2017年01月31日

『詩国八十八ヵ所巡り』

shikoku88.jpg詩のアンソロジー『詩国八十八ヵ所巡り』(燈台ライブラリ3、1300円+税)がようやく完成した。カバー袖の案内文では「四国八十八ヵ所巡礼になぞらえ、近現代日本を代表する八十八人の詩人の作品を集めて百年の心の歴史をたどるアンソロジー。この一冊を繙く巡礼は、時代的視野を広げまた深め、詩の生まれる意味を考えさせ、文芸による心魂の浄化の可能性を証し、人生にきびしい核をそなえた真摯さをもたらすだろう。選・解説は高知出身の嶋岡晨。」と謳っている。時代を背負う詩文学の重みがひしひしと感じられ、新書判192頁のコンパクトな一冊にこれら88篇の詩がきれいに収まってしまったのは制作側としても驚きだった。
収録されている詩人は「峠三吉/鮎川信夫/山本太郎/田村隆一/谷川雁/黒田三郎/関根弘/宗左近/石原吉郎/金子光晴/天野忠/長谷川龍生/黒田喜夫/秋谷豊/菅原克己/飯島耕一/木原孝一/嵯峨信之/木島始/真壁仁/清岡卓行/石垣りん/川崎洋/伊藤桂一/井上俊夫/会田綱雄/山田今次/吉野弘/谷川俊太郎/城侑/山村暮鳥/高村光太郎/萩原朔太郎/佐藤春夫/西脇順三郎/田中冬二/宮沢賢治/八木重吉/丸山薫/北川冬彦/三好達治/尾形亀之助/高橋新吉/富永太郎/小熊秀雄/村野四郎/中野重治/春山行夫/草野心平/小野十三郎/山之口貘/瀧口修造/竹中郁/近藤東/坂本遼/原民喜/神保光太郎/永瀬清子/伊東静雄/高見順/中原中也/井上靖/津村信夫/菱山修三/槇村浩/立原道造/淵上毛銭/串田孫一/野村英夫/吉田一穂/安西均/吉岡実/中桐雅夫/三好豊一郎/那珂太郎/北村太郎/吉本隆明/茨木のり子/中村稔/新川和江/大岡信/白石かずこ/入沢康夫/三木卓/荒川洋治/葵生川玲/片岡文雄/嶋岡晨」といった並び。選出・解説の労をとっていただいた嶋岡さんには心より感謝したい。
今回このような本を編集してみて切実に感じたのは、テキストを決定する(それを校正する)大変さだ。一人の詩人の一つの作品でも複数の雑誌・詩集・選集に載っていてそれぞれ形が微妙に違っていたりする。どの版を典拠にするかによってテキストの姿が変わってくるわけだ。その決定は嶋岡さんの考え・指示に従ったものもあれば(鮎川信夫作品など)、編集部が入手・閲覧しうる最も信頼できそうな書物という観点で決まったものもある。有名な作品は△△文庫など普及版に拠っているものもある。萩原朔太郎の「竹」の第七行目はオリジナルは「かすかにふるえ。」となっているようなのだが、筑摩書房の全集版では「かすかにふるへ。」となっていて、こちらの方が文法的に正しいように思われるので、筑摩の全集に拠った。語法的に怪しかったり誤りに見えても、正しい表記に直っている本が見つけられなかった場合はそのままにしてある(そこまで踏み込んだ校訂は差し控えた)。そもそも詩を書くという行為はときに限りなく我儘で身勝手なのだ。旧仮名遣いのものもあれば新仮名遣いのものもあり、後者の場合でも拗音促音は小さい字にしないという作者の好み・方針に従った書き方のものもあり、それぞれ典拠したテキストの通りにしたので、統一感という点ではばらばらな混在の感じがするかもしれないが、それがこの百年という時代の幅なのだという認識をもって了解していただきたい。
そして更に、一作の背後には同じ作者による他の優れた百作二百作があり、選ばれた詩人の間には他の実力ある百人二百人の詩人がいるという無論の想像力も望まれる。詩に関心があるすべての人の必読の書、ぜひ手に取って下さいますよう。
(池田康)
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2017年01月28日

