に御伴侶の菱沼眞彦氏の挨拶があり、最期の瞬間のエピソードが語られ、思いがけない楽天的な明るさに目眩を感じ、白石さんの魂が還ってきたようだった。
(池田康)
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2024年11月09日

『玉井國太郎詩集』続報

11月4日の京都新聞の詩集評コラム「詩歌の本棚」(担当・河津聖恵)で『玉井國太郎詩集』が取り上げられた。「理由は知る由もないが、全ての作品に世界の外部に触れるような危うさと美しさがある」「最後まで詩の「夢見る力」を信じて懸命に生きたことは、作品全てから痛いほど伝わってくる」ぜひご覧いただきたい。
また詩誌「静かな家」3号の稲川方人・中尾太一・菊井崇史三氏の座談会形式の詩集評でも取り上げられ議論された。「今回この全詩集を読んで「ユリイカ」の投稿欄の八〇年代の記憶が喚起された。ぼくよりひと世代下なんだけど言葉の使い方や語彙の選択に同時代感がとても強く感じられた」「今この「静かな家」というささやかな媒体であっても、この玉井國太郎という詩人の名前を、仕事を詩史的な記憶として刻んでおきたいって、限定的な意味ってやっぱりどうしてもどこかで必要だと思うんです」(稲川方人)
また、この詩集を飾っているのが美術家・井上直の絵画作品だが、その井上さんの個展が銀座のコバヤシ画廊(中央区銀座3−8−12ヤマトビルB1)で開催されている。今日が最終日。
(池田康)
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2024年11月04日

詩素17号

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詩素17号が完成した。

今回の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、大橋英人、小島きみ子、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、大家正志、高田真、南原充士、新延拳、二条千河、野田新五、肌勢とみ子、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと、小生。

特別企画「追悼・たなかあきみつ」、執筆は高橋団吉(たなか氏義弟)・有働薫・広瀬大志・生野毅・南原充士・小島きみ子・平井達也の各氏。

ゲスト〈まれびと〉は、水島美津江さん。

巻頭は、二条千河「案山子」、酒見直子「姿のない鈴虫」、平野晴子「窓物語り」。

表紙の詩句は、リルケの「秋(Herbst)」。

裏表紙の絵は野田新五さん作。

ぜひご覧下さい。

詩素バックナンバー:

(池田康)
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2024年10月20日

谷口ちかえ著『世界の裏窓から ――カリブ篇』

世界の裏窓から画像2.jpg谷口ちかえさんの新著『世界の裏窓から ――カリブ篇』が洪水企画の〈詩人の遠征 extra trek〉シリーズの第2巻として刊行となった。A5判、272ページ、定価2420円(本体2200円+税)。
カリブ文学を紹介する評論集で、袖の紹介文では
「五大陸の交差点と言われる中南米カリブ海域は夥しい数の島を擁し、ハイチやジャマイカ、トリニダード・トバゴといった小さな国々はそれぞれ固有の苦難の歴史を経ており、その特異性や文化の多様性において世界の中でも際立つ。ヨーロッパ諸国の植民地政策の犠牲となった地域であり、その負の遺産は多くの島国が独立を果たした現在でもなお残存しているが、そんな逆境の中から二十世紀後半以降異色の文学が花開くようになる。英領セントルシア出身のノーベル賞詩人デレック・ウォルコットの作品「オメロス」「オデッセイ」などを中心に、カリブの歴史と社会を強く反映し、国家的アイデンティティを模索し、アフリカの悲劇の記憶をしっかりと織り込むカリビアン文学の一端を著者の鮮烈な経験を交えつつ紹介、考察する。」
とまとめている。
谷口さんのカリブ地域との関わりは今世紀に入ってすぐの頃から始まっており、すでに20年を越えている。ライフワークとも言えそうで、その長期にわたる研究努力の結晶がこの本であり、著者の常人離れした情熱(狂熱?)の賜物だ。
内容構成をざっと見てみると、まず冒頭に置かれた「序章として 新世紀の幕開けから現在へ」では、2014年に来日してカリブ詩について講演したエドワード・ボゥ博士の昨年末の逝去のことから筆を起こし、その来日のイベントを中心にして本書のテーマを概観する。
「第一部 連載「世界の裏窓から」―カリブ篇」では同人誌「柵」に2007〜8年に連載したものを中心に新稿も加えていて、この部分が本書の核となる。
「第二部 カリブ海の余波――追補版として」は第一部を補うようなエッセイ類を収録。
「第三部 持ち帰った現地通信―トリニダード・トバゴだより」は2002年に著者がトリニダード・トバゴに渡り、詩人ポール・キーンズ・ダグラスに会い、現地の有名なカーニバルを体験した、軽いタッチの臨場感あふれる紀行エッセイで、写真もたくさん載せていて楽しい。
日本とは全く異なる歴史と気候を持ったカリブの文学にぜひ触れていただき、クレオール文化と呼ばれるものの真実の姿を具体例を通して知っていただければ幸いだ。
(池田康)
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2024年09月15日