平井達也詩集『積雪前夜』ほか

北海道の二条千河さんが上京するというので、急遽「詩素」1号の執筆者で集れる人が集り、昨日ちょっとした研究会と食事会をしていた。二条さんが彼女の文学生活の出発点となった「三国志」の魅力とそれに基づく創作を語ったり、「詩素」創刊号についての意見を交わしたり、現代詩の根本的難点を議論したり。
平井達也さんも参加していたのだが、彼は最近詩集『積雪前夜』(潮流出版社)を出したので、その感想なども。平井さんは「虚の筏」「詩素」に作品発表していて、その都度なんとなく読んでいたが、一冊の作品集にまとまってみると「この人はこういう作者だ」というくっきりとした印象を受け取ることができる。苦いユーモアがあり、イメージの繋げ方が巧みで、生活の中の小さなずれや軋みを梃にして奇妙な呻きのこもった絵をつくってゆく。
「それにしても牛丼お新香セットが/美味しいことが悲しいのだ」(「昼休みの牛丼」)こんなささやかな哀歓も実感としてわかるのがまたもの悲しい。
「商談」の後半:

 営業マンというのも大変だ
 都内で雪男が発見されるくらいに大変だ
 山手線の外回りと内回りが結婚して
 小さな山手線を産むくらい大変だ

 誰も商談とは無縁でいられなくなって
 ファミリーレストランでは
 電卓と正直さは叩かれっぱなしだ
 ほんとうに私たちが交わすべき契約は
 どこかの錆びた金庫にしまいこまれたまま

お金を払ったり受け取ったりの、我々の生活を形成している商売というものの骨折りと胡乱さが今更ながらしみじみと感じられてくる。
「債務」という詩もある。その第4連:
「日々に債務が貼りついている。恋人も仲間もいつか去っていくのは誰かに返さなければならないものだからだきっと。それでも返済が終わることはない。永遠に万人から回収し続ける巨大な債権者がいる」
この債権者からは逃げることができないらしい……
(池田康)
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2017年01月18日

山野楽器に19号納品

銀座の山野楽器本店に「洪水」19号を納品しましたので、おでかけいただき、ご購入下さい。3階の楽譜・書籍売場です。
(池田康)
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2017年01月13日

脳の風邪

風邪の季節。この時期は誰しも一時的にバカを卒業する。ここのところ風邪の状態が続いていた。ちょっと咳をすると頭痛の叫びが反響する。そんななか数日前、新宿に出る用事があり、負担を最小限に抑えてなんとか切り抜けたのだが、その疲れが原因か、その夜、悪夢奇夢が怒涛のように襲ってきた。なにが起きているのか把握できないような異常なイメージの狂騒状態。なるほど幻覚とはこういうものかと思わせる出口のない堂々巡りの感じがあった。寝る前に飲んだミルクティのペットボトル製品の作用があったのか。お茶は元来薬であり、薬はなんらかの効能(副作用も含め)があるだろうから。しかし次の日、ミルクティを飲まずに寝ても同じような悪夢の連続が襲ってきたから、ミルクティに罪はないことが判明した。悪夢嵐は若干勢いをなくしながらその次の晩も来た。してみるとある種の風邪は悪夢の素を体内分泌するようだ。今回確かに頭部がブツリ的に妙な感じに過敏に腫れ上がったようになっていた。脳も風邪をひく。脳はバカではなかった。その風邪も抜けつつある。つまりもとの鈍感なバカに戻りつつある?
(池田康)
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2017年01月05日

正月の仕事

この地方はとてもいい天気だった正月三が日、今月下旬刊行予定のアンソロジーの本『詩国八十八ヵ所巡り』を早く印刷所に入れたいので、二日から仕事始め、最終校正をおこなっていた。昨年のうちに三度ほど校正を重ねていたので、もう誤りはないだろう、出てきたとしても一つか二つだろうと思っていたが、やってみると直すべきところが十以上も見つかって、憮然とした。発見できてよかったのだが、こういう詩のアンソロジーの本はテキストを正すことが難しいとつくづく思う。今日、遠方の大きな図書館に行き、最後に残った疑義も処置が決まったので、あとは印刷に付すばかりだ。
(池田康)
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2016年12月31日

洪水19号

19号表紙S.jpg洪水19号が完成した。今回の特集は「日本の音楽の古里」。日本の伝統音楽、邦楽を考えようという試みだ。茫洋とした果てない広がりがある対象で、取り組むのがとても難しい。手近なところから聴くにしても、それを聴くための耳を自分がもっているのか心許ないし、西洋音楽になじんできた人間にとっては語るのが難儀な種類の音楽だ。行き当たりばったりの面も多々あったし、調べ始めるときりがないのだが、発行予定日を断念の区切りにしてなんとかまとめたといった案配だった。
詩人の佐藤文夫さんがすばらしい民謡の評論本を何冊も出していたので、相談したら、山村基毅さんとの対談を企画して下さった。対談当日知ったのだが、佐藤さんと山村さんはなんとこの日初対面だったそうだ。そんなふうには思えないほど息の合った討議を展開して下さった。テーマを知悉している同士だとこんなことが可能なのだろう。お読みいただければ民謡の世界の魅力、民謡にかんする知識と愉悦の豊かさを存分に楽しんでいただけるはずだ。
尺八奏者の中村明一さんへのインタビューは、10号の佐藤聰明特集のときに中村さんに対談でご協力いただき、この夏ソロのコンサートを聴かせていただいたことをふまえて、お願いした。『倍音』という著書で音楽全般および日本の伝統音楽の特質を論理的に詳しく分析しておられる方で、理論的にも実践的にも第一人者であり、とても本質的で深い話が聞けたと思う。
さまざまな視点からの論考は、木戸敏郎、鈴木治行、田中聰、山崎与次兵衛、紫圭子、北爪満喜の各氏に小生。詩は嶋岡晨、篠原資明、山田兼士、紫圭子のみなさん。格別のお力添えに感謝申し上げたい。
また今号の巻頭詩は、藤井貞和、山本萠、松本邦吉、岬多可子、河野聡子、海東セラのみなさんにご寄稿いただいている。
特集の資料のために民謡の古いレコードを相当買い求めた。全集のような企画ものがコロンビアやビクターやキングからたくさん出ていて、それほど苦労することなく手に入る。かなり詳しい解説がついているし、現在のCDには入ってないような二世代前、三世代前の民謡歌手の歌が収録されているので、聴き甲斐がある。レコード・コレクターは試してみてはいかがだろうか。

1月下旬にアンソロジーの本『詩国八十八ヵ所巡り』(燈台ライブラリ3、嶋岡晨編)を出す予定だが、その中に伊藤桂一さんの作品「駐屯生活」も入っていて、戦時中大陸に派遣された兵隊の生活を描いた詩だが、「佐渡おけさ」が出てくるので、その部分を引用紹介する。伊藤さんも今年10月に亡くなり(この本をお見せできなかったのが残念)、その追悼の意味もこめて。戦いのために駐屯地を出る前の晩のこと。
「やがて出発の前夜になるとみんな車座になって生死の盃を酌み、佐渡おけさなど歌ってこころ置きなく酔っ払ってしまう。」