杉中雅子歌集『ザ★家族III「メッセージ」』

ザ家族Vメッセージ画像2.jpg「ぱにあ」所属の杉中雅子さんの第三歌集『ザ★家族III「メッセージ」』が出来上がった。A5判並製カバー帯つき。144ページ。税込1980円。2017年以降の作品312首を収める。
歌集1冊目は『ザ★カ・ゾ・ク』、2冊目は『ザ★カ・ゾ・クII』で、タイトルがシリーズ的になっており、装丁も3冊を通して統一感があるものになっている。帯に載せた5首は次の通り。

 主婦だけで終わりとせずに私ゆえ在ることを詠う生きた証に
 日脚伸びし机上にひとり書き散らしの歌のことば繕いており
 新年の会食どきに樹木葬語れば病むかと子らに問わるる
 遠つ国戦禍におびえし子供らの黒き青きの美しき瞳
 「パパを産んでくれてありがとう」わが誕生日によつはのメッセージ
  (最後の歌の「よつは」には傍点がつく。孫の名前)

最後の一首が歌集名につながるのだと思われるが、もちろんこの一冊が著者の家族に対してのメッセージともなるに違いないわけであるから、メッセージは一方通行ではなく双方向のものと言える。それを踏まえて帯には次のような紹介文を置いた。

「──胸のうち言い当てる言葉探しおり──
主婦の奥にひらく歌人の目が、日常を軽やかに掬い取り、過不足なく書き留める、そのささやかな二重生活の消息。子や孫に残すメッセージと、子や孫から受け取るメッセージとが交錯する、家族という名の心のネットワークの精緻な波立ちが唯一無二の紋様を刻印する。」

ここ数年の、樹木葬や古代蓮を詠んだ一連には、はっとさせられるような、この歌人の精神的な深みも明確に感じられ、「境地」ということを言ってみたい気もする。巻末には、詩人・二条千河さんの解説「アルバムは厚みを増して」、ぱにあ代表の秋元千惠子さんの祝辞「いのちのバトン」も収録している。

(池田康)
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2024年09月06日

泉遥歌集『そして それから 風の唄』

カバー画像2.jpg泉遥さんの第二歌集『風の唄』が完成した(「そして それから」はサブタイトル)。3年前の第一歌集『風の音』以降の作品を収める。四六判128ページ。大病を抱えながら生きてきて、今年86歳、その感慨が歌集の中心を流れる思いだ。親しみやすいうたいぶりで、構えることなく流れるように読んでいくうちに長野県飯田市に住むこの歌人の生活がありありと目に見えてくる感じがする。帯に載せた5首:

 「奔放な人と暮してゆかいだったよ」病床の夫ぽそりと言えり
 縦横斜めにメスを入れ修理した身で唄い詠って
 生涯を心臓病と闘いて勝ちたる思い八十六歳
 唄いつつ詠いつつ行く風の中思いのままにわれのゆきませ
 勤勉にわれを助けてくれまししペースメーカー身になじみたり

ついでに帯文も:

「大病を乗り越え、はるばる生きてきた八十六年。その無数の風景が今や風となり唄となり世界の光となって作者を包む。日々をわが日々として確かに歩み言葉に刻むささやかな幸福感と、大切な人を亡くした寂しさとが歌集の底にひそんで人柄そのものの穏やかなハーモニーを支えている。」

カバーを飾るのは今年3月に亡くなった画家・清水史郎氏の冬とんびを描いた絵で、カバーだけでなく、表紙も扉も清水作品を配してカラー印刷されている。さらには本文中にも2葉、カラー印刷された清水作品が挿入されていて、贅沢に華やかであり、本書の特色となっている。その本文カラーページ2葉の裏側には「思いのままに」と題して20首が本文から抽出されて並んでおり、本歌集のダイジェストとも言えるので、以下に紹介する。

 その雅号〈雪夜〉青年の成長の道を見ており今日の個展に
 背をまるめ読みふけりいる漫画本『ブラック・ジャック』に心ひかるる
 アトリエにてたおれたままの弟よ何思いつつ汝は逝きしか
 町びとの心ほぐせる場所なりと知らぬ人らのすすめる町政
 映像の端から火の玉とび出して高層ビルのくずれおちたる
 「生れつき」と言われしことある心臓病を恨みつづけて八十年
 心臓病をかかえながら八十年よくぞここまで生きこしものよ
 みかん畑に「パール柑」の実りし日さぞ幸せな秋日和ならん
 油絵を描きつづけて逝きし姉 作品の数多は何を待ちいる
 縦横に斜めにメスの入りし身も生きて短歌を詠めるうれしさ
 痛み臥せば夏の去りたり朱色なる曼珠沙華にも会えずすず風
 角張て動かなかった左指 わずか曲れるこのうれしさよ
 靴ひもの縛れてうれしこの朝は療法士さんとハイタッチする
 おちこちに柿のすだれの納屋に垂れ伊那の村里オレンジに映ゆ
 今日ひとひ無くし物をしなかったほうびにべっこうあめひとかけら
 夫にも弟にも見てもらえなかったわが歌集 本をみるたび涙のにじむ
 「奔放な人と暮してゆかいだったよ」病床の夫ぽそりと言えり
 唄いつつ詠いつつ行く風の中思いのままにわれのゆきませ
 直らずも修理をすれば生きらるる病みて八十六年世の中を見き
 勤勉にわれを助けてくれまししペースメーカー身になじみたり

(池田康)
posted by 洪水HQ at 10:55| 日記