(池田康)
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2016年12月29日

竹原恭子作品集『あの星』

表紙画像S.jpg洪水企画から初めての楽譜の本が出た。竹原恭子さんは詩人の八重洋一郎さんの奥方で、八重さんと同じく石垣島出身。専門家として作曲をしているわけではないのだが、八重さんが自分の詩に作曲することを勧め、始めたらなかなか好評で、引き続きどんどん作ることになったという経緯だ。この本には16曲が収録されている。娘さんの滝野原南生さんが編集を担当していて、どの曲にもその由来と意図について詳しい解説がついている(竹原さんか八重さんか滝野原さんの執筆)。曲調はそれほど技巧的に複雑なものではなく、滝野原さんの序文「はじめに」の言葉を借りると「どれも素直でまっすぐで、雨水が自然に落ちて地面を潤すように耳に心地良いもの」。
どの曲にも深い思いがこもっているが、私がもっとも印象的に思ったのは「雨乞い」で、「わたしたちはいつも心のどこかで雨乞いの歌をうたっている」という副題がついている。雨が降らないと生きていけない、雨は天の恵み、という思いをうたっており、裸の生命の希求が感じられる。八重さんの解説より:「台風も来ない、雨一粒落ちない、雨雲さえ来ないひでりが続く時、人間・動植物達はひたすら神に祈るしかなかった。/神とは? 人々がある場所に棲処を定めようとする時、まずその心の拠りどころとなる場所を探し霊感をもってそれを発見し、その場所を聖域とし、自分たちを超える存在が常に顕現する聖所とする。そしてその聖域において、人間たちは極小の存在となって極大のもの無限大のものに願い祈る。その願いの赴くところ、祈りの対象、それが八重山の神であった。/ある場所を自分たちの棲む場所と決めたら、平和な安寧の生活が続くよう、はじめに“祈りの場所”を求めた。それが“御嶽(オン)”と呼ばれた。自分たちを守る場所というより、守って下さいと祈る場所。神さまをここに呼び込み、何かにつけて“守って下さい”とすがる場所。/田を稔らせて下さい、健康に過ごさせて下さい、良い子に恵まれますように、病いが早く治りますように、……自分が〈無〉になれる祈りの場所・願いの場所が八重山の御嶽である。/そして、最大の願いのひとつが、常にいい雨に恵まれますように、ということであった。例えば豊年祭に登場する旗頭の旗には「五風十雨」と染め抜く。豊作のためには、適度な天からの恵みの雨が不可欠であるからである。民謡の中でも、しばしば「十日越しの夜雨(トウカグシヌユアミ)」が願われた。/雨を願う心とは、生命への恵みを願うことと同じである。/雨を給わってください、雨を給わって下さい…/アミユタボーリ アミユタボーリ アミユタボーリ アミユタボーリ…」
「アミユタボーリ」という祈りの文句が心に残る。
タイトル作の「あの星」は、宇宙の遠方から眺められた地球のこと。この星での無数の生命の営みを寿ぐ曲。八重さんの解説より:「地球とは全宇宙が祈りに祈って生み出した「希望」なのではあるまいか。“なつかしきまろきいのち”が涯のない漆黒の闇の中、青く奇しくほのぼのと希望を点して輝いている。」
A4判128ページ、定価2000円+税。
(池田康)
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2016年12月28日

描線という歌声

映画「この世界の片隅に」の副産の一つは、漫画家こうの史代を広く世に知らしめたことだろう。この映画の原作を読み、そしてやはり広島の被爆を基点にした作品『夕凪の街 桜の国』を読んだ(どちらも双葉社)。絵描きにとって描線は歌声なのだろう。誠実で飾らない、無邪気さと知性と諧謔心を携えた線のタッチにはまがい物でない個性が感じられる。物語のテーマとしては罪業そのものである戦争という巨大悲劇に向かっていくわけだが、その構図をやさしく細やかな地声の描線でつむいでいくところに新味の感銘が生まれてくるのだろう。それほど深刻でない、ごくさりげないシーン、たとえば「桜の国(一)」冒頭の、七波ちゃんが友達にゴエモンと呼ばれているところに後ろから東子ちゃんが来てランドセルからよいしょと縦笛を取り出して♩♫♩と吹いて呼びかけるところなんか、いいなあと見とれてしまう。魅力的な歌声を聴く喜び、そして感謝。
(池田康)
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2016年12月24日

笑福亭智丸の落語

詩人の疋田龍乃介さんは落語家・笑福亭智丸でもある。彼の「文芸落語会」(世話人は榎本櫻湖さん)が昨日、三軒茶屋の小さなライブハウス四軒茶屋であり、南原充士さんに誘われて聴きにいった。「洪水」19号の雲遊泥泳のコーナーで南原さんが疋田さんの詩を論じている関係で。
出し物は、銭勘定をごまかしてうどんを食べようとする「時うどん」、桶屋の子供が町奉行ごっこをする「佐々木政談」。そして「時うどん」を種にした創作落語。小説家の滝口悠生氏との対談もあった。
落語を生で聴くのはたぶん初めてで、記念すべきその初ナマ落語が笑福亭智丸でいいのだろうかという不安もあったが、どうして、破綻なく乱れなく力強く語ってくれて、話に引き込まれた。修行開始から三年か四年だそうだが、もう立派な落語家で、たいしたものだ。
さて、「洪水」19号、無事完成しました。内容はまた改めて案内します。
(池田康)
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2016年12月21日

虚の筏18号

「虚の筏(そらのいかだ)」18号が完成しました。
今回の参加者は、海埜今日子、坂多瑩子、平井達也、たなかあきみつ、小島きみ子、二条千河のみなさんと、小生。
下記のリンクからご覧下さい:
http://www.kozui.net/soranoikada18.pdf

(池田康)
posted by 洪水HQ at 21:03| Comment(0) | 日